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ただの少年サポーターがスタジアムに店を出すまで


【夢だけは一緒だった】

ファン?サポーター?にわか?コア?
呼び方は色々あれど、セレッソ大阪が好きという共通点さえあれば僕は一緒だと思っている。そこを議論しても意味がないのでここでは全部まとめてサポーターと呼びます。

僕が彼と出会ったのはいつかも覚えていない。たぶん2006年くらい?J2に落ちそうで(落ちたけど)大変だったのは覚えている。

今ではスタジアムで酒飲んで偉そうにヤジを飛ばしているだけの僕も、当時はゴール裏のいわゆるコアサポーターとして活動していた。でも社会人になって行けない試合も多くなって徐々にゴール裏中心地からは離れていくことになっていった。

セレッソ大阪サポーターなら誰もが知る有名なサクラホリックを経営している彼は、ご存知のとおり長居スタジアムのゴール裏でコールリーダーをしていた過去があり、今はそのポジションこそ後任に譲ったものの今もスタジアムの中心人物であり、情熱的な応援スタイルは周囲を奮起させる存在です。

ここまで書くと二人は違うスタイルでセレッソ大阪に関わっていて、同じゴール裏で同じサポーターグループ(?)に属していたものの、そんなに接点は無かったんだと感じます。

でも、夢だけは一緒だった。


【土岐雅人という男】

ここからは執筆者の僕(トシ)が勝手に知っている彼・土岐雅人という男を完全に僕個人の目線で書きます。実際の本人とは違う部分もあると思うのでそこはご了承を。

ご存知の通り、土岐雅人という男は情熱的すぎる男だ。
負けた試合の後には話しかけるのも怖いほど殺気立っているし、相手チームのサポーターが絡んできたときは考えるより先に走り出しているし、ゴール裏の柵に身を乗り出しすぎてスタンドから落ちて骨折するし、優勝したときは酒樽を×××して・・・だし。。。。。
もちろん行儀の良い行動ではないし、コンプライアンスだなんだのこのご時勢、褒められた行為ではないけれど、選手に「もっと闘え、気持ちを見せろ!」と言う我々自身がこれだけ強い気持ちを見せられるんだというお手本のような人物である。

コールリーダーにしては喋りが下手でぎこちないところがあり、そんなんでいいのか?とも思った時期もあったが(笑)、それが愛される理由になってスタジアムでは本当に色んな人に話しかけられているのをよく見る。

コールリーダーを後任にゆずるとなったときに、多くの人が寂しがったことが彼の人柄を象徴しているといえるだろう。

そんな土岐くんだが、彼自身が納得いっていない部分があった。
サッカーを、セレッソを、一生見続けていく上で基盤となる、そもそもの私生活が納得のいくものではなかったということ。

もちろん職業に貴賎はないが私が知り合った当時から暫くずっと、フリーターやニートを繰り返しており、冗談で「自宅警備員」なんていってイジっていたこともあった。

「長居でサポーターが集まれるサッカーバーをいつか開きたい」

そういう風に僕にオープンに話せるようになるまで長く時間がかかった。
そしてそう話せても、それを実行できるまでさらに多くの時間を要した。

30歳になったのがキッカケ?か何かはわからないが、2017年、彼はサッカーバー「サクラホリック」をオープンすることになる。相談は多少されていたものの、当時僕は海外に住んでいたこともあり、開店時には余り手伝えることもなく気づけば開業していた。
それまでの土岐くんは、上記のように情熱はあるものの、長く続かないという性格もあり、周囲には当然応援はしているものの、いつまで続けられるのかなと冷ややかに見ていた方々も多かったように思う。自分も失礼ながらその一人だったように思い出す。

元コールリーダーという人脈や、彼自身の人柄もあり、オープンからサクラホリックは盛り上がり、順調に2年目、3年目を迎えた。つい最近3周年を迎えたところだ。
自分もMad Catというゲストハウス&バーを経営し始めて、盛り上がる日もあればお客さんがこない日もあり、波のあるこの業界で生きる人間として、(失礼ながらこれまでフラフラしていた)土岐くんが3年間やり続けたことは本当にリスペクトしているし、偉大な功績であると思う。
サッカーバーというありそうで無いポジショニングの店を、スタジアム至近の長居エリアでオープンしたということ。それを3年続けたということ。それは本当にセレッソ大阪に貢献した行為であるし、声をだすでも幕を貼るでもない、真の「サポート」であるように思います。

7年ほど前、(かなり男らしい熱いリリックで有名な)ブルーハーブという日本のラッパーのライブに土岐くんと一緒に行った時、
「今が底だ。泥沼から這い上がれ!俺もそうしてここまできた」的な(正確には忘れたけどそんな感じの)MCを聞いて「涙が出た」と言っていた土岐くんが、人生を賭けてサクラホリックというサッカーバーをオープンしたことに、どれだけの強い決心と覚悟があったかは僕なんかには測るよしもない。

