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だいじなはなし!(2)

正確には、記憶にある出来事で一番古いものは病院に運び込まれた一件でした。

ガッチャマンというアニメに出てくる乗り物で、コンコルドみたいな飛行機の尖った先っちょを口の中、喉の奥にツンツンして、怖くなって泣き出したのを両親が心配して病院に連れて行った。

全く大事には至らなかったし怪我もなかった。
盛り上がりにもオチにも欠ける話なので、これは本編には登場しないことにしました。

今日はいつの話をしましょうか。
前回が幼稚園前くらいの話だったので、幼稚園に入ったあとの話をしようかな。

そうだ!

*   *   *

としはよく、両親と電車に乗ることがあった。
目的地は、横浜方面が多かった。母の実家が横浜にあったからである。
母の実家以外にも、横浜の高島屋など、デパート等の商店へ買い物に行くことも多かった。

電車の中では、両親が困って目を背ける場面が度々起こった。
その子はうちの子供ではありませんよ〜
そう言いたげな態度で、としの両親は近寄ってくる我が子から目を逸らした。

何があったのか。

昨日述べた通り、としは人懐っこかった。どんな場所でも、きっかけさえあれば誰にでも話し掛けた。
道で警官に合えば必ず
「ご苦労さまです!」
と挨拶をした。
そんなとしが人のたくさんいる列車の中で黙って大人しくしているはずはなかった。

「こんにちは〜」
子供からお年寄りまで、としは誰彼構わず声を掛けた。
言葉を返してくれる優しい人も多かったが、中には疲れている人もいただろう、次の目的地での事で頭が一杯の人もいたであろう、としが話し掛けても無視する人も少なからずいた。当然といえば当然である。

そんな言葉を返さない人に出会った場合、としはどうしたか。
両親の元に戻りながら、

「あの人日本語分からないみたいだよ〜」

車内中に響きそうな声で両親にそう報告するのである。

これには両親も勿論だが困惑する。冒頭で述べた通り、

この子はうちの子じゃありませんよ〜

という顔をして我が子の報告にも無視を決め込むしかなかったのである。

賢明な読者さんなら分かっているかもしれないが、としは声を返さない人に向けて、皮肉っている訳でも何でもなかった。
本当にそう思っているのである。
としの中で、自分が話し掛けたら相手は普通返事をしてくれる。以上の思い込みがある。
だから、何も言ってくれない人には何かしらの理由がある。そうだ、この人は日本語が分からないんだ。きっとそうだ。そういう論理になる。疑うことなく、としの頭の中ではそうなっていた。

としは両親から、大人と同じような喋り方で話すように教育を受けていた。
両親のことは「パパ」「ママ」とは呼ばずにお父さんやお母さんと呼んだ。
いわゆる大人が子供に話しかける時に使うような言葉使いをとしの両親はしなかった。
結果、としはよちよち歩く子供ながらも大人のような口調で話す、そして書き加えるならよく話すお喋りな、幼稚園児に育っていた。

だから移動中の列車内で起こった一連の事件は、他の場所では見られないユニークな出来事として皆さんの記憶に残ったのではないかと推察される。

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