#390C|遊びゴコロVSクソ真面目

「毎日行う」ことの害と、そのクリア方法についての雑感。

先月まで1年間「毎日書く」ことを目標に書いた。おかげで書くことはたしかに日常の習慣になった。

しかし、それにより変なクセもついた。「毎日書く」を優先した結果、おざなりになったのは「書き方」だ。その書き方から生まれる内容(質)の限界は低い。毎日書いたばっかりに、あまりよいとは思えない仕方が染み付いてしまったなと思う。

これからそれをクリアにしていくには、毎日書くこととは違った大変さを感じる。「クセ」の矯正のためには常に意識的である必要があるため、むしろ毎日投稿よりもよほど骨が折れる仕事に思える。

「習慣が人を作る」のはどこまでいってもその通り。適当な仕方がクセになると適当な人間になっていく。小さな妥協であっても、毎日妥協するクセがつけばそのような人生になる。

「毎日投稿すること自体」が優先であるからと、「これでいいか」という気持ちで投稿するようなことを重ねていれば、そういうものしか書けないよな。

いやもちろん、365日間自分なりに、その条件の上でできるかぎり一所懸命書いてきたが、1つのテーマについて何日もかけて思考を深め、しっかりとした1記事を完成させる、というような仕方はできなかった。

習慣化を考える時、「毎日やればいい」「とにかく1分でもやればいい」というのは確かだが、それは最低ライン。その1分をてきとーに、変化もなく繰り返せば、そのクセがつく。とはいえ、厳しくしすぎては嫌になってそもそも続かない。どうしたものか。

ここに関して、以前は「ストイックに質を追求できる人」だけが結果を出すのだろうと思っていたが、井上新八さんの「続ける思考」を読んでから「遊びゴコロ(好奇心・探究心)」が最強だと感じた。

遊びながら結果的に質が伴っていくようなループがある。このことは、あまりよくない意味でのクソ真面目な私には盲点だった。今もまだ遊びループでなく真面目ループで発想してしまうけど、それこそTCCを使って「今」に意識を戻すたび、自分の心を見つめて、意識をフォーカスする先を「遊びゴコロ」の方に変えていきたい。

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