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『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』(1960年10月19日・第二東映・日高繁明)

 昨夜の娯楽映画研究所シアターは、ずっと未見で、いつかは観たいと思っていた『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』(1960年10月19日・第二東映・日高繁明)をスクリーン投影。クライマックスの都市破壊シーンは、東映特撮の最高峰だろう!

 週刊新潮(1960年6月13日号)掲載の特集記事「第三次世界大戦の41時間」を原案に、甲斐久尊が脚色。松竹下加茂撮影所から戦前、東宝に移籍して『透明人間』(1954年)の脚本も手がけた日高繁明監督が演出。

 この「週刊新潮」の記事はセンセーショナルで、ちょうど60年安保のさなか、東西冷戦下とあって、同時期に東宝も「第三次世界大戦 東京最後の日」を企画していた。こちらも「週刊新潮」記事に関わった軍事評論家・林克也の著作を参考にしていたため、東映と企画がダブるということで仕切り直しをして、翌年、1961年公開の松林宗恵監督『世界大戦争」となる。

 というわけで東映版『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』は、朝鮮半島での軍事衝突がきっかけで米ソが核攻撃を始め、世界が壊滅してしまうまでを描いている。なのでどうしても傑作『世界大戦争』と比べてしまうが、色々な意味で東映的で面白かった。

 その瞬間までを描くスペクタクル=見世物映画なので、その結末に向けて、さまざまな人間模様が展開されるということでは、同年の『地獄』(1960年7月30日・新東宝・中川信夫)のような「カウントダウン映画」。結果ありきの出来レースになってしまうので