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3.『さくら』のコックさん

2001年4月。
友達と遊ぶために、地元の三鷹からお台場へ向かっていた。

お台場へ行くのはこの日が2回目。
1回目は、2000年3月、野球部の先輩とのデートだった。

まだ肌寒い春の日で、ユニクロのオレンジ色のパーカーを羽織り、
吉祥寺ロンロン地下1階で買ったエスニック柄スカート、
髪型を桃知みなみのようにトップで一部だけ結んでいた。
頭の悪そうな格好だが、高校中退だから仕方がない。

友人は、小学校の同級生という大阪出身の男性を連れてきていた。
目と口が大きくて顔が小さい、イケメン芸人のような出で立ちで、
一目見て彼のことを好きになった。

お茶をしながら、彼のことを色々聞き出した。
中央線沿線の有名な中華料理店でコックの見習い中。
東京に出てきたのは今年からで、地元に彼女がいる。

なーんだ、彼女がいるのか。
心の中で舌打ちをする私にも、彼氏がいる。
しかし、「彼氏がいる」と「好き」は全くの別物だ。

お店を出て、海沿いをぶらぶら歩いていると、
新人ユニットのお披露目イベントが特設ステージで行われていた。
行くあてもない私たちは、せっかくだからと立ち止まった。

ステージ裏から出てきたのは、スラっとして顔が小さく、
オレンジがかったストレートヘアーがとても似合う美女一人。

彼女が歌う『さくら』というタイトルの曲は、
軽やかな電子音としっとりとした声が妙にマッチしていて、
30人程度の観客は、みんな聴き惚れている様子だった。
私たちも「いい曲だね」と交互に囁き合った。

ステージが終わると、小さなサイン会が始まった。
「俺、買っちゃおっと」と、コックさんはノリよく先陣を切り、
それに続けて友人もCDを購入して、サインの列に並んだ。
私は買わなかったが、一緒に握手をしてもらった。

それが、ROCK IN JAPANの大トリもつとめる
あのcapsuleだとは、今でも信じられない。

帰り道、コックさんが住む沼袋のアパートへ寄ることになった。
「沼袋なんてダサい駅名があるんだ…」と驚いた記憶がある。
西武新宿線に乗ったのはその日が初めてだった。

沼袋らしい4畳半のアパートで(ごめんなさい)、
こたつと布団が敷きっぱなしでぐちゃぐちゃの中、
3人ともそれぞれ居場所を見つけて夕飯をごちそうになった。

父親以外の男性の手料理を食べるのは初めてで、
中華っぽいオイスターソースの味付けも、甘く感じられた。

「さっきのCD聴いてみようよ」
思い出したように友人が言い、埃まみれのコンポで聴いてみた。
二人は“こしじまとしこ”と書かれたサイン色紙を眺めながら、
「せっかく買ったんやから売れてほしいよな〜」
と笑い合っていた。

いまや全世界にファンがいる超有名グループだよ。
あの時のサイン色紙、大切にとっていますか。

もしかしたらコックさんは、あの時『さくら』を歌っていたグループが、
capsuleだって気がついていないかもしれない。

そしてcapsuleも、自分たちのデビュー当時のファンが、
沼袋の小汚い4畳半アパートに住む見習いのコックだなんて、
よもや想像もしていないだろう。

今でも『さくら』を聴くと、ちょっとした奇跡の一日が記憶に蘇り、
少しせつない気持ちになる。

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