#442D|日記

1つのプロジェクトが失敗して意気消沈。「何が失敗かは解釈次第で、それを自分の責任だとか、失敗だとか、捉える必要はない」という視点も保持しながら、自分のこだわりからすると失敗もいいところである。

私はネガティブな事柄に対してはカラーが消えて見えるような感覚になるのだが、そのプロジェクトに関する情報にふれると白黒というか灰色のような感触がしてなんとも寂しい。これも共感覚バグ。

しかし「こだわりからすると失敗」というのは使い方としては最悪じゃないか。事後にこだわりなんて発揮するものではない。

こだわりとはイコール行動の燃料のようなものでもあるので、その活かしどころは事前だ。こだわりを発揮してバーニングしての大量行動や、行動の質を高めるために使うのが用法だろう。終わったあとにまで「こだわり」を持ってるってのはマジでいらんなーということで、こうして書くことで成仏してもらいたい。なむなむ

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自己効力感が下がっている時、なにやってもぱっとしない時期。そんな時こそ、やると決めたことを淡々とやることが大事だ。最低限のナニカを保持できる。

ただやみくもにやるのではなくて、「これを重ねていればよくなるはずだ」と思えることをやる。くさらずやる。くさってもやる。そうしながら自分のスケール感の復活を待つ。

とにかく待てるかってのは大事だ。苦しい時の過ごし方って大事だ。言い聞かせても「そんなもん知るかよ」ってなるのが苦しい時特有のまた心の動きであるが、明けない夜はないのだよ。

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U氏が開催してくれているGW企画への参加をきっかけに、昼間に学習する習慣をつけようとしている。

もともと私、お昼はパフォーマンスが最も出ない時間帯なのだが、ここにあえて学習の習慣を入れようとしている。たしかに昼は眠くてだるい日がとても多いのだが、しかしそれも思い込み含む既存の習慣であり、これを変えられたらおもしろいなと思って挑戦中だ。

この学習の習慣は、もう少しをひろく「刃を研ぐ習慣」というスケールで捉えていて、ただ昼に学習する時間を取るという感覚でなく、スタート時には「これから刃を研ぐ時間を始める」という意識がけ(アファメーションとイメージ)から始める。

これにより、学習のみでなく運動や回復やたいせつなことの確認も実行され、それらが相まって(7つの習慣における刃を研ぐがフォーカスするのは知性、肉体、精神、情緒の4面。情緒は手を出してない)、掛け算的な恩恵を感じている。

これまで「昼はダメだから」とダラッとすごしていた時間が、もしかしたらとてもいいものになるかもしれないという予感がある。

GWが終わってもこのまま育んでいきたい。

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