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『唄の世の中』(1936年8月11日・P.C.L.・伏水修)

 今宵の娯楽映画研究所シアターは、「ザッツ・ニッポン・ミュージカル」研究、アーちゃんこと岸井明さん主演の和製ミュージカルの最重要作品『唄の世の中』(1936年8月11日・P.C.L.・伏水修)。P.C.L.きっての音楽映画監督となる伏水修監督にとっては、エンタツ・アチャコの『あきれた連中』(1月15日)、古川緑波&徳山璉コンビの『歌ふ弥次喜多』(3月26日)に続く、この年デビューにして三作目。モダニストの本領発揮、ピカピカのアールデコ時代の流線型音楽喜劇となっている。

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 映画タイトルにもなった主題歌「唄の世の中」は、この年8月20日、ビクター・レコードから岸井明がリリースするジャズ・ソング。エドワード・ファーレイとマイク・ライリーが作曲、レッド・ホジソンの作詞で1935年に出版され、1936年にトミー・ドーシー楽団のレコードが大ヒットした“Music Goes Round and Round”に、佐伯孝夫が日本語歌詞をつけたカヴァー曲である。

 この年、日本ではこの“Music Goes Round and Round”旋風が吹き荒れていた。7月にはポリドール・レコードに移籍第一弾として、エノケンこと榎本健一さんが「エノケンの浮かれ音楽」としてリリース。そのカップリングは、短編漫画映画でお馴染みのベティ・ブープの「ベティの浮かれ音楽」だった。この『唄の世の中』のヒロインでもある、神田千鶴子さんもレコードに吹き込んでいる。

 なぜ、この曲が昭和11(1936)年に流行したのか? エノケンさんも岸井明さんも、ジャズ・シンガーとして、アメリカの最新の舶来ジャズをいち早くカヴァーしていた。そのネタもとは、レコード、外国客船のジャズマンが持ち込む楽譜、そして最新のハリウッド映画だった。ちょうど“Music Goes Round and Round”をフィーチャーしたコロムビア映画『粋な紐育っ子』(1936年・ビクター・シャツィンガー監督 出演・ハリー・リッチマン、ロシェル・ハドソン、ウォルター・コノリー)が、公開されたばかりだった。

 さてこの最新のジャズソングをフィーチャーした『唄の世の中』は、東宝の前身であるP.C.L.映画で大人気の岸井明&藤原釜足の“じゃがだらコンビ”の音楽喜劇として企画された。この二人はトーキー初期(といってもP.C.L.はトーキー専門会社として発足)『純情の都』(1933年)、『踊り子日記』(1934年)、『すみれ娘』(1935年)と多くの映画で共演。この年、本格的に“じゃがだらコンビ”と命名されることに。

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 もちろん本作は、これまでになく岸井明さんのレコード歌手、ジャズ・シンガーとしての個性を活かした企画。ビクターとの全面タイアップで、「唄の世の中」「楽しい僕等(インスト)」「ダイナ」「ほんとに困りもの」と、次々と歌ってくれる。動く岸井明さんがジャズソングを歌う作品としても、貴重なパフォーマンスの記録となっている。

 円タクの運転手・皿野皿吉(藤原釜足)とレビューガールの恋人・ヒロ子(神田千鶴子)、皿野の相棒・大野大助(岸井明)と東京駅前のガソリンスタンドの看板娘・コナミ(宮野照子)の四人が、とある日曜日郊外の遊園地「日本パラダイス」に遊びに行く。おそらくロケは多摩川園だろう。飛行塔、ウォーター・スライダー、回転木馬など、戦前のアミューズメント施設が晴れがましい。

 レビューのステージでは、レビューガールが、なんと岸井明さんの発売前の新曲「楽しい僕等 Sitting on a Five-Barred Gate」(1936年8月20日発売)のインストに合わせて踊っている! で、遊園地「日本パラダイス」には、「チェリーレコード宣伝吹き込み所」があり二円50銭で、客の歌をレコードに吹き込むサービスをしている。そこで大助(岸井明)とヒロ子(神田千鶴子)がデュエットで歌うのが、「楽しい僕等」のカップリングでもある岸井明&神田千鶴子さんの「ほんとに困りもの」(こちらがメインだが)。

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 というわけで、これからレコード発売される新曲ばかりが次々と登場する。この映画が封切られた時点ではまだ発売前かと考えるとドキドキする(笑)

さて、大野大助くんは、対処区間でのんびり屋だけど歌がめっぽううまくて、それが強みとなり「赤トンボレコード」新人歌手オーディションを、皿野くんの計らいで受けることになるが、大助くん「トンボが大の苦手」。それが玉に瑕で、トンボと遭遇(本物だけじゃなく、イラストや着物の柄)すると卒倒してしまい、いつも失敗ばかり。

 「赤トンボレコード」オーディションにやってきた大助くん。チェリー・レコードのスカウトマンのブローカー根津(瓣公)の前で、「唄の世の中」を披露する。このシーンが素晴らしい。丸の内のビルをまるでニューヨークの摩天楼のように、煽りで撮影、そこで岸井明さんがビング・クロスビーかミルス・ブラザースか?といったスマートさで唄う。もう、このシーンだけでも、この映画の存在価値がある。

 チェリー・レコードで、オーディションを受けることになった大助くん。ビング・クロスビーが映画『ラジオは笑ふ』(1932年・パラマウント)で歌った「プリーズ」(岸井明さんは1935年12月10日レコードを発売)を、これまたスマートに唄う。根津(瓣公)が社長(谷幹一)に「ビング・クロスビーかディック・パウエルか」と推薦するのがおかしい。