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【トシ・ヨシザワという男】

自分のことを書くのでこっぱずかしいですが、今回のテーマにも関わるので自己紹介を(自己陶酔的ですみません)。

僕は一般的に言うと楽な人生を歩んできたと思う。
高校時代は弱かったけれどサッカー部で楽しくサッカーをして、浪人はしたけれどいわゆるいい大学に入って、そこそこ有名な会社に就職して、海外駐在をして華やかな生活をしていた。
でも自分の人生の軸にあったのはいつもサッカーでありセレッソ大阪だった。
Jリーグに昇格した95年からスタジアムには通っていたし、スタジアムに次第に仲間も出来て、毎試合通うようになり、2000年の長居の悲劇も2005年の長居の悲劇も(何回悲劇あんねん!!)ゴール裏の中心で経験した。
生活の中心だったし、一生セレッソをゴール裏で応援し続けるものだと思っていた。

しかし就職して段々と毎試合行くことが出来なくなり始め、セレッソの試合を見に行けないことが辛くて、仕事もつまらなくて辞めたくて辞めたくて仕方がなかった。そんな時、サッカーに関わる仕事が出来ないかと悩んだことがあった。今のように気軽にインターンできたり、ネットでの多様な関わり方が出来る時代ではなかったので、サッカーに関わる仕事といっても、スポーツライター、勉強して代理人になる、サッカーショップ経営、クラブそのもので働く、程度しか経験や知識の少ない僕には思いつかなかった。どれもが面白そうではあるものの、しっかり収入があるのか?今までの経験を活かせるのか、勉強したことや時間が無駄にならないのか、覚悟をもって人生をやっていけるのか、など決心がつくものはなかった。そうこうしているうちに、だらだら働いていたものの段々と会社でも信頼されるようになり、目標だった海外転勤ができることになった(インドやけど笑)。自身の感情にも変化が現れ始め、(幸か不幸か)あれだけ嫌だった仕事も少しずつやりがいの持てるものになっていってしまった。

それでも残った違和感として、一生サラリーマンとして人生を終えていいのか。目標や夢があった学生時代の尖っていたころの思いをこのまま見えないものにしていいのかと葛藤が残っていた。

学生時代に話を戻すとサッカーをきっかけとして、僕はよく旅に出ていた。セレッソのアウェイは今では言えないようなせこい方法で遠征に行ったり、ひたすらキツイ夜行バス、18切符、大人な人たちの車に乗せてもらうなどして極力お金をかけずに行って、バイトで稼いだお金はすべて旅に使うような熱いヤツだった。
大久保嘉人に会いにスペインマジョルカ島まで行ったし、ドイツやアルゼンチンに行ってサッカー文化を学んだし、これまでサッカー絡みで行った国は50ヵ国にのぼる。
そこでホステル(=ゲストハウス)という文化を知り、いつか日本でこんなことが出来たらいいなとうっすら思うようになっていった。

インド駐在中、「いつかホステル経営をしたい」という思いがより色濃いものとなっていき、サッカー、セレッソに関わる何かをして貢献したいという思いが重なって「サッカー×旅×出会い」を表現するものとしてMad Cat Hostel Osaka & Barという形になりました。そして1年たった今、次のステップとして桜スタジアム目の前で土岐くんと協力して店をだそうというところが現時点の立ち位置です。


【これからのセレッソ大阪と僕たち】

土岐くんにとっても僕にとっても小さい頃から通っていた長居スタジアム。サッカーが好きで自分でもサッカーをしながらセレッソ大阪を応援するようになり、通い始めた長居スタジアム。一番最初は長居第二スタジアムだったし、長居スタジアム自体も今は名前が変わってヤンマースタジアムになり、キンチョウスタジアムが改修され、桜スタジアムとして来年リニューアルされる。
そんなスタジアムが目の前に見える場所に一緒に店を出せるなんて、なんと素晴らしいことなんだ!!!!

全く違う人生を歩んできた二人ですが、セレッソを応援して何か貢献したいという気持ちは同じで、それが形となってこうして店を出す。

昔長居スタジアムにチャリで通っていた中学生の自分に、「将来スタジアムの前に自分の店を出すよ」と言ったらなんて反応するだろう。

スタジアム前で店を出すのが夢だったわけではないけれど、こうして二人のうっすらと描いていた将来像が具体的になっていく。
人生いろんな形があるが、土岐くんも僕もセレッソのおかげでめちゃくちゃ豊かな人生になっています!

ってことで、皆さん、新サクラホリックに是非来てください。

ここまで書いて、まるで土岐くんと僕が一緒に店をやるように書いてますが、サクラホリックは土岐くんのものです。土岐くんがオーナーで社長で店長でマスターです。
僕はほんの少しお手伝いさせてもらっているだけ。

でも夢のようなプロジェクトのお手伝いをさせてもらえる幸せを、まだ知らない人にも共有したいと思ってここに綴りました。

ここまで長文にお付き合いいただきありがとう御座いました。
桜スタジアム目の前のサクラホリック。ここで一緒に歴史を創っていきたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします!

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トシ@Mad Cat

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