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娯楽映画研究家「ブギウギ」日記PART6

娯楽映画研究家「ブギウギ日記」PART6 第19週&第20週

第18週   あんたと一緒に生きるで 1月29日〜2月2日


あんたと一緒に生きるで  #1

今週も足立紳脚本。1947(昭和22)年元旦。スズ子と山下二人だけで静かな正月。部屋にかかった愛助の丹前。切ないなぁ。病床の愛助は「ジャズ・カルメン」公演中には必ず東京へ戻ると約束。お腹の子は絶対にててなし子にはさせないと手紙。

この辺りの笠置シヅ子さんの心情と史実は彼女の自伝に詳しく書かれている。リハーサルの見事な出来に羽鳥善一は「やっぱり恋をしている人は違うね。こっちまで恋をしたくなる」と大満足。稽古にも東看護師(友近)が立ち会って万全の体制。

稽古場から出るスズ子をゴシップ雑誌の記者が抜き打ちで撮影。それが記事に。「父親は一体誰?」いつの世も同じ。スズ子は、そんな写真を取られても愛助に会いたい気持ちでいっぱいと平然。愛助はその記事を見てスズ子が元気なのを知るのもいい。

一方、大阪では愛助がトミと対峙。「なんでそう頑なやねん」トミは「ほんまの家族の家族になってほしかっただけ」「ほんまの家族は同じ方を向いている」愛助とスズ子はそれぞれ違う方を向いていると非難する。本当の家族とは?

これが「ブギウギ」の大きなテーマ。愛助「そっぽなんか向いてへんわ。お互いが前を向いているだけや」とスズ子も自分も夢に向かって生きていると。「それでええんやんか、家族でも違う人間やろ」その通り!みんな違っていていい。それだけのこと。

「家」にこだわるか「個であり続けるか」。トミは黙って病室を出ていく。スズ子の届いた愛助からの手紙は、彼女への気遣い、思いやりに溢れている。それが「愛」、それが「家族」なのだよトミさん。スズ子は手紙に励まされ、いよいよ初日。

カルメンの衣装を纏ったスズ子に、羽鳥は開口一番「いやー似合ってるじゃないか。腹ぼてなのがらしくていいや」と無神経なことを言うが、それが許されてしまう屈託のなさ。医師は「舞台で産気づいても我々がいるから」と。そして幕が開く。

「カルメン」のアリア「ハバネラ」を羽鳥善一がアレンジしたステージ。日帝のダンサーたちのアンサンブルが、日劇ダンシングチームっぽくなっている。振付もダンサーの動きもSGD時代とは違う。この微妙な違いが嬉しい。紛れもなく戦後のステージ!

スズ子の歌も踊りも風格すら感じられる。男性ダンサーたちが本当にNDT(日劇ダンシングチーム)的なキレを見せてくれる。オケボックスの羽鳥もイキイキとしている。朝から良いものを見せてもらってます!

今週末、2月3日(土)。娯楽映画研究家は、山梨県甲府市中央1-4-4TO-CHI(春光堂書店隣り)で「笠置シヅ子ブギウギ伝説」佐藤利明トークライブに出演。13時開場、13時30分開演。参加費2000円。笠置シヅ子さんの音楽人生を様々な資料と共にたどっていきます!

あんたと一緒に生きるで  #2


足立紳脚本の濃密な15分。妊娠六ヶ月で挑戦した「ジャズ・カルメン」好評で絶賛の嵐。楽屋で羽鳥善一は大興奮。「これからは妊婦の役で行こう」などと屈託のなさがいい。しかし愛助の病状は進み、舞台を見に来ることができない。切ない、切ない。

大阪と東京、病床と舞台、二人を繋ぐ手紙のやり取り。愛助「風邪をひいてしまったんや、アホや、東京行きは断念するわ」と背いっぱいの気遣い。スズ子「帰ってきたら、たっぷり責任とってもらいますからね。会いたかった。会いたかった」…
お互いを思いやりながらの気持ちのやり取り。お腹の赤ちゃんも「ほんまに怒ってますよ。わても怒ってますで」とスズ子。愛助と会えないまま迎えた千秋楽の楽屋に茨田りつ子がやってくる。いつものような毒舌の応酬に二人の友情が感じられる。

