地道に気が付く事。

令和4年3月22日ゼロ円ハウス176日目。

本日は休み。朝から雨が降っている。良く眠った。そう思える程に本当に良く眠った。割りとすぐに布団から出て、朝ご飯を作って食べる。

朝から日記をどんどん書いていく。書けるところから拘らずに書けていない日付けを行ったり来たりしながら書いていく。そうしていくと割りとスラスラと手が動き始めた。順番にこなさなければいけない。そうしているうちは先のタスクが憂鬱に感じれて今やっていることも気が重くなる。

とりあえず、休んだり息抜きをしながら書いていく。時折、音楽を聴いたりとかYouTube観たりとかしながら、日記と娯楽を混ぜ合わせて時間を過ごしていく。

YouTubeを観ていても、他のSNSを見ていても、広告なのか?誰かの発信なのか?分からないけど良く目にする事がある。天才と凡人の違いとか。成功出来る人と成功出来ない人の違いとか。何かと何かを比較した物や成功とか夢を叶えるとかそう言った自己実現?とでも言うのかな?その方法を述べてる物を自分はなんだかんだ見かける気がする。それは自分が無意識に求めているのかもしれないがその議題は一旦置いておこう。

ある動画で言われていたフレーズが頭に残った。大抵の人間は近道を聞きたがる。成功するには地道にコツコツやるしかない。

上に書いたような言葉や台詞って誰しもが1回は似たような事を聞いたことがあるんじゃないかな?って思う。勿論、自分も幾度と無く聞いた気がする。

でも誰しもが大抵、それが出来ない。近道なんか求めず、進んでるのかも分からないことを日々コツコツやること。周りが早く走り抜けていく、追い抜いていく、そんな風に見えてしまって焦ったりしながら内面の右往左往を経験して地に足をつけながら歩いていく。そんなやり方を大抵はそもそもやらないか、やり始めて挫折する。そして成功出来る人はこれが出来る。近道を求めずに皆がやりもしない、もしくはやっても脱落していく道を歩き続ける事が出来る。そしてやりもしない人、脱落した人は歩み続けて行く人の姿を見て、成功しているとか天才だとか言うのかもしれない。なんかリーガルハイでこんな話があった気がする。

自分もゼロ円ハウスに来る前、そして来てからの暫くの間、どこかで近道と言うか魔法と言うか自分に都合の良い、甘い生き方がどこかにあるハズだと思っていたいた節があった。今もゼロでは無いかもしれないがそんなものはどうやら無いようだとも気が付き始めている気がする。

近道も魔法もきっと触れてきた、聞いてきた。情報として。知識として。だけど時にはやらず、時にはやってみるが続かず、時には違和感を抑えられず挫折、時には...それらを繰り返した結果、自分には何も残らず何もやっていないのと同じ自分がそこには居た。唯一違うのは何も残らなかったと言うことがそこに残っているか、残っていないか。その違いだけだ。

自分だけに用意された抜け道や裏技なんかあるわけが無い。それがあるのならもっと違う世の中と人間達で溢れているハズだ。

じゃあ地道って何だろうか。自分が思うに先にも似たような事を書いたけど、地に足をつけて道を歩く事だと思う。じゃあ地に足をつけて道を歩く事ってどう言うことだ?それは自分以外が道を用意してくれるわけでも教えてくれるわけでも他人の道を見てる場合でも自分の道以外の道を歩こうとする事でも無いと言うことを知ることな気がする。自分が歩いた所だけが道になる。地に足をつけて地の感触を知り、その地に足をつけてきた所だけが自分にとって道になる。こうしたらこうなるんだ。地の感触を知るとはそう言うことだと思う。しかし先の見えないまだ道になっていない、地に足をつけていないその先は何も見えない。そこに自分を預けられない。だから先の明るい、見える道をどこかから取ってきて自分に当てはめるのかもしれない。少なくとも自分はそんな感じだった気がする。自分を信じれなくて、自分にそんな力があるとも思えない。だけどそれを信じたくないから自分以外にどうにかしてもらおうとした。自分、どうにかなりますよね?って。今までの分を取り戻したい。そう考えたら最短で行きたいと思ってしまう。もう、ギャンブル発想。これで1発逆転を狙う。そんな感じになってしまう。皮肉なことに1発逆転を狙っては失敗すると言うことはコツコツ積み重なっていく。しかしある程度やると、こんなことをしても意味が無いことに何となく気が付き始める。そうすると自分を信じれないとか力が無いとかじゃなくて信じるしか無くなるし力が無いとかじゃなくてやるしか無くなる。そうなると今までの無駄は地道に裏返る。それを知るまでコツコツ日々を積み重ねてきた、地に足をつけて感触(体感)知ってきて、今がある。強いて言うならそれが魔法だろうか。どうにもならない、意味を感じない。そこから自分の足を地につける事が始まるのかもしれない。やっと自分が動き出す。その瞬間なのかもしれない。そして逆説的にそれに気が付けば、今までも意図しない形でここにたどり着くまでに歩いてきたのか...そう思えるんじゃないだろうか。それが巷で言う自分軸と言うやつだと自分は思う。

結局は地道とかコツコツとかも自分以外が作った何かで、自分の中にそれがあることや既にやっていることや、それは自分で作り上げていくことに気が付いた瞬間に何かが変わるのかもしれない。

って勝手に自分の中で地道について考えていた。

夕方になると雨も止んでいた。買い物に行こう行こうと思うのだが中々決心がつかない。早めに明日のバイトのお弁当の準備をとりあえずしてしまおう。億劫が重なると億劫が極まってしまう。準備をして一段落したら、明日はバイト無しの連絡が来た。明日も雨が降るらしい。それなら尚更、止んでいる今行くしかないと思ったので原付きを走らせた。

買い物から帰ってきて部屋に戻ってグダグダと日記タイム。

そんな中でKさんから連絡が来た。この間の滞在期間のお礼連絡。そして色々と日々が違って見えるようになったことや変化があったようだ。後、自身の焦りについての反省も書かれていた。自分はその文を見て、そこが分かっていて尚且つそれを言うのは誠実だなと思ったし、そもそも言わなくても有耶無耶に出来た事でもある。しかもそれは仕事をしているKさんからしたら焦りなんか何ら間違った反応でもない。あちらには仕事を納める期限がある。それがある中で仕事をおこなう以上、それは当然の事だ。前の日記にも書いたが作為があろうが何だろうがそれを撮るのは仕事としては正しい。だが自分がそれを受け入れるかはまた別の話。実際に自分はそう思ったし、そうするとこんなことを言われるリスクすらKさんにはある。その覚悟を感じたので自分も先に書いたことを伝えさせてもらった。仕事として正しくてもそれを受け入れるかはまた別な事、そして今後も違和感があれば断ることを伝えさせてもらった。

やっぱり思う。誠実な人を前には自分の誠実さが使われる。だから自分がどう見えているか?それを相手に聞けば、それがその人の人柄に他ならない。それは相手から見た自分の印象として捉えるよりはそれが相手自身の印象だと捉える方がしっくり来る気がする。

明日も休みだ。特に予定は無い。日記も追い付いてきた。書き上げた日記は明日、読み返して更新しよう。明日からゆっくり1日ずつ日記を書けそうだ。

寝る準備をして布団に入り眠りにつく。

ゼロ円ハウス176日目終了。

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