6.千と千尋の神隠し

男友達に誘われて、『千と千尋の神隠し』を観に行った。
ちょうど今くらいの時期、2001年8月27日だったと思う。

映画を観る場所といえば、新宿コマ劇場。

小さい頃から、『タスマニア物語』とか『おもひでぽろぽろ』とか、
家族で映画を観に行こうとなれば必ずここだったから、
それ以外の選択肢はなかった。
バルト9もなかったし、ピカデリーはあんなに綺麗じゃなかった。

映画を劇場で観るのは久しぶりだった。
会場は混雑していて、右手にようやく二人並んで座れる席を見つけた。

1000近くある座席に人がびっしりと並んで腰かけ、
暗闇の中、シーンと座っていることが不思議なことのように感じた。

その日、私は体調が悪く、咳とくしゃみを繰り返していた。
両親が豚になる序盤のシーンから、かさかさした喉の違和感を覚え、
咳が出そうになるのを何度も堪えた。
わざと唾を飲み込んだり、息を止めたり、ストーリーどころではない。

とうとう、油屋でカオナシが登場するところで咳き込んでしまい、
たまらず席を立った。

通路から遠いところに座っていたため、
何人もの観客の足をまたぎながら必死の思いで出口にたどり着いた。

明るい通路で咳を繰り返し、深呼吸を数回して、やっと呼吸が整ってきた。
それでも、室内で乾燥した喉は痛みを増してきたようだった。

はぁ、辛いな。
ふと脳裏に、大崎の彼のことが思い浮かんだ。
今、何してるんだろ…。
辛いな。
落ち込みそうな気持ちを消し去るように、再び扉を開けた。

スクリーンには、さっきまでひょろっとしていたカオナシが巨大化して、
千尋に何やら諭されているところが映し出されていた。

同じ席に戻るのも迷惑だし、それで再び咳が止まらなくなったら
いよいよ追い出されるかもしれない。
出口から近い階段に腰掛けて、劇場のはじっこで続きを観ることにした。

それからは咳も治まり、ラストまで集中して楽しめた。

中でも、千尋が暗闇で一人きり電車を降ろされるシーンが一番印象に残っている。
どこまでも深い闇の中に敷かれた線路は、一筋の光のように見えた。

『もののけ姫』も友達と観て、全く心に響かなかったが、
千と千尋は、その世界にスッと吸い込まれてしまいそうな映像の美しさがあり、とても良い映画だと思った。
ストーリーはさておき、楽しめたのだから、それは良い映画に違いない。

エンドロールが終わった瞬間、客席から振り返った友達と目が合った。
私が全く戻ってこないから心配していたらしい。
気を揉ませてごめんね、と詫びて、それぞれ帰路に着いた。

余談だが、10代の頃を振り返ると、「遊んだ後、ご飯に行く」という
当たり前の発想が微塵もないことに気付かされる。
飲みに行く時も「飲む」という目的以外は行かないし、
お金がないし、家でご飯用意されているし、当然といえば当然か。

だけどその日の私はいつもと違い、山手線で品川方面へ乗り、
大崎に向かっていた。

工事中の改札を抜けると、またも工事中の看板が並んでいる。
その当時、駅前は再開発まっただ中だった。

作業現場の脇道を歩きながら、曇り空を見上げた。
そういえば、8月に入ってから太陽をほとんど見ていない。
空も体も不調だ。
ついでに、恋愛も大不調だ。

ボロアパートに着き、トタンの階段で二階に上がり、ドアノブを回した。
鍵がかかっている。
バイト先のスーパーを覗いたけど、いない。

こうして、誰にも会わずに、つい先日まで知らなかった
大崎という街を一人きり歩くのは何度目だろう。

咳が止まらなくなり、おとなしく帰ればよかったと後悔しながら、
また山手線で新宿に向かった。

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