「あんたのお母さん、めちゃくちゃよね」とお腹に声をかけるりつ子。そこで初めて「私、子供産んでいるのよ。あなたに会うちょっと前よ」。彼女がシングルマザーであることを知るスズ子。歌手として生きるために、田舎の母親に子供を預けて十年…

視聴者も「え!」と驚く展開だが、これも史実。笠置シヅ子が上京した1938(昭和13)年、淡谷のり子はシングルマザーとなった。「#ブギウギ」が見事なのは、そのエピソードをこのタイミングで出してくること。そういえば第1話のトップシーン。

「東京ブギウギ」を歌う直前、出産直後のスズ子が、楽屋で赤ちゃんを抱えながら『好きや、好きやで~』。そこにりつ子がやってきて、『ほら、さっさと行きなさいよ。あなたの下手な歌をお客さんが待ってるでしよ?」と赤ちゃんを抱く。羽鳥善一の「3・2・1・ゼロ!」が初めて登場したシーンだが、ここでシングルマザー同士の連帯がちゃんと描かれていた。壮大な前振りでもあった。

昨年12月の週刊現代の「淡谷のり子」記事で娯楽映画研究家は、こんなコメントを寄せている。
《この第1話のシーンが、二人の物語の伏線となっているのです。
暗い世相のなかでも、二人の歌手の活躍によって戦後日本に小さな明かりが灯される。悲惨な戦争を笠置と淡谷がどう生き延び、どう認め合っていくか…その過程が『ブギウギ』後半最大の見所となるでしょう」》

この未来予測が、今日のオンエアを見ていて「キタキタ」となりました(笑)まあ、史実通りなので、当然ではありますが。そして千秋楽「ジャズ・カルメン」の「ハバネラ」。やっぱりいいなぁ、戦後の日劇のステージの匂いがする。この辺りの再現が本当に見事で、感心、感心。いいなぁ。
しかし、愛助からの手紙が、やがてハガキに変わり、その病状を心配するスズ子。明日の放送も目が離せない。

今週末、2月3日(土)。娯楽映画研究家は、山梨県甲府市中央1-4-4TO-CHI(春光堂書店隣り)で「笠置シヅ子ブギウギ伝説」佐藤利明トークライブに出演。13時開場、13時30分開演。参加費2000円。笠置シヅ子さんの音楽人生を様々な資料と共にたどっていきます!

あんたと一緒に生きるで #3

1947(昭和22)年5月。この月、3日に日本国憲法が施行され、「戦争はごめんだ」という庶民の気持ちが具現化され、街角にはホッとした空気が流れていた。その頃、スズ子は臨月を迎え、愛助の状況がわからないまま、不安な日々を過ごしていた。

大阪の愛助の病状はかなり重篤。スズ子を心配させまいとハガキに「もうすぐ帰れます」と書くのがやっと。いてもたってもいられないスズ子は医師に「大阪に行きたい」と申し出るも「認められないな」と。この時代、東京と大阪の距離は遠い。

大阪。さすがの矢崎もトミに「ボンと福来さんを合わせてあげた方がよろしいのでは?」と進言する。しかし愛助は今の自分の姿を知ったらスズ子は心配しておかしくなってしまう。「せやから絶対内緒や」と固辞する。隔靴掻痒とはこのこと。

不安なスズ子の支えになってくれるのが、羽鳥善一夫人・麻里。「何もできないけど、話すことで少しでも楽になるんだったら」。この気持ちが何より。長男・カツオ出産の時に、羽鳥がいかに役に立たなかったか。笑い話だけど気が楽になる。

今日の展開はストレートで、1947年5月、臨月を迎えて不安の日々を過ごしていた笠置シヅ子の状況をそのままドラマにしている。この時の事は彼女の自叙伝に詳しく、その気持ちまで克明に記されている。視聴者はスズ子が知らない愛助の状況も同時進行で描かれる(ドラマだからね)

ひとりぼっちの家で、愛助の丹前を抱きしめて「愛助さん、動いてるやろ、この子もお父ちゃんに会いたい、いうて待ってるで。絶対、ようならんと、あかんで」とスズ子。今週は辛い展開でありますなぁ。

このつらさ、悲しみから「生きる」ために立ち上がっていった笠置シヅ子。それをサポートした服部良一先生。そして「東京ブギウギ」の誕生… まで、あと少しなのだけど…

さてさて、今週末、2月3日(土)。娯楽映画研究家は、山梨県甲府市中央1-4-4TO-CHI(春光堂書店隣り)で「笠置シヅ子ブギウギ伝説」佐藤利明トークライブに出演。13時開場、13時30分開演。参加費2000円。笠置シヅ子さんの音楽人生を様々な資料と共にたどっていきます!

