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『女優と詩人』(1935年3月21日・P.C.L.・成瀬巳喜男)

 成瀬巳喜男研究。P.C.L.移籍第1作『乙女ごころ三人姉妹』(1935年3月1日)に次いで同月21日に封切られた『女優と詩人』(1935年3月21日・P.C.L.・成瀬巳喜男)をスクリーン投影。これは面白い。いまだに未ソフト化なのが残念。P.C.L.作品No.12とトップタイトルに出るのが晴れがましい。オール読物所載の中野実の原作を、『エノケンの魔術師』(1934年10月25日)の原作・脚本を手がけた永見隆二が脚色したシチュエーション・コメディ。

宇留木浩 千葉早智子

 山本嘉次郎監督の日活時代からの盟友で、この映画の前週『坊ちゃん』(3月14日・山本嘉次郎)で、日活多摩川からP.C.L.に移籍したばかりの宇留木浩の朴訥としたキャラクターを活かした企画でもある。近所の住人役で、当時、ラジオでも大人気の落語家・三遊亭金馬師匠が出演しているが、恐妻家、無類の酒好きで、酔っ払うと亭主関白になる。その芝居がおかしい。金馬師匠は、主題歌ならぬ主題落語「女優と詩人」をニットーレコードからリリースしている。

 舞台は東京高円寺(撮影はおそらく世田谷区)。主人公の家のそばを電車が走っているが、これは中央線ではなく、小田急線だろう。宇留木浩は、売れない童謡詩人・二ツ木月風を、飄々と演じている。例えていうなら、戦後の小林桂樹のような、二枚目ではないけど愛すべき男の元祖である。その妻で売れっ子舞台女優・千絵子には、P.C.L.生え抜きのトップ女優・千葉早智子。月風の風体は、いかにも詩人という感じで、着古しの着物に、メガネ、頭にはニット帽を被って、風采は上がらない。

 二人は、高円寺の借家で文化的生活をしているが、月風の原稿は全く売れずに、二ツ木家の家計は全て千絵子の稼ぎで支えている。二人世帯だけど、二階家で、空いた二階の部屋で、今日も、千絵子の劇団仲間、三島雅夫や宮野照子たちが本読みで集まっている。

千葉早智子

「げっぷう〜」と千絵子に呼ばれると、すぐに「はい」と用事を言いつかる。まさに逆転夫婦。千葉早智子は、いつものお嬢さんキャラではなく、女性上位時代を予見させるようなキャラクター。横柄な態度も「げっぷう〜」と夫を呼び捨てにする声もチャーミング。千葉早智子の「げっぷう〜」という声が耳に残る。

二階の役者たちがタバコを切らしたからと、彼らの重い思いのタバコ、みかん、お芋を買いにいく月風。買い物を忘れないように、原稿用紙にメモをするが、こうしたちょっとした仕草に月風の性格が垣間見える。

さて、月風が買い物に行ったタバコ屋の二階には、小説家を目指してサラリーマンを辞めてしまった能勢梅堂(藤原釜足)が下宿している。が、家賃を溜め込んでしまい、タバコ屋のおかみさん(新田洋子)に監視されていて、外に出ることもままならない。2階から屋根伝いに降りる梅堂を手助けする月風。売れない文筆家同士、仲の良い親友でもある。

というわけで、童謡雑誌に詩が掲載されても、全く原稿料にはならずに、カステラの菓子折りとお礼状で、ゴマかされている月風は、稼ぎ頭の千絵子には頭が上がらず、基本的に敬語である。

この映画のコメディリリーフというか、トラブルメーカーとして登場するのが、近所のおばちゃん・お浜さん。演じるは、僕らの世代でもテレビドラマや映画でお馴染みだった戸田春子。噂話が大好きで、何かと月風に「ニュース」を教えてくれる。シチュエーションコメディには欠かせない「かき混ぜ役」でもある。のちの映画やドラマでの戸田春子さんのキャラクターが既に確立している!

 月風の家の前の空き家に、ようやく若夫婦が引っ越してきたから「お蕎麦が食べられますよ」と期待に胸を膨らませている。戦後、昭和30年代ぐらいまで、引っ越しをすると、挨拶がわりに近所にそばを振る舞うのが、東京の風習でもあった。成瀬巳喜男の『驟雨』(1955年・東宝)でも、梅ヶ丘の住宅に越してきた小林桂樹と根岸明美の若夫婦が、隣家の佐野周二、原節子夫婦の家に「そば券」を振る舞う。

 さて、お浜さんに促されて、向かいの家の若夫婦の様子を探る月風とお浜さん。引っ越してきたのは「訳あり」な、佐伯秀男と神田千鶴子のカップル。どうやら駆け落ちしてきたらしく、世帯道具もなく、生活感もない。畳がざらついていて、掃除をしたいけど、掃除具がない。その会話を聞いた月風、家から箒とバケツ、雑巾、掃除道具一式を持って、挨拶に。その後ろ姿に「鴨南蛮」ぐらいにはなりますよ、と。あくまでも「引っ越しそば」にこだわっているのがおかしい。

