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令和日本紀行 -4: 周防国の旅

今まで訪れた日本国内の地域の地理・歴史について、記録しています。第4回は、周防国(山口県東南部)を取り上げます。

令和5年3月、山口宇部空港を起点に、宇部市東南部、山口市、防府市、岩国市等をレンタカーで周遊した。この地域は、飛鳥時代に大和政権によって周防国とされた。鎌倉時代には執権北条氏一族に治められ、室町時代から大内氏、続いて毛利氏の領国となった。

宇部市の東南部では、江戸時代から石炭が発掘され、明治維新以降、炭鉱の町が栄えた。江戸時代に作られた常盤池を囲む常磐公園には、石炭記念館があり、海底炭田の開発に挑むジオラマが展示されている。宇部興産株式会社は、沖ノ山炭鉱組合を発祥とする。

石炭記念館の展望塔から観た常盤公園。以前は、ペリカン類の飼育数の日本1位を誇った。

山口市には、室町時代中期に、守護大名の大内義興、大内義隆が整備した市街が残っている。瑠璃光寺は、国宝の五重塔を中心として、桜や梅の名所にもなっており、大内氏全盛期の文化を伝える。観光案内などを踏まえた個人的な印象だが、地元の人々は、安芸国吉田荘から興った毛利氏よりも、大内氏に対する尊敬の念を持っているような気がする。

瑠璃光寺(るりこうじ)の五重塔は国宝

市内のもう一つの見どころは、山口サビエル記念聖堂。1550年11月、フランシスコ・ザビエルは、周防国山口に入り、キリスト教の宣教活動を行う。大内義隆に会った後、京に向かい征夷大将軍足利義輝に布教の許可を得ようとした。しかし、献上の品がなかっちめに謁見できず、失意のまま、再び山口を経由して、肥前国平戸に戻った。

山口サビエル記念聖堂におけるフランシスコ・ザビエル像

山沿いの道を南下して、周防国の国府が置かれていた防府市に向かう。
防府天満宮は、菅原道真を祀り、近隣の受験生たちが、合格祈願のために訪れるという。ちょうど梅園が美しい季節で快適だった。防府出身の楫取素彦(初代群馬県令)と妻の美和の銅像のツーショットも撮ることができた。
毛利氏庭園と毛利博物館も訪れた。巨大な敷地にある邸宅は、旧長州藩主毛利家の毛利元昭公爵が建てたもの。明治政府における長州閥の隆盛の下、毛利氏の家格の高さを維持させる意図があったのだろう。

防府八幡宮の梅園
楫取素彦と美和子の像。 素彦は、初代群馬県令(現代の知事に当たる)や宮中顧問官、貴族院議員等を歴任した後、現防府市に居を移し、地域の発展に尽くした。 妻の美和子は、杉家の四女・文として生まれ、兄の吉田松陰を支えた。(大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公)

毛利氏庭園と毛利博物館も訪れた。巨大な敷地にある邸宅は、旧長州藩主毛利家の毛利元昭公爵が建てたもの。明治政府における長州閥の隆盛の下、毛利氏の家格の高さを維持させる意図があったのだろう。

毛利邸から観る庭園。邸宅には大正天皇他が宿泊してきた。現在は、国指定の名勝となっている。

防府市から西に向かい、岩国市の錦帯橋を観る。5連の木造アーチ橋は、日本三名橋に数えられている。残念ながら、岩国飛行場(海上自衛隊とアメリカ海兵隊が共同使用)を見学する時間がなく、大急ぎで山口宇部空港に戻る。

錦帯橋は、世界的に見ても珍しい木造アーチ橋

今回の訪問では、周防地域のデジタル化事情を探ることができなかった。
ただ、素晴らしい観光資源を有しているものの、宣伝が不足しているような気がする。
空港近辺のレンタカーの店主との雑談の中で、株式会社ファーストリテイリング(ユニクロ)の本拠は宇部市にあったが、市があまり支援してくれないので、柳井正社長が立腹して、山口市にまた戻ったとのこと。
また、今年4月の衆議院山口2区及び4区の補選を巡る政争に加えて、地域間の対立もあるようだ。
いつか、下関や萩を含む長門国への紀行文を執筆する際に、分析してみたい。

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