『ディープヨコハマをあるく』をあるく

 拙著『ディープヨコハマをあるく』(辰巳出版)が刊行されてから約5ヵ月が経過した。
 このかん、各紙誌やツイッター等のSNSでは多くのレビュー・感想をいただき、著者として感謝の念に堪えない。
 この場での紹介をもってお礼に代えさせていただこうと思う。

 週刊誌でいち早くとりあげてくれたのは「週刊新潮」だった。評者は篠原知存氏。ナポレオン党にはじまり、松弥フルーツでおわる、「ごった煮の街」としての横浜に着目したレビューだ。

 「週刊エコノミスト」では、北條一浩氏が「街歩きガイドの体裁を取った地理学と歴史学の最良の融合」と評してくださった。

 ネイキッドロフト横浜での刊行記念イベントにゲストとしてご登壇いただいた鈴木涼美氏は、「幻冬舎plus」の連載で触れてくださっている。鈴木氏にしか書けない名文であり、本をとおしてじぶんがそのように見られているのかという発見もあった。

 左右社の重金敦之氏の連載エッセイでは、八木澤高明氏の『裏横浜』(ちくま新書)とともにとりあげていただいた。本書でもたびたび言及している獅子文六についての書きぶりは重金氏ならではである。

 「本の雑誌」では、すずきたけし氏が「新刊めったくたガイド」の欄でとりあげてくださった。
 「ディープ本と謳っているローカル本は、得てして路地裏の飲み屋街や危険な場所、ナイトライフなどに傾きがちだが、本書は横浜の歴史とカルチャーに重きを置き、その深掘りがまさにディープである」との評。
 書名に「ディープ」と冠することについては、著者としてもあらぬ誤解を招く可能性を危惧していたのだが、中身をしっかり読んでくださった方の多くはこちらの意図を的確に汲み取ってくださっていて安心した。

 「散歩の達人」は、10月号の「今月のサンポマスター本」の大枠でとりあげてくださった(評者は編集部の吉岡百合子氏)。

 「神奈川新聞」は、10月17日付の誌面で著者インタビューを掲載。服部エレン記者は、本書を丁寧に読み込み、とりとめのない話をみごとにまとめてくださっている。

 次に個人ブログの感想。

 刊行後もっとも早い時期にブログで言及してくださったのが荻原魚雷さんだ。街道と川の記述に着目し、「名著」と評してくださっている。有難い。

 「Future Watch 書評、その他」では、「題名の印象から横浜に関する裏話のような内容かと思ったが、読んでみると非常に真面目に横浜のそれぞれの地域にまつわる過去から今までの歴史を簡潔に伝える内容」とあり、前述の「本の雑誌」同様、事前と読後の印象のギャップについて好意的に書いてくださっている。

 「Days on the Rove」では、「聞きかじった知識であって、目玉と脚で脳にたたき込んだ知見ではなかった」との評。
 本書については、いろいろと調べるうちに記述したい事柄が増え、それにともなってまさしく「個人的体験史」に相当する記述が減ってしまった(推敲の段階でかなり削った)、という反省がある。的確なご指摘を受け止め、次回にいかしたいと思う。

 「Let's be Friends.」の運営主は相当な本読みと察するが、そんな方から「知られた界隈を歩いて、見過ごしてしまいそうな〈過去からの声〉に立ち止まってその由縁をすくいあげていること、わたくしは特に良いと思うた」と褒められると光栄である。
 なにより「本書の隠れた特徴の1つに、関東大震災で亡くなった朝鮮人をけっして無視していない点がある」として「本書を労作というて江湖に推奨する理由は、じゅうぶんあるのである」との評には感激した。

 「古本虫がさまよう」では、八木澤高明氏『裏横浜』とあわせて紹介されている。西田書店など古本屋にかんする話題が中心。

 最後にツイッターでの感想。

 渡部幻さん、後藤護さんは、小沼宏之さんによる装幀にかつての晶文社の本の面影を見てくださっている。さすがの着眼だ。

 滝本誠さん。牛鍋や萬里の秘宝19番を食べながら往時の横浜と一体化する滝本さんを夢想すると、なにやら笑みがこぼれる。

 鈴木並木さん。「一見地味だけど、ただ地味なだけの本ではない」――このうえなく嬉しい感想だ。

 高鳥都さんは、田中小実昌に言及しつつ、漢字を「ひらいて」いる点に着目してくださっている。

 その他、すべてのツイートを追いきれておらず申し訳ないが、いずれもたいへん有難く、著者として「なるほど、そのように読んでもらえたのか」と嬉しい発見がいくつもあった。

 このほか、南陀楼綾繁さんには、ツイッターのスペース「今週の新着本」でご紹介いただいた。
 また、ご著書を参照させていただいた海野弘さん、内藤誠さんからはそれぞれ丁寧なお葉書を、粉川哲夫さんからは長文のメールを、四方田犬彦さんからはお会いした際に感想を頂戴した。

 最後に。昨今の出版不況下では、本はとにかく刊行直後のタイミングでどれだけ売れたかが重要視される。しかし本来、書物というものは(映画、演劇、美術などもそうだと思うが)、相応の時間をかけて読み手の内側になんらかの作用をもたらすものである。
 まちがいくつもの時間と記憶の層によって成り立っているのと同様、『ディープヨコハマをあるく』を手に取ってくださった方々のなかに、ことばの断片が堆積し、よい時間を刻んでいってくれることを期待したい。

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