1.歌舞伎町のカメラマン

2002年の6月頃だったと思う。

梅雨ならではの蒸し暑い日で、汗っかきだった私は、
黒いタンクトップにひざ上15cmのデニムのスカートという
1/3半裸の状態で、彼氏と歌舞伎町のカラオケに行くところだった。

ドンキホーテ前の交差点まで来て、
手持ちがほぼゼロ円だったことを思い出した。
「ちょっとお金下ろしてくるからドンキで待ってて」
そう言い残して、ゆうちょが下ろせるATMを一人で探し歩いた。

17歳だった当時、私は中学生の頃に親から作ってもらった
ゆうちょ銀行の口座しか持っていなかった。

設立したてのみずほ銀行、UFJ銀行、
統合して間もない三井住友銀行のATMはそこかしこにあるのに、
ゆうちょ銀行はどこにもない。
緑色に騙されて近づくと三井住友銀行のATMで、
「また三井住友かよ!」と怒ることもその頃は多かった。

ジャズバーのDUGあたりまで来たとき、
「すみません」と声をかけられ、振り向いた。

そこには、ずんぐりとしたヒゲ面のおっさんが立っていた。
小汚いベージュのベストを羽織り、仰々しく黒いカメラを提げている。
重い瞼で上から下まで舐め回すように見られ、一気に不快な気分になった。

「モデル興味ない?」
二言目がそれだった。
怪しすぎる。
でも、本当のモデルスカウトだったらどうしよう。
バカなことが一瞬よぎり、躊躇していたら、
「そんな怪しがらなくていいから」と説明が始まってしまった。

「僕カメラマンなんだけど、ウチでコスプレの雑誌やってて、そのモデルやってみない?」
「え、コスプレ?」
「そう。スク水とかアニメの服ね、そういうの着て撮影するの」

『ヤバすぎる』と『なんだそれ面白そうじゃん』が同時に浮かんだ。
しかし百発百中、成人向け雑誌だ。

「あの、私、まだ17歳なんですけど」

すると、おっさんの表情が一気に曇った。

「うーん、脱いでもらうこともあるんだけど、17じゃなぁ…」

そして、どうしたもんか、とでも言うように腕を組んだ。
まるで私がコスプレ雑誌に出させてくれとお願いしているような状況になっている。
ちょっと間を置いて、次の提案が出された。

「今はまだ着衣で撮影して、18から脱いで本格的な撮影でもOKだから」

なんだその脱皮みたいなシステムは。
そもそも、ゆうちょを探している最中だったことを思い出し、
このおっさんとの会話はこれまでだと終止符を打つことにした。

「あの、銀行探してて急いでるんで」
そう伝えながら歩き始めると、おっさんはいきなり焦り始めた。
「あ、じゃ、じゃあ、名刺だけでももらって。うちの事務所、女のスタッフもいるから絶対安心だから」

強制的に渡された名刺には、××プロダクションと書かれていた。
おそらくこれが、人生初めてもらった名刺だった。
ついでだからとおっさんからゆうちょの場所を教えてもらい、
花園神社の脇にあるというATMへ小走りで向かい、その場を後にした。

おっさんの道案内は正しく、ATMはそこにあった。
無事に預金の一部を引き落とし、小銭とレシートでパンパンの
アナスイの財布に5千円札をしまい込んだ。

ちょっと怖いけど面白い経験だったな。あとで彼氏に話そっと。
そんなお気楽なことを考えながら扉を開けると、
つい5分ほど前まで目の前にいた薄汚いベージュのベストが目に飛び込んでひっくり返りそうになった。

なんでおっさん、お前はつけてきたんだ!
声にならない声であわあわと混乱していると、2、3歩近づいてこう迫られた。

「君の連絡先教えてもらわなかったから、教えてよ」

いよいよ興味よりも恐怖の方が勝り、携帯ないです、と首を横に振った。
本当は、J-PHONEの写メ機能付きの最新機種を持っている。

「じゃあ、彼氏とか、いつも仲のいい友達の番号とか教えて」

そんなん教えられるわけ…と言おうとしたところで、一人の顔が浮かんだ。
ナルシストで勘違い甚だしい、デブ大学生のRの顔である。

一度一緒に遊んだだけで、お前もっと痩せろよと偉そうに指図し、
挙げ句の果てに「痩せたらエッチしようね」と擦り寄ってきたバカ野郎。

「R子っていう、いつも一緒にいる女友達の番号教えます」

もちろん、Rの番号だ。
たまたま手帳に書いていた番号を読み上げると、
おっさんは自分のケータイに登録した。

「この子にかければ大体繋がるんで、また連絡ください」

おっさんはあっさりと引き下がり、私はまたドンキホーテに向かった。

ざまーみろ、R。
女をコケにする野郎は、風俗業界に番号が出回っちまえばいいんだ。

それから、Rから連絡が来ることもなければ、
カメラマンのおっさんと遭遇することも二度となかった。

「もしもあの時、モデルになりますと言っていたらどうなっていたんだろう」と思うことが時々ある。

18になって脱皮して、そこそこ稼いで、1千万くらい貯めたら足を洗って、
親に家でもプレゼントしていたんだろうか。結婚はできたんだろうか。
もしかすると、R以上のバカな男に引っかかっていたかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?