2.ローソンのみさちゃん

高校を中退したのが2001年3月。
通い始めて、ちょうど丸1年、まだ16歳だった。

何をするとも決めていなかったが、
とりあえず、示しをつけるために大検だけ取ろう。
そう、漠然と考えていた。

辞めてから、生活は完全に昼夜逆転し、
夜中までネットや漫画を読み耽り、昼すぎに起きてバイトへ行く。
時々、友達と遊ぶ。
その友達のうちの一人が、みさちゃんだった。

みさちゃんは、近所に住む同い年の女の子で、
たしか、共通の友達と一緒にカラオケに行って知り合った。

アメリカ帰りの帰国子女で、ピタっとしたサーファーTシャツに
ローライズのジーパン、それが定番の服装だった。
ついでにへそも見える。

インターナショナルスクールに通っていて、宇多田ヒカルと同期だと話していた。
「学校では全然目立ってないよ、暗くて友達いないし、あの子」
何事もあっけらかんと話すところが、彼女のいいところだった。

つり目の一重で、決して美人というタイプではなかったが、
少しぼーっとしているせいか男性からの誘いが多かった。
「初体験は、13歳のとき。友達のお兄さんと」
まだ処女だった私は少なからず動揺した。
アメリカ帰りってこんな女ばかりなのか?と、
勝手なカルチャーショックを受けた記憶がある。

みさちゃんはローソンでアルバイトをしていたから、
会うときは、期限切れで廃棄処分となる海苔巻きを
いつも2〜3個持ってきてくれた。

吉祥寺のチェリーナードの脇道から入るゲーセンの横で
それを立ちながら食べて、プリクラを撮ったり、カラオケへ行く。
カラオケは、汚いけど圧倒的に安い歌広場だけ。
カラ館は少し高かったから、あまり入らなかった。

大検の試験は11月で、秋口になると試験の不安から会う頻度が減り、
いつの間にか疎遠になった。
お互いに熱心に連絡を取り合うタイプではなかったので、
そうなるのは必然だった。

「久しぶりに遊ぼ」
1年後、2002年の秋にそう誘ってくれたとき、とても嬉しかった。
私はその時しょっちゅう着ていたベティーズ・ブルーのトレーナーに
グレーのデニム地のスカート、7分丈スパッツで出かけた。

井の頭線改札から吉祥寺南口にエスカレーターでおりて、
右に曲がってすぐの「STONE」という喫茶店の前が
私たちの待ち合わせ場所の定番だった。
別に、この喫茶店をよく使っていたわけではなく、「じゃあ吉祥寺南口で」となると、なんとなくこの前で待つことが多かっただけだ。

少し待っていると、横から「久しぶり〜」と声をかけられ、
いつも通りのほわっとした声に振り向くと、別人が立っていた。

正しくは、別人ではない。間違いなくみさちゃんだ。
しかし、明らか違う。
その“違い”に一目で気付いてしまい、思わずたじろいだ。

彼女のトレードマークともいえる一重まぶたが、二重に変わっていた。
それも、アイプチレベルではなく、眼球が3倍くらい大きく見えるほどの
ぱっちりくっきりしっかりした二重まぶたに。

これまで、整形した人に出会ったことがなかった私は、
再会を喜びながらもプチ整形のことで頭がいっぱいになった。
まさか「二重いいじゃん♪」と親指を立てることもできない。

モヤモヤを抱えたままサンロードをぶらついていると、
みさちゃんから「プリクラ撮ろうよ」と、とんでもない提案をされた。

あなたそんなにちゃんと分かるほど顔を変えてよく撮れるね…
と思いながら、そのままロフト地下1Fのゲーセンに向かった。

撮ったプリクラの一枚に、みさちゃんの顔アップに、
私が一歩引いて写っているショットがあった。
先ほど、克明にその日の服装を覚えて記していたのは、
このプリクラを何度も見返したからだ。

その当時のプリクラには盛り目機能なんてないが、リアルに盛っている。
見れば見るほど、不思議な気持ちになる。
二重のみさちゃんの顔ではなく、顔を変えた事実に堂々といられることが。

1年前の顔を知る人に会うのって抵抗がないのかな。
それとも別に指摘されたって「そうだよ」って堂々と言えるのか。
とにもかくにも、やっぱりアメリカ帰りは違う。
それが、私が達した結論だった。

今も、整形前後の顔を見せてくれた友人は、みさちゃんしかいない。
大前提として「整形したんだ」と打ち明けてくれる人がいないこともある。

整形擁護派の私でも、さすがに何も言わずに会うとびっくりするし、
したのならば「したよ」と言ってくれた方が友達は安心するよ、
という声が、どこかの整形美人さんに届きますように。

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