 また、ゲスト出演の渡辺はま子さんが、この年の9月に発売される「とんがらかっちゃ駄目よ」(作詞・佐伯孝夫 作曲・三宅幹夫)を大々的に披露する。曲の合間に「ノウ」というフレーズが入るが、これはこの年3月に発売して「ネエ」というフレーズが内務省から「あたかも娼婦の嬌態を眼前で見るが如き歌唱。エロを満喫させる」と指摘されレコード発売と歌唱を禁止された「忘れちゃいやヨ」「ネエ」「ノウ」に変えたもの。しかも歌い終わりに「忘れないでね」と渡辺はま子さんが、スカウトマン(瓣公)に言うのだ! 内務省のお達しを、まだ、さほど気に留めていなかったことがわかる。

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 この「とんがらかっちゃ駄目よ」が流れるシーンは、伏水修監督の音楽映画センスあふれる素晴らしい場面となっている。まず失業した岸井明さんが朝大いにクサりながら(1)「とんがらかっちゃ駄目よ」を歌っている。続いて、チェリーレコード社長・谷幹一(初代)さんが会社で渡辺はま子さんのレコードで(2)「とんがらかっちゃ駄目よ」を聞いている。そして昼、東京駅前のガソリンスタンドで岸井明さんが恋人・宮野照子さんの弁当をパクパク食べていると、「ちくま味噌」のチンドン屋が(3)「とんがらかっちゃ駄目よ」を演奏。その中で藤原釜足さんがバイト中。岸井明さんと宮野照子さんは些細なことで喧嘩、岸井さんが拗ねると、宮野さんが「♪ねえ、ねえ〜」と(5)「とんがらかっちゃ駄目よ」の替え歌を歌って宥める。さらに、チンドン屋は日比谷・有楽座から日比谷映画の前へ。日比谷映画(劇中ではアリラン劇場)では、アリラン舞踊団が(4)「とんがらかっちゃ駄目よ」のインストに合わせて舞踊団が踊っている。

 この“一つのナンバー”が次々と演奏、歌われて、町中で流行していく”構成は、この年12月1日に公開される『東京ラプソディ』のクライマックスで主題歌「東京ラプソディ」を藤山一郎さん、椿澄江さんが歌い出すと、その歌が町中に伝搬していくシーンでリフレインされている。そういえばここでも岸井明さんと藤原釜足さんがワンシーン歌うためだけにゲスト出演していた。

 この”歌が伝播していく手法”は、ハリウッド映画『ラ・ラ・ランド』(2016年・デミアン・チャゼル)のオープニング、ロサンゼルスの高速道路の渋滞でドライバーたちが歌って踊るのが連鎖していく"Another Day of Sun"でも使われていた。何もデミアン・チャゼル監督が伏水修演出を意識していたわけではなくて、両監督とも、ハリウッド・ミュージカル草創期の傑作『今晩愛して頂戴ナ』(1932年・ルーベン・マムリーアン)で、パリの仕立て屋でモーリス・シュバリエから次々と歌がバトンタッチされて、最後は郊外のお城のジャネット・マクドナルドが歌う"Isn't It Romantic?"の流麗なミュージカル・ナンバーの手法を意識したのである。

 ことほど左様に、この『唄の世の中』は、1936年の東京のモダン風俗がぎっしり詰まったタイムカプセルのような映画。クライマックスの屋外ステージのセット・デザインは、この年の1月に日本で公開されたばかりのフレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースのミュージカル映画『トップ・ハット』(1935年・R K O)の終盤、水の都ベニスのホテルのセットを意識している。本家に比べたらスケールは小さいが、そこで岸井明さんと神田千鶴子さんが「ほんとに困りもの」を歌い、岸井明さんが「唄の世の中」を歌う。バック・コーラスを務めるのは、吉本興業専属のアクロバティック・ダンサー、寺島玉章・玉徳・茶目のトリオ。さらに、このアールデコのセットで、アステア&ロジャース・スタイルの、益田隆さんと梅園龍子さんがゴージャスなデュエットダンスを披露してくれる。このクライマックスの「唄の世の中」は、レコードテイクを使用しているので、イントロからコーダーまで完全にヴィジュアル化されている。つまりミュージック・ビデオでもある!(笑)

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 この年、東宝と吉本興業が本格的に手を結び、吉本の専属芸人たちが次々とP.C.L.映画に出演。『唄の世の中』でも、和製マルクスで大人気の永田キング&ミス・エロ子の「スポーツ万才」が堪能できる。グルーチョ・マルクスそっくりのメイクで「吾輩は・・・」と曰うだけでなく、驚異の身体能力を生かしたアクロバティックな動きがたまらない。ちなみに相方のミス・エロ子さんは、永田キングさんの奥さんの妹さん。朝鮮民謡で人気だった裴亀子楽劇舞踏団が、ピカピカのアールデコの日比谷映画劇場をアリラン劇場という設定にして出演。寺島玉章・玉徳・茶目が、トンボレコードのオーディションで、これまた驚異的なアクロバティック・アンサンブルを見せてくれる。

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この映画が未ソフト化とは! なんたること! 

ああ、楽しき哉! ザッツ・ニッポン・ミュージカル!

なお「唄の世の中」は、佐藤利明 監修・解説のこちらのCDに収録しています!



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