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5.はれた日は学校をやすんで

高校1年生の冬休み明けから、全く学校に行かなくなった。
いじめられていたわけでもないし、勉強が特別苦手だったわけでもない。

理由があるとすれば、他人の視線や言葉に敏感になりすぎる、
思春期特有の自意識過剰さが、人一倍強かったからだろう。

あの子が私を無視したかもしれない、影で笑っているかもしれない、
私は誰からも好かれていないかもしれない。
もう嫌だ何もかも嫌だ全てリセットして一人きりになりたい。
それだけだった。

休んでいる間、一番通っていたのが、ブックオフだ。
漫画は立ち読みし放題だし、欲しくなったら安価で買える。
平日の昼間に店内をうろついているのは、
私と同じように時間を持て余していそうな男性ばかりだった。

その日も、いつも通り物色していると、一冊の本が目に留まった。
西原理恵子の『はれた日は学校をやすんで』だった。
まさに今の私だ。

2001年頃、西原理恵子はまだマイナーな存在で、
私はたまたまあるキッカケで『ぼくんち』を知っていたから、
なおさらこの本に惹かれたのだと思う。
(そのキッカケについてはまた後日)

主人公の女の子が、みんなと同じ制服を着ることがいやで、
休んでしまおうと学校を抜け出すシーンから始まっていた。

セリフは手書き、背景がほとんど描かれていないこの漫画は、
西原理恵子の心の中を覗いているようだった。

ページを読み進めると、主人公が、
「ねえお父さん、どうして毎日学校に行かなくちゃいけないの?」
と泣きながら訴えていた。

そのシーンで、手が止まってしまい、しばらく時間が過ぎた。
このことを、私は誰にも聞けずにいた。

そのコマから先、読み進めることはできなかった。

店を出て、寒空の下チャリを漕ぎ、
マフラーに顔を埋めながらボロボロ泣いた。

三鷹の牟礼団地周辺は、道路が狭いのに交通量が多く、
空っ風が涙目にひりひりと沁みた。

家に着くと、父親がいつも通り夕飯を作って出迎えてくれた。

高校を中退しても、絶対に大検をとる。
そう思い始めたのは、あの冬の日からだった。

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