#267D|隠れASD|想像が及ばないものを知る楽しさ

note365日連続投稿チャレンジ267日目。


明日以降の準備にすべて使った日

新しいところに行く時や新しいことをする時に、どうしても大きめな準備が必要なことがある。やったことがないことはわからないので先を見通せなくて当然だが、それをなんとかわかろうとして詳細にシミュレーションしようとするなど。

そういうことをほとんど1日中していた日で、クッタクタになった。この種類の疲れは気持ちいいものではなく、できれば完全になくしたいのだが、そもそもこういうものは苦手な部類で、なくせるまで進めるのがまたむずかしい。


私は昔から思っていて最近もう確信したが、苦手なことは本当に本当に苦手な人間だ。

人によっては「ふざけてんの?」と怒られるくらい、こっちとしては真面目に取り組んでいるのだがありえないほど下手くそというか、うまくできないことがある。

私の能力はかなりアンバランスで、「こんなこともできないのか」と「なんでそんなことできるんですか」が同居している。

わりとなんでもできるバランサータイプに見られることが多いが、けしてバランスよく常識的な立ち回りができる人間ではない。(そうしてがっかりされることで傷つくことも過去多かった)

それは誰だってそうだよ、と言われもするが、ちょっと違うんだよなあと思うのは私が歪んでいるのかもしれないが、どうであれ自分の中では「できないことが徹底してできない」のはけっこう困り事、悩み事だ。心理の関係の人からは「表面的にはわからないタイプのASD」と言われてたしかにと思った。

この極端な偏りを、直す方でなくて、うまく使う方向で、もっと工夫していかないとなあなどと感じた1日だった。


想像も及ばないものを知る楽しさ

本はビジネス書や哲学書がほとんどだが、今日はひさしぶりに旅行記を手に取った。その本の著者の生い立ちが予想し得ない環境で驚く。

日本の政治の中心地である永田町で生まれ育ったことで、普通には体験できない少年期だったようだ。少しやんちゃなことをしたならすぐに何台ものパトカーに囲まれるという異質。ビルばかりが目に入る日常で、海に沈む夕日、なんておとぎ話だと思っていたと。秘密基地を作っていたら、そこがテロリストの潜伏先と思われて規制線が張られるなど。

同じ国に住んでいてもそんな人生があるのか、と感じた。ある意味国外の生活よりも差がある。そんな生い立ちなら、きっと私とは想像もつかないほどいろいろな物の考え方や感性が違っているだろう。

本を読んで、世の中には自分とはまったく考え方が違う人や、しっかりと対話しあっても分かり合うことができない人だっているよなと、というかそれが当たり前なんだよなと、妙に強く感じた。

どんなに自分とは違うものであっても、手を取り合うことができなくても、自分には想像もしえなかったナニカを知ることができることは私にとっては強い喜びだ。そういうことが好きという面からも、私は人の話を聞くことが、特に細かく聞くことが好きなのかもしれない。

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