あんたと一緒に生きるで  #4

愛助からのハガキ。短いが、無理して明るく振る待っている。スズ子もわかっている。愛助の丹前に「(返事)待っててくださいよ」と話しかける。大阪の病室。トミに「ぼくがお母ちゃんの子で、ほんま良かったわ。ありがとう」と感謝を伝える。

「せやけどな、僕はスズ子さんと結婚するで。僕は、あの人の明るさに救われたんや。あの人は、僕の人生を明るうしてくれた、唯一の女の人や」。トミたまらず「そやたら病気治し、病気治したら、なんでも言うこと聞いてやるわ」とようやく…

いいシーンだけど、もっと早くトミが認めていたら…とつい思ってしまう。運命の苛酷。史実を再現しているのだけど、足立紳脚本は、大阪の愛助と、東京のスズ子。を同時に描いていく。「生命の終わり」と「生命の始まり」…

二つの、いや三つの「生命」。それが心で繋がっている。それをストレートに提示している。史実では頴右が亡くなり、それを知って絶望のなか、笠置シヅ子は赤ちゃんを産んだ。その病室には、シヅ子の希望で頴右の丹前が掛けられていた。

彼女の自伝のクライマックスである。それを「生と死」を同時に描く形に。感涙を誘う。往年の映画のようなストレートさが、愛助とスズ子の「愛」を際立たせている。坂口と山下、そして大阪の矢崎、それぞれがそれぞれに「二人」への想いを表現。

死の悲しみと生の喜び。愛助が亡くなり、呆然と佇むトミを捉えたショット。無事出産をして、赤ちゃんを見つめて「あんた、無茶苦茶、かいらしいな」と幸せに包まれるスズ子。それぞれの病室で、対照的な二つの「母と子」が描かれる。しかし切ない。

いよいよ明後日!

2月3日(土)

娯楽映画研究家は、山梨県甲府市中央1-4-4 TO-CHI(春光堂書店隣り)で「笠置シヅ子ブギウギ伝説」佐藤利明トークライブに出演。

13時開場

13時30分開演

参加費2000円。

笠置シヅ子さんの音楽人生を様々な資料と共にたどっていきます!

あんたと一緒に生きるで  #5

今日は最初から最後まで涙腺決壊。出産して二日。スズ子は赤ちゃんを抱いて幸せに包まれていた。羽鳥の「赤ちゃんはいいね、何もしなくても褒められるんだ。羨ましいな」とニコニコ。この人、本気で言っている感じがいい。草彅剛に救われる。

スズ子には愛助の死をまだ知らせていない。坂口も山下も辛い。やっとの思いで山下「ボンは亡くなりました」と伝える。激しいショックを受けるスズ子。ベッドの上には愛助の丹前。矢崎が愛助がスズ子名義で貯めていた通帳と最後の手紙を渡す。

「なんでやろ、なんでワテの大切な人は、早ういなくなってしまうんや」。ツヤ、六郎の思い出が視聴者にも過ぎる。どこまでもストレートに、悲しみを描いていく。坂口も山下も、それぞれの悲しみを抱き、堪えている。「ワテも死にたい」とスズ子。

その言葉に山下「辛いんは、あんただけやおまへん」と自身の感情をぶつける。自分も坂口も、矢崎も、何よりもトミも悲しいんだ。「ほんまに、ほんまに、ぼんのぶんまで生きられるのは福来さん、あんたしかおまへんのや」と強い口調で言う。

この山下の言葉は、愛助の思いであり「#ブギウギ」のテーマである。笠置シヅ子さんが悲しみのどん底から立ち上がり「東京ブギウギ」で日本中の人々を明るく照らした。その原動力となるのが「生きるんだ」のチカラ。

愛助からの手紙を読む。封筒には、最初で最後の箱根旅行の写真。「つらいことがあったら、歌ってください。そしてスズ子さんの横にいる赤ちゃんを見てください。その子は僕らの宝物や。その子と一緒に生きてください」。

