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【英国判例紹介】Burmah Oil v Lord Advocate ー制定法による判決の遡及的変更ー

こんにちは。
お読みいただきありがとうございます。

今回ご紹介するのは、Burmah Oil v Lord Advocate事件(*1)です。

この事件は、太平洋戦争における日本対イギリスのイギリス領ビルマ(現ミャンマー)での戦い(ビルマ進軍、ビルマの戦い)に端を発する事件です。

イギリスの国家統治体制は、厳格な権力分立を採用する国家との対比で、しばしば議会主権(Parliamentary Sovereignty)と表現されます。

本判例は、その後の立法も含めて、議会と裁判所の力関係がよく表れている著名な事件ですので、紹介させて頂きます。

なお、このエントリーは、法律事務所のニューズレターなどとは異なり、分かりやすさを重視したため、正確性を犠牲しているところがあります。ご了承ください。


事案の概要

Burma Oil Co. (Burma Trading) Ltdほか4社のグループ(原告)は、グラスゴーに登記上の住所を有し、イギリス領ビルマ(当時)で、石油の採掘・生産・精製・運搬、石油製品の購入・販売を営む企業です。

1941年12月、日本のイギリスらに対する宣戦布告により交戦が開始し、1942年1月には、日本軍がビルマに侵攻します。1942年3月6日、当時のイギリス側のビルマの司令官は、可能な限り敵に資源を与えないという本国政府の方針にしたがって、ビルマにある原告の設備の破壊を命じます。この命令により、同月7日以降、原告の設備はイギリス軍により破壊されていきます。日本軍がラングーン(現ヤンゴン)を占領する前日の出来事でした。

1961年、原告は、イギリス軍の作戦により被った損害の補償を求めて、国(*1)(被告)に対して訴訟を行うこととなります。

原審、控訴審ともに敗れた原告は、最高裁に上告します。

争点:イギリス軍による破壊行為により被った損害の補償は認められるか

イギリス軍による破壊行為は、政府が自らの権限で軍隊の指揮権を行使した結果であるといえます(*3)。原告は、この行為が合法的に行われたことを認めています。

なので、争点は、破壊行為が合法だとしても、原告はこれによって被った損害について、補償を得ることができるかというものです。日本でいう損失補償の議論に似ていますね。

また、被告は、必要な軍事作戦の過程で生じた損害に対する補償は行われないと反論しており、議論をややこしくしています。

裁判所の判断

1964年4月21日、原告の請求が認められました。

裁判所は、軍隊の指揮権の行使について、戦争時や差し迫った危険の際でも、政府が代償を支払うことなく財産を奪ったり破壊したりすることが可能であるという一般的なルールは存在しないと述べています。

また、イギリス軍の破壊行為は、日本軍が接近していたとはいえ、軍事行動から生じたものではないため、戦闘による損害には該当しないとも判示しました。

ちょっと駆け足で事案の概要、争点、裁判所の判断を見てきましたが、今回の判例紹介は、ここからが本番です。

War Damage Act 1965の制定

議会は、1965年6月2日、なんと、最高裁の判決を覆すために法律を制定します。その法律が、War Damage Act 1965です。

わずか2条のみの法律なので、そのまま転載します(太字はぼく)。

1  Abolition of rights at common law to compensation for certain damage to, or destruction of, property.
(1)  No person shall be entitled at common law to receive from the Crown compensation in respect of damage to, or destruction of, property caused (whether before or after the passing of this Act, within or outside the United Kingdom) by acts lawfully done by, or on the authority of, the Crown during, or in contemplation of the outbreak of, a war in which the Sovereign was, or is, engaged.
(2)  Where any proceedings to recover at common law compensation in respect of such damage or destruction have been instituted before the passing of this Act, the court shall, on the application of any party, forthwith set aside or dismiss the proceedings, subject only to the determination of any question arising as to costs or expenses.

2  Short title.
This Act may be cited as the War Damage Act 1965.

つまり、この法律の可決の前後を問わず、戦争中に、国王(ここではつまり政府)の権限に基づいて合法的に行われた行為によって生じた財産の損害に関して、補償を受けることができないものとされました。

この法律により、原告は、裁判で勝訴したにもかかわらず、補償を受けることができなくなりました。

考察

こんなのアリなのか?

ある本では、次のように言われています。

Parliament, because it is supreme, can act in a way that is retrospective.

Alister Gillespie and Siobhan Weare, "The English Legal System (9th edn)" (UOP), p. 35

このように、イギリスでは、議会が遡及的に適用される法律を制定することは妨げられません。

War Damege Act 1965は、制定のタイミング的に、Burma Oilへのピンポイント攻撃ですよね。無茶苦茶な感じはしますが、それでもこの法律が遡及的に適用されることに疑義はありません。

Burma Oilからすれば、戦争で自社の資産を滅失させられたのみならず、せっかく裁判で勝ったのに覆されるだなんて、踏んだり蹴ったりですね。

欧州人権条約第7条との関係

ただ、刑罰を遡及的に適用する法律の場合には、難しい問題が生じます。

イギリスは、欧州人権条約の加盟国であるところ、第7条の罪刑法定主義との関係で、遡及的に適用される刑罰法規を適用できるのでしょうか。

行為当時には、合法だったのに、後からそれが犯罪とされて罰則を受けることになると、真正面から罪刑法定主義と対立するからです。

うーん、どうなんでしょう。

なお、イギリスでは、条約は国内的な効力を持たず、そのための法律の制定が必要です(いわゆる二元説)。欧州人権条約は、以前にもご紹介したHuman Rights Act 1998(HRA)により実現されています。

すなわち、イギリスにおける罪刑法定主義の根拠はHRAとなるので、議会がHRAを削除すれば遡及的に適用される刑罰法規の制定は可能という結論になる気がします。ちょっと不合理な結論のようにも思えるので、ここで結論を出すのは尚早かもしれません。

まとめ

今回は、議会が最高裁の判決をのちの特別法により遡及的に覆した判例を紹介しました。

いつもは民事法の分野から判例を紹介しているので、馴染みのない話だったかもしれません。今回お伝えしたかったのは、次のことです。

・ イギリスでは、議会が、遡及的に適用される法律を制定することは妨げられない

もはやあまり判例と関係ないですね(笑)
でも、国が違えば法律も異なるということで、ちょっと特殊な例でした。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
このエントリーがどなたかのお役に立てばうれしいです。


【注釈】
*1 Burmah Oil Co. Ltd v Lord Advocate [1965] AC 75
*2 訴訟の直接の相手方としては、スコットランドの法務長官に相当するロード・アドヴォケイトです。
*3 厳密には、国王大権(royal prerogative)に基づく軍隊の指揮権の発動によるものです。この国王大権とは、歴史的には、まさに国王の権限でしたが、軍隊の指揮権を含めほとんどの国王大権は、政府が行使するものとなっています。


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