アンドリューズ夫妻の肖像

はたらくを”自由”にとはいうけれど

 このnoteの本題に入る前に、予め述べておきますが、決して僕は働き方改革や、改革を行う企業や経営者の方々を、全否定しているつもりはないということをご理解頂きたいです。その上で、このnoteをご覧ください。

 

 近年、”人生100年時代””働き方改革”というワードを嫌というほど耳にします。しかも、それらがいかにも問題が全くない良いもののように語られることが非常に多いです。特にTVにおいて顕著ですが。確かに、これまでの様な長時間労働には非常に問題があるし、育児休暇や産休の問題は解決していかなければなりません。それと同時に、生産性の向上との両立も不可欠です。さらには、リモートワークやフリーランス、副業や起業等も、この日本社会の閉塞感を打ち破るためには必要不可欠だと考えます。しかしながら、それらを無条件で礼賛する姿勢は、果たして正しいものなのでしょうか。そして、今のままの人生100年時代や働き方改革に関する議論では、ないがしろにされる人々がいるのではないでしょうか。


 まず、人生100年時代において、最初に槍玉にあげられる問題は老後2000万円問題です。現在でも、老後の資金が足りず、極貧生活を余儀なくされている高齢者の方々がいるにもかかわらず、人生を100年も生きろと言われるなど、無茶な要求です。この問題が未だに解決されていないにもかかわらず、人生100年時代を肯定的に論じてはいけません。さらに、問題はそれだけではありません。毎年2万人から3万人も自殺するような、閉塞感が漂うこの社会で、人生100年など生き地獄だということです。この問題を解決するには、あらゆる面からの改革が必要であるし、述べ出すとキリがないので、また別の機会にしますが、現在の日本社会には19世紀の制度や習慣が未だに残っており、そこにメスを切り込まない限り、この閉塞感は消えないであろうと考えます。

 次の問題に移る前に、ここで、以下のイラストを見てください。

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 人生100年時代について論じられる際、大抵そこではどんな仕事であれ、働くということ自体に対してできることなら避けたいと考える、いわばマグレガーのX理論に相当するような人達について言及されないことが多いです。しかしながら、世の中の人々はY理論に相当する、基本的に働くことに対して肯定的な人ばかりではないし、どちらかに優劣があるわけでもないです。まるでX理論に相当する人が当初から存在していないように扱ったり、彼らについて白眼視することは価値観の押し付けに過ぎません。X理論に相当する人々が余分な資金(年金・貯蓄)を持たず、人生100年時代を生きるならば、一生働かされ続けるということです。この点に関しては必ず考慮されなければなりません。



 ここまでが人生100年時代の大きな疑問ですが、次に働き方改革に関しても問題を挙げていきます。まず、働き方改革にあたってよく取り挙げられるのが、生産性の向上です。労働時間が削減されるにもかかわらず、これまで以上に成果が求められる時、企業としてはどうするか。考えられる方法は様々ありますが、最初に取る方法としては、業務の徹底的なまでの効率化とマニュアル化、インセンティブの付与です。この対策は、フレデリック・テイラーの科学的管理法を彷彿とさせます。確かにこの方法はある程度までは有益であるし、現代の経営手法にも採り入れられている部分はありますが、行き過ぎれば非人間的なマネジメントを生みます。しかもこれらは、業務が比較的明確であった工場労働が主であった工業化時代の遺物です。それ故に、サービス化が進んでいる現代の経営にそのまま採り入れてはいけないし、実際この方法は発表された当時からあまりにも非人間的だとして、多くの批判が寄せられたのです。当時ですらこの有様なのだから、当時よりもより恵まれた人々が増え、価値観が多様化した現代において、この手法を強化すれば強い抵抗にあうのは必然だと考えます。

 次に、その生産性の向上と労働時間の削減が、必ずしも従業員のためにはなりえないということを述べていきます。この問題に関しては、普段僕がフォローさせて頂いているたぐやぐみかんぱにーさんのnoteでも触れられているので、そのnoteを以下の参考記事の欄で勝手ながら紹介させて頂きます。そのnoteも参考にさせて頂いたので、良ければ併せてご覧ください。

 以下のイラストを見てください。マルクス経済学では、従業員は自分が貰った給与以上の働きをしていると考えられ、経営者はその給与以上の価値(剰余価値)でもって、利益を享受していると考えられています。ちなみに、この剰余価値は従業員には払われてはいません。

剰余価値 画像1

 そして、その剰余価値をなるべく大きくするのが経営者にとっての目的であり、その方法は2つあります。1つ目は、単に従業員の労働時間を延ばす方法です。しかし、働き方改革でこの方法が使えないとなれば、2つ目の方法を使います。その方法とは、生産性を向上させて、商品の値段を低下させるというものです。これと同じ方法を他の企業も採れば、市場に出回るあらゆる商品の値段は安くなります。結果、商品の値段の低下と共に生じた従業員の生活費の低下と、労働時間の削減によって、経営者が従業員に払う給与は少なくなり、これまでよりも低い給与で今までと同じ成果を従業員に要求できるようになります。だから、長時間労働がなくなったところで、従業員の立場は根本的に変わらないのです。残業代を貰うことで生活をギリギリ切り盛りしていた人々は、限られた時間とはいえ、今までよりも低い給与で今まで以上に忙しく業務をこなし、それが終われば生活の不安を抱えながら、暇を持て余すのです。副業や起業というのがあるといわれるかもしれませんが、メディアに挙げられるのは一部の成功者だけです。個人事業主やフリーランスに関しても、成功するのは困難ですし、個人事業主に関しては、彼らを不当な条件で業務に従事させるUber等の企業もいます。この問題はそう簡単ではありません。

 最後の問題として、育児休暇や産休の取得の促進によって、その穴を埋める人々が生じることへの対応が不十分だということです。この問題は、公務員の方々や比較的女性の従業員の方々が多い化粧品業界でも、長い間課題になってきました。この問題を放置すれば、たとえそのつもりがなくとも、子供を持つことが何よりも優先されるものなのだという、誤った価値観を広げてしまうことに繋がりかねません。もちろん、育児休暇や産休の取得に関する問題は早急に解決すべきですが、それだけでは駄目だということです。



 以上のように、長々と人生100年時代と働き方改革について、自分の意見を述べてきましたが、決して僕は働き方改革や、改革を行う企業や経営者の方々を、全否定しているつもりはないということをご理解頂きたいです。それに、ビジネスの現場で戦う方々は既にこのような問題に向き合っていることだと思います。なので、意見があるとすれば、この改革についてあまり理解せず、人生100年時代や働き方改革を盲目的に礼賛する政府や企業、メディアについて文句があるということです。現在あちらこちらで聞くような、はたらくを”自由”にであったり、”自由”な働き方というものは現時点ではまだまだ課題が多いということを述べたいのです。だからこそ、否定的な見解を持つ者がいると、バランスも良くなり、議論の幅も広がるので、このnoteを綴った次第です。そしてこの改革は企業だけでは難しいということも述べておきたいです。特にギリギリの生活を余儀なくされている人々の生活の向上、価値観の違う人々の食い違い等を上手く統合するにはやはり政府の存在が欠かせません。しかしながら、その政府があの有様であるなら、まず僕達がこういった手段で、意見や具体的な施策を発信していくことが最初の第一歩だと考えます。

参考記事


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