#420D|"できない"ことがない国

自分の能力不足に悩むことが日常化している最近で、うなされる夜も多い。そんな中、昨夜はとても安らかな夢を見られた。

そこは「"できない"ことがない国」。統治している女王が、全国民の「できた」ことを祝福し、愛と祈りを捧げている。

誰1人として、自分が「できなかったこと」や、自分には「できないこと」に関して、一瞬たりとも考えていない。

過去を想うことがあるのなら、自分が「できた」ことに対してのみフォーカスして満足する。未来を想うことがあれば、自分が「できる」ことに関してフォーカスし、純粋に希望を膨らませていた。そして、今目の前の出来事に対して、ただ「自分ができること」のみを見て、重ねて、前進していた。

そう。人は絶対に「何か」はできる。仮にセミナーでうまく話せなかったとして、「うまく話せなかったなあ」でなく、「セミナーができたなあ」なのだ。当たり前だが100%そういう見方ができるのなら、その生活には幸せしかないだろう。いったいいつから、足りないものばかり数えるようになるのだろう。

その夢の国を見て、私は「半分だ」と思った。幸せと不幸(できたこととできなかったこと)で構成されているのがあたりまえの世界と比べて、ここはその半分(幸せ)しか存在していない。まさか「半分」だけでも世界は構築できるなんて。

なんと心地のよいバイブスが流れている国だろうか。感じるエネルギーは慈愛と受容に満ちていて、涙が出そうだった。全身が緩む。


そのような夢の中で、久しぶりに健やかに眠り続けることができたことが最高だった。夜中に1度も急き立てられるように目が覚めることもなく、おだやかに朝を迎えられた。

今日からは、あの夢に出た女王に手伝ってもらい、私もフォーカスする先を100%「できたこと」「できること」に当てるようなコントロールを身につけよう、、、といったことをぼんやり思いながら目を覚ました。

私は今、意識をフォーカスする先をコントロールする術を真剣に学ぶ必要のあるフェーズなのだと思う。多動な脳みそを持ち、意識があっちいってこっちいってとせわしない。それをなんとかする繊細な力加減をトレーニングしている。

きっとそのために起こっている日々のアレコレ。しかし何があっても、「できた」ことしかこの世界にはないのだよなと思うと。

タスクシュートで言えば「ログは正しい」にも通ずるこの夢は、もしかしたらタスクシューターが築いた国だったのかもしれないとか、なんでもかんでもTCに結びつけすぎるのはもう職業病みたいなものか。

明日もできることにフォーカスして、できたことだけを重ねていこう。ないものを欲さず、あるものを情熱に従って活かしていこう。"時間"と同じで"豊かさ"もまた、常に「ある」ものなのだと、今日の夢を見て思えた。

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