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『野良猫ロック 暴走集団’71』(1971年・藤田敏八)

 シリーズ最終作『野良猫ロック 暴走集団’71』(1971年1月3日)は、それまでの長谷部安春監督による「野良猫ロック」が女の子たちの物語だったのに対し、主役はドロップアウトしたおじさんヒッピーとなっている。藤田敏八監督としては、『野良猫ロック ワイルドジャンボ』(1970年8月1日)、渡哲也と原田芳雄の『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』(1970年10月24日)に続く作品であり、本作の主役は引き続き原田芳雄が演じている。

 この時、原田は三十才。俳優座の俳優として舞台やテレビで活躍していたが、「野良猫ロック」が連作されていた1970(昭和45年)夏、沢田幸弘監督の『反逆のメロディー』(7月22日)で、素肌にGジャン姿のアウトローヤクザを好演。地井武男、梶芽衣子、藤竜也と共に、日活ニューアクションで重要な役割を担っていた。特に『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』での浮遊感のあるアウトロー像は、強奪したヘリコプターで何処へか去って行くニューシネマ的なラストと相まって、これまでの日活アクションの概念を軽々と打ち破った。

 その縁もあって、藤田敏八と意気投合、『野良猫ロック 暴走集団’71』への主演となった。原田は新宿西口公園でヒッピー生活を送っている集団のリーダー格のピラニア、略してピラ。褞袍(ドテラ)姿が印象的だが、途中まで撮影しているうち、ラッシュ試写を観た、日活上層部は「日活映画の主役が、なぜ褞袍なんだ!」と逆鱗。結局、途中から丈を短くしたものに変更したという。

 時代は「モーレツからビューティフルへ」。長谷部監督による前作『野良猫ロック マシンアニマル』でも、藤竜也が平和主義のインテリを演じていたように、本作の主人公たちは「暴走集団」でもなく「不良」でもなく、ヒッピーとして理想的な共同生活している。だからネクロ(常田富士男)のような子持ちもいれば、ジョン・レノン気取りのマッポ(藤竜也)もいるし、ガッペ(夏夕介)のような若者など様々な連中がいる。

 映画の前半、本筋とは関係なく、このヒッピーたちの生活が、実に楽しい雰囲気で繰り広げられる。週刊誌の記者の取材を受けて、インチキなヒッピーライフを、金をとって見せたり、女は抜きだと男たちだけで鍋をつつきに、夜の街に繰り出したりする。『野良猫ロック ワイルドジャンボ』の海辺の合宿シーンと同じように、藤田映画ならではの楽しさに溢れている。

 物語を転がして行くのは、こうしたヒッピーの仲間で、地方の有力者の息子でドロップアウトしてきたリュウメイ/隆明(地井武男)と、その恋人・振り子(梶芽衣子)に襲いかかる災厄。隆明の父・荒木義太郎(稲葉義男)の差し金で、暴走集団ブラックSSが隆明を連れ戻そうと襲撃する。このブラックSSは、総統(郷○治)、ゲッペルス(藤木孝)、ヒムラー(前野霜一郎)、ヘス(安岡力也)など、ナチス親衛隊を連想させるネーミング。このいざこざで、隆明はヘスを刺殺。そのナイフが気を失っている振り子の手に握らされていたために、振り子は感化院送致されてしまう。一方の隆明は、父親のもとへ強制送還させられ、徹底的な右翼教育を受けて、思想改造させられる。

 やがて振り子が、妹分のアヤ(久万里由香)と共に、感化院を脱走。真実を知るために、隆明の住む町へと向かう。さらに、ピラたちも空気の良いところに移動しようと、隆明奪還闘争のために、エコロジカルな自転車で田舎に向けて出発。伊豆でのロケーションでは、連日、連夜、スタッフやキャストによる酒盛りが慣行され、映画の内容についてのディスカッションが行われたという。このスタッフのなかで、若手の助監督として藤田組についていたのが長谷川和彦監督。脚本の永原秀一も同行して、現場でどんどん台詞が変更されていったという。本作に通底している自由な気分は、それまでのプログラムピクチャーの作り方とは違う、監督以下スタッフたちの若いエネルギーによるところが大きい。劇中、トラックの荷台で演奏しながら登場するザ・モップスの「御意見無用」は、そうしたエネルギーを感じさせる。

 クライマックスは、伊豆にあった西部劇のテーマパークで、文字通り、西部劇の砦を守る戦いとなっていく。それまでユーモラスに、自由な気分が横溢していた作品が、一気にヴァイオレンスな世界となっていく。仲間を裏切った隆明に対するリーダーのピラの冷ややかな態度。対立、反発しながらも父親に対する「甘え」と「ひとりよがり」から、隆明は「僕が戦争を終わらせる」と思い上がって、敵に投降する。その隆明に対し、ピラは「判ってねぇなあいつ」と怒りをあらわにする。

 そこから一気に破滅に向かって突き進んで行く。凄惨ななかのユーモア。ユーモアのなかの悲劇。ラスト、何も知らずに遊んでいるネクロの息子・マー坊(鈴木利哉)の無邪気さ。これはシリーズ最終作であると同時に、『八月の濡れた砂』(1971年8月25日)へと続く、藤田敏八映画が本格的に動きだす原点の作品でもある。

そしてなんと言ってもモップス! GSからニューロックに転身して「ご意見無用」をシャウトする鈴木ヒロミツ! 時代の気分がフィルムに焼き付けられている。この映画のすぐ後に「月光仮面」をカヴァーして、再ブレイクを果たすこととなる。

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