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令和日本紀行 -7: 安芸国の旅

今まで訪れた日本国内の地域の地理・歴史について、記録しています。第7回は、令和5年5月にG7サミットが開催された広島市周辺を数回訪れて感じたことを書きます。

安芸国は、現在の広島県の西部にあたり、国府は安芸郡府中町にあったとされるが、遺跡は発見されていない。1221年の承久の乱の後、安芸国守護職となった武田氏が治めた。戦国時代になって、毛利氏が勢力を伸ばし、1555年の厳島合戦で陶氏を破り、中国地方の覇者となる。1589年、毛利輝元は、本拠地を吉田の郡山城(現安芸高田市)から、太田川デルタの上に城を設けて「広島」と命名したとされる。
1600年の関ケ原の戦に敗れた毛利氏の領地は、周防国・長門国に減らされ、かわりに福島正則、次いで浅野長晟が広島城に入った。江戸時代を通じて、浅野宗家による安定した治世が続き、明治維新の後、備後国と合わせて広島県となる。

安芸国の一番の名所は、毛利元就の戦勝地となった宮島にある厳島神社である。今回のG7首脳に対するおもてなしの場所として、効果的に使われた(令和5年5月19日)。

厳島神社の赤い鳥居(平成時代における撮影)

私自身は、平成時代の厳寒期に宮島を訪れ、厳島神社の後方に聳える弥山に無装備で登り、雪道で転んでしまった。しかし、島の頂上から観た瀬戸内海の美しい光景は忘れられない。

宮島の弥山の山頂からの絶景(平成時代における撮影)

次の見どころは、呉市にある旧呉海軍工廠と海上自衛隊の潜水艦、そして大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)だ。
明治時代、大日本帝国海軍は、全国に五つの海軍区を定め、鎮守府を置いた。呉鎮守府の開庁式は1890年、明治天皇臨席のもとに挙行された。
1903年、日本海軍の呉海軍工廠が誕生。他の海軍工廠(横須賀、佐世保及び舞鶴)の合計を凌ぐ世界屈指の兵器工場となり、戦艦「大和」などの建造を手掛けた。しかし、第2次世界大戦の末期、米軍により徹底的に破壊される。その時期の呉市を舞台としたアニメ映画「この世界の片隅に」のファンは多い。

「アレイからすこじま」は、 国内で唯一、潜水艦を間近で見学する場所

JR呉駅から徒歩で行ける大和ミュージアムの屋内に展示された戦艦大和の模型は圧巻だ。

戦艦大和の模型(大和ミュージアム)

広島市内では、広島平和記念資料館と原爆ドームは、誰にとっても必見。
特に、G7首脳の訪問は画期的な出来事だった(令和5年5月19日)。

原爆ドーム

最後に紹介したいのは、原爆ドームを見下ろす場所に建設された「おりづるタワー」。広島の過去と現在、未来を一同に望むことができる。早稲田大学「アジアのIT」の講座での教え子に案内してもらったのは、大切な思い出だ。

おりづるタワーに展示された千羽鶴の数と人々の平和への想いに圧倒される


さて、広島県出身の政治家と言えば、池田勇人、宮澤喜一、そして岸田文雄となる。岸田文雄氏は、父の岸田文武氏が通商産業省勤務時代の米国赴任でニューヨークで幼少期を過ごしていた。私自身は、岸田文雄内閣府特命担当大臣(IT政策担当など)に内閣参事官として1年お仕えたことがあり、当時から人柄の良さを存じ上げていた。
また、広島県知事の湯崎英彦氏も通商産業省出身である。私が機械情報産業局総務課にいた時に1年生として配属されてこられた。スタンフォード大学への留学生としての後輩でもある。本年3月に日本スタンフォード協会主催のイベントで久しぶりにお会いできた。

政治家のみならず、広島県出身の友人・知人を見て感じるのは、全体的に明るくて積極的な人が多いこと。尾道市(備後国)出身の大泰司章氏(PPAP総研代表)がその典型と言えよう。

また機会があれば、安芸国の国府の遺跡探しにでも、行ってみたいと思う。

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