 舞台公演を控えた千絵子は、リハーサルに出かけて帰ってこない。そこへお浜さんがやってきて、亭主の晩酌の相手をして欲しいと、月風を誘う。そのとき、台所を見渡したお浜さん。千絵子が買ってきたであろう、高級缶詰を、酒の肴になるからと「借りるわね」と次々と持っていってしまう。確かに味噌、醤油の貸し借りは、下町では常態化していたが、この厚かましさ。それも笑いになっている。

3代目・三遊亭金馬

 さて、お浜の亭主、花島金太郎(三遊亭金馬)は保険外交員。とにかく酒好きで、落語の登場人物のようなキャラとして登場。晩酌をしながら蓄音器で浪曲を聴くのが何よりも楽しみ。せっかく、上機嫌で飲んでいるのに、お浜が、越してきた新婚夫婦に保険の勧誘をしてこいと命じ、渋々と向かいの家に。金馬師匠による勧誘がおかしい。意外なことに、若い男(佐伯秀男)はあっさりと保険に加入。大喜びの金太郎、家に戻ると、酒屋でビールを頼んでこい、魚屋で刺身を三人前あつらえてと、急に亭主風を吹かせる。

 エノケンやロッパの映画のように、このシークエンスは、喜劇人としての三遊亭金馬をフィーチャーしてのアチャラカ喜劇的な展開が楽しい。

 しこたま酔って帰った月風。いつも女房に頭が上がらない自分に嫌気がさして、家に飾ってある千絵子の写真の入った額を投げたり、大暴れ。そのまま突っ伏して寝込んでしまう月風。千絵子が帰ってくると、月風は寝言でストレスを吐き出している。それを見て見ぬふりする千絵子は、月風の布団をそっと用意して、自分は隣室に布団を敷く。

 横柄に見えていて、千絵子は、結婚以来、一度も不満を口にせず、夫婦喧嘩もしない月風に不満を感じていた。もっと本音でぶつかってほしい。そう思っているけど千絵子も、この生活に慣れてしまっている。朝10時過ぎても布団の中の千絵子。月風は甲斐甲斐しく朝食の支度をしている。翌日、舞台の初日でナーバスになっている千絵子は、月風に台本を私て、芝居の稽古に付き合ってほしいと頼む。

 その台本が、派手な夫婦喧嘩のシーンで、最初は棒読みだった月風も、千絵子のいうままに演技をし始めて、どんどんエスカレートしていく。ここは中野実の原作の味でもあるが、芝居のセリフと喧嘩のシチュエーションが、二人のストレスの発散になっていく。そこへ梅堂が、本当の喧嘩と勘違いして、仲裁に入る。

 実は梅堂、下宿代を溜めて、タバコ屋を追い出されることになり、月風の家の二階を借りようと勝手に決めていて、人の良い月風も、押し切られるように承諾する。しかし、面白くないのは千絵子。日頃の、月風のお人好しで、自分の意見も言わない態度にイライラしていたので、ここで怒りを爆発させてしまう。

そ こから千絵子と月風。本当の喧嘩を始めることになる。その会話が、先ほどの芝居のセリフと全く同じ。シチュエーションがシンクロ。ハリウッドのスクリュー・ボール・コメディのような味わい。ついに風月が、千絵子に手を挙げてしまう。ああ、これで夫婦仲も終わりか? 千絵子も月風に平手打ち! 今度も芝居の稽古だと、思い込んで、庭先で見物している梅堂。途中から、お浜さんもやってきて・・・

 わがままな女房を平手打ちして、貞淑な妻に・・・というパターンは、この頃のハリウッド・コメディの定石でもあり、最後は千絵子が甲斐甲斐しく月風の世話女房となる、というオチも、そのパターンである。

 この若夫婦と対称的なのが、引っ越してきた訳ありのカップル。男は保険会社のサラリーマンで、女はダンサー。男は女との交際のために、遣い込みをしてしまい、どうにもならなくなり、心中してしまう。困ったのは金太郎とお浜さん。被保険者が死んでしまうと、保険金を支払わねばならない、会社に損害を与えてしまうので、気が気ではない。果たして? この二組のカップルの対比こそ、のちの成瀬映画に通じるアイロニー。

 松竹蒲田喜劇を思わせるシチュエーション・コメディで、最初から最後までとにかく面白い。三遊亭金馬師匠の動く姿を味わえるのも、本作の魅力。さて、本作は戦後、昭和32(1957)年、東京映画で、三木のり平が二ツ木月風、淡路恵子が千絵子を演じ『月と接吻』(1957年8月20日・東宝・小田基義)としてリメイクされている。能勢梅堂を千葉信男、花島金太郎を昔々亭桃太郎、心中男女を逗子とんぼと恵ミチ子が演じている。

リメイク「月と接吻」淡路恵子、三木のり平


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