「愛子、愛助さん、愛子、愛子」スズ子泣きながら愛子を抱く。「ごめんやで、愛子、お母ちゃんな、あんたと一緒に生きるで。な、愛子」。今週のタイトル「あんたと一緒に生きるで」である。そこでスズ子が初めて笑う。赤ちゃんに「可愛いな」と。

スズ子は愛助の「生きてください」で救われていく。スズ子は「ラッパと娘」を口ずさむ。「楽しいお方も、悲しいお方も」。愛助が命名した愛子、スズ子、愛助の三人が縁側で楽しく過ごしている。夢の中である。「素敵なこの歌」スズ子、微笑む。

服部良一が作詞、作曲をした「ラッパと娘」の歌い出しが、これほどまでに沁みるとは!悲しみのどん底から、スズ子が再びたちがっていく。復活への転換を丁寧に、本当に丁寧に描いている。これぞ音楽のチカラ、歌のチカラ、愛するチカラである。

来週はいよいよ、日本中に「ブギウギ」旋風を巻き起こすことになる「東京ブギウギ」誕生!予告ではコロムビア(コロンコロン)のスタジオに米兵が集まってのレコーディング場面も再現されていた。これは楽しみ、楽しみ!

いよいよ明日! 2月3日(土) 娯楽映画研究家は、山梨県甲府市中央1-4-4 TO-CHI(春光堂書店隣り)で「笠置シヅ子ブギウギ伝説」佐藤利明トークライブに出演。 13時開場 13時30分開演 参加費2000円。 笠置シヅ子さんの音楽人生を様々な資料と共にたどっていきます!

第19週 東京ブギウギ 2月5日〜2月9日

東京ブギウギ #1

1947(昭和22)年9月。愛子が生まれて三月。スズ子は一人で子育てに奮戦。愛助の写真に手を合わせてしんみり。泣きそうになるも「あかん、あかん、魚焼こう!」とポジティヴに切り替える。これぞスズ子!とはいえ授乳やオムツとてんてこ舞いの忙しさ。

マネージャーの山下がそろそろ仕事を、とやってくる。「ワシは、スズさんと愛子ちゃんの一生面倒見ていくとボンに誓いました」スズ子の歌をみんなが待っていると。「なんか焦げ臭いでっせ」案の定、魚が真っ黒焦げ。愛子が「アー」と泣き、スズ子が「ぎゃ〜」

この「サザエさん」的な日常のおかしさが戻ってきた。愛子の世話で歌どころではない現実。あまりの大変さに「お母ちゃんも悲しいなるわ」とヘトヘト。愛助の写真を見て、泣き出しそうなスズ子。「あかん、あかんがな」「ちゃうで」とすぐに切り替える。

ある日、大阪から村山トミがやってくる。玄関に着くなり「おばあちゃんやで」と破顔して愛子を抱く。「ええ子や」と柔和なトミ。ここからの二人のやり取り、いいなぁ。トミ「ワテは間違うてたんやろか。愛助が死んでから、そればっかり考えてますのや」と心情を語る。

自分は亡夫と「同じ夢を見て」村山興業を盛り立ててきた。そのための苦労は厭わなかった。それが「ええ夫婦、ええ家族」だと思っていたが愛助は違っていた。「ワテは最後まで(二人を)許さへんでしたわ」といささかの後悔の念。

それに対してスズ子は「お母さんは間違うてないと思います」「愛助さんも間違っていません」「家族や夫婦に間違いなんてないと思います」ときっぱり。このセリフ、このシーンの趣里の表情が見事。僕らが「ブギウギ」が好きなのは、これがあるから!

トミは史実通り、愛子を「引き取って育てたい」と。スズ子は「愛子は私が育てます」。ここからは「ブギウギ」世界線。トミ「そういうと思いましたわ」「男親なしに育てるのは並大抵ではありまへん」が「あんさんは、ワテ以上に、向かっていきそう」と(笑)

対立が融和となり、幸福感溢れる瞬間となる。スズ子「もうあかん思うたら、その時はどうか、助けてください」と素直に。「愛子は孫やで、あんさんとワテは、おんなじ男をとことんまで愛した仲や」とトミ。ここで二人は「同じ夢」を見ることに…

しかもトミは「また、歌うてくださいね」「それに、ワテはほんまにあんさんの歌のファンや、あくまでも歌やで」と。スズ子を応援する。予定調和なのだけど、こういう幸福な瞬間のためにドラマや映画はあると思う。

「歌って踊るのがスズ子さんの幸せやろ」と愛助の言葉。トミの「また、歌うてくださいね」。皆の想いに応えなあかん。スズ子「ワテ、そろそろ歌わな」と決意。やー、久しぶりにホッとする。いよいよ世紀の歌「東京ブギウギ」誕生へ!

東京ブギウギ #2

名曲誕生までのカウントダウン回。スズ子は愛子を連れて羽鳥家へ。末娘のイネ子が「おかあちゃま、私も赤ちゃん欲しい」と無邪気に。羽鳥も「男・女・女と来ているから、もう一人男の子もいいな」とこれまた無邪気。草彅剛ののほほんとしたキャラがいいね。

麻里はスズ子が一人で頑張り過ぎなのが心配。サポートを申し出る。スズ子は「ワテに新曲を作って頂けないでしょうか?」と羽鳥に頼む。びっくりする羽鳥。今までとは勝手が違う。これも史実通りなのだけど、草彅剛のリアクション。まさに鳩が豆鉄砲(笑)

ここから羽鳥は真剣に楽譜に向き合うが、いつもなら自分のアイデアの実践の場としての福来スズ子の新曲だったのだけど、今回は勝手が違う。なかなか曲想が湧いてこない。一方、麻里は、愛子が熱を出したこともあって、スズ子の家に手伝いに行く。

子育て中の母親は「休むこと」も大事な仕事。それを一番わかっているのは麻里。スズ子は大の字になって寝る。麻里は「センチメンタル・ダイナ」を歌いながら、洗濯、掃除、料理をテキパキとする。スズ子目覚めて、台所の麻里を見て、お母ちゃん・ツヤを思い出す。

スズ子が見た夢。ツヤとトミが「亀を捨てる捨てへんで」揉めていた。変な夢だけど、二人の母親が登場して、亀を捨てるか否か。亀は子供の暗喩だろう。スズ子の深層心理がチラリと。しかし明快な説明をしない。これが足立紳脚本の「味」。時々ドキッとする。

麻里とスズ子は食事をしながら子育ての苦労話。大先輩の麻里は平然と「(赤ん坊は)泣かしといたって、死にゃしないのよ」よ。頼もしい一言だけど、スズ子は一瞬、黙る。「死」という言葉に敏感。それが一瞬だけ。

さりげない、何気ない会話やエピソードに、スズ子の「抱えていること」が垣間見える。誰もが抱えている屈託。明るい日常のなかにチラッと。さてさて、羽鳥は譜面に向き合ったまま。「#東京ブギウギ」誕生まであとわずか!


東京ブギウギ #3

育児で大変なスズ子の家に、香川から父・梅吉(柳葉敏郎)がやってくる。戦時中以来の登場。相変わらずのキャラでマイペース。「新聞の集金半年分です」とボケて家に入ると、本当の集金人がいて、間の悪いところも変わらない。喜劇映画でいうと伴淳的な(笑)

それでも「愛子の面倒はお父ちゃんに任せて、お前はゆっくりしいな」と気持ちは羽鳥夫人・麻里と変わらない。でもオシメも変えられない「#ブギウギ」久々に料理の腕を振るうも「恩着せがましい」ことこの上ない。でもそれが楽しい。

夜、縁側で久々の親子酒。早くに妻を亡くした父と、夫を亡くしたばかりの娘。梅吉の「もっと気楽にせなあかんで」のアドバイス。「辛かったやろ」娘を気遣う。未だにツヤを失った悲しみを引きずっている梅吉。「ほんまに、可哀想やなワシ」「自分かいな」(笑)

梅吉は香川で写真館をやって成功。ちらっと「水着のおなご…」と漏らすのがおかしい。この頃、ストリップ・ブームもあり、水着写真コンテストや、モデル撮影会が繁盛していた。お父ちゃん、そんなことしてるんだね(笑)

カメラを持ってきた梅吉。スズ子、愛助(写真)、愛子の家族写真を撮ってくれる。翌朝、スズ子のたくさんのお金を渡して香川へ帰る梅吉(懐から自前の花吹雪・笑)楽しいけど、少し寂しい。小津映画でいうと「家族写真を撮った後は…」の故事を連想してしまう。

一方、羽鳥は白紙の譜面を前に、スズ子とのこれまでを思い出す。走馬灯のように。SGDでの出会い。引き抜き騒動。「大空の弟」の初演の時の「福来くん、しっかりしなさい」のシーンなどなど。スズ子の「もう一度、歌いたい気持ちになったんです」に応えたい。

夜の電車。史実では霧島昇「胸の振り子」録音の帰途のこと。中央線の振動に、ブギのリズムが重なり、メロディーが浮かんできて、思わず荻窪で下車。駅前の喫茶店に飛び込んで「ナフキンをください」と譜面を書いた。というエピソードを再現。

ドラマでは、電車の乗客たち。疲れた母子、復員兵、誰もが疲弊している。「そっか、再起しなきゃならないのは、君だけじゃないんだよな」。そのショットを入れることで、これから生まれる「#東京ブギウギ」の果たす役割を感じさせてくれる。

喫茶店に飛び込んで一心不乱に譜面を書く羽鳥。草彅剛のベストアクト!いいねぇ!羽鳥はそのまま、スズ子の家へ。縁側から現れて、興奮状態のまま、ナフキンの譜面を渡す。「これ、君の歌だ」「すごい歌が出来てしまったよ!」

「これは君の復興ソングだけじゃなく、日本の復興ソングになるんだ」世紀の歌が浮かんだ夜、大興奮の羽鳥善一。このシーンのために草彅剛をキャスティングしたんじゃないのか(笑)音楽伝記映画で名曲誕生の瞬間に鳥肌が立つことがあるが、まさにそれ!

このエピソードは拙著「笠置シヅ子ブギウギ伝説」(興陽館)のハイライトでもあるが、通販生活「オトナの歌謡曲」でも「#東京ブギウギ」について書いたコラムはこちら!

https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/otonakayou/006/

東京ブギウギ  #4

いよいよ世紀の歌、誕生。今最初から最後までハイテンションの羽鳥善一。草彅剛がイキイキというか、ノンストップなパワーで嬉々としているのがいい。鈴木ちゃん、と劇中で言われている作詞家は、鈴木勝のこと。かの鈴木大拙の養子でスコットランドのハーフ。

戦時中は同盟通信の記者をしていて、戦後は進駐軍の通訳もしていた。羽鳥はスズ子に「鈴木ちゃん知ってるだろ。あの牛乳瓶みたいなメガネの」と言うもスズ子は??? で結局、鈴木ちゃんは出てこない(笑)GIをスタジオに呼んでという山下のアイデア。

史実では、内幸町のコロムビアのスタジオの近くに米軍クラブがあって、そこのGIたちに「レコーディングがある」と鈴木勝が喧伝したために、米兵が押し寄せてしまって。スタッフは困ったが、服部良一先生が「面白い」とそのままレコーディングを始めた。

でも、録音中、ノリノリのGIたちは声を一言も漏らさなかったとか。そのエピソードを、マネージャー山下のアイデアにして、彼の役割を際立たせる。レコード発売前にステージで「東京ブギウギ」を披露させようとコロンコロンレコードの佐原がアイデアを出す。

誰もがイキイキと自分たちの役割を120%発揮する。まさに「ドキドキ」ではなくて「ズキズキ」である。ハートビートのココロである。ズキズキするほど楽しい。レコーディング場面では、まだ「東京ブギウギ」の音を聞かせずに、「ハッピーブギ」のアレンジ曲。なのもいい、

ノリノリのGIたちが際立セッションだろう(わかってるけど・笑)と視聴者の期待を高める。トントン拍子でプロジェクト会議が進むが、スズ子は舞台稽古の場にも愛子を連れてきて、面倒を見ながら稽古をしたいと申し出る。これも史実通り。

笠置シヅ子は舞台の幕間、袖で愛娘に授乳しながらステージをつとめた。「東京ブギウギ」のレコーディングが、1947年9月10日。亀井ヱイ子さんがまだ三ヶ月の時。日劇の舞台「踊る漫画祭 浦島再び龍宮へ行く」が10月。ここで「東京ブギウギ」が披露された。

史実と行ったり来たり、思いを馳せながら楽しむ。ガード下で出会った靴磨きの少年とのやりとりもいい。1947年の東京には戦災孤児が溢れていた。空襲で両親も家も失くした子供たちが、生きるために必死だった。この靴磨きの少年の子役、とても目がいい。

羽鳥の「これは君の復興ソングだけじゃなく、日本の復興ソングなんだ」の言葉が生きてくる。続く日帝劇場での稽古。いよいよ「東京ブギウギ」!ノリノリの羽鳥のテンション上がって「福来くん、もっと行こう、もっといけるよ、もっと、もっと」これぞ羽鳥!

歴史的瞬間を「#ブギウギ」世界線でどう描くか。それを僕たちは楽しむ。発売は翌年の1月、その前に笠置シヅ子は11月に「セコハン娘」をリリース。この曲も敗戦後を象徴する名曲。明日はいよいよステージでの「東京ブギウギ」!

https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/otonakayou/006/

2月24日(土)

徳島県板野郡北島町立図書館・創世ホール 佐藤利明講演会「笠置シヅ子ブギウギ伝説」開催

14時開場。14時30分開演。入場無料。

笠置シヅ子さんと服部良一さんの音楽人生を昭和のエンタテインメント史と共に語ります!



東京ブギウギ #5

ついにこの日が来た!19週かかって第一話のトップシーンに戻る。世紀の歌、心の歌のステージでの披露に向けての展開。いいなぁ。洗濯を干しながら「東京ブギウギ」をハミングして体を動かすスズ子。愛子も嬉しそう。「ええ曲でっしゃろ」とスズ子。

愛助の興奮した表情「言うてるやろ、福来スズ子の歌には力がある」。そのイメージにスズ子「早く、歌いたいわぁ!」これぞミュージカル映画の呼吸。稽古場で羽鳥も興奮気味、ダンサーを交えての練習も、愛子の「おっぱいの時間」で中断。イライラする男たち。

羽鳥は麻里に面倒を見させればいいと提案するも、スズ子は「ワテがこの子と一歩を踏み出すために、羽鳥先生に作っていただいた歌です」「この子と生きていく、決意表明の歌なんです」。この思いの強さには理由がある。そこへ茨田りつ子が現れる。

「私が抱っこしているから、あなた、歌いなさい。公演中は、私が面倒見るから」。戦前、シングルマザーとなったが、歌手を続けるために子供を青森の実家に預けてしまったことを後悔しているりつ子は、スズ子のためにひと肌脱ぐ。「青森の人間は情が深いのよ」。

やー、茨田りつ子が、ここで救世主として登場するとは!りつ子は「子供を捨ててしまった」後悔。スズ子は「私は捨てられた子の方からかもしれませんなぁ」だから愛子をいっときも離したくない。二人の気持ちがここで寄り添う。靴磨きの子にも優し顔のりつ子。

菊地凛子の表情が穏やかで、これまでの「戦闘モード」とは打って変わった優しさ。そして1948年1月。「福来スズ子ワンマンショー」の初日。楽屋ではりつ子が愛子の面倒を見ることに。スズ子の出番だけどいつまでも愛子に「ほんま可愛らしわ」と抱っこしている。

ここで第一回のトップシーンに戻るという演出。同じセリフ、シチュエーションなのに、あの時の印象とガラリと違う。ぼくたちが福来スズ子のこれまでを見守ってきたから。そこへ羽鳥善一が現れて「3・2・1・ゼロ!」となる。いよいよ、世紀の歌、心の歌!

史実では「#東京ブギウギ」は1947年10月日劇公演「浦島龍宮へ行く」で、東京では初披露され、12月30日公開の東宝映画『春の饗宴』(山本嘉次郎)の主題歌としてスクリーンで歌われた。「ブギウギ」では、この映画の笠置シヅ子さんのパフォーマンスを再現。

舞台の袖で、愛助との日々のあれこれが次々と蘇る。そこに流れる「ハッピーブギ」旋律。やがて「東京ブギウギ」のイントロ。ここからは第1話とは違うテイクで世紀の歌のフルコーラスが再現される。オーケストラボックスの羽鳥=草彅剛が本当に良い顔!

日帝劇場のオーケストラボックスの前に、銀橋と呼ばれるステージがあるのは日劇の再現でもある。間奏、踊りながらスズ子とダンサーたちがラインナップ。ああ、日劇レビュー!「東京ブギウギ」を見せてくれるのが嬉しい。

そして、先ほど情報解禁となりました!

3月22日(金)神田神保町・書泉グランデで、「#ブギウギ」脚本家の足立紳さんと、ワタクシ佐藤利明が「ファイナル・ウィークに向けてのトーク・イベントを開催することになりました。ぼくも足立紳さんとの対談はとても楽しみです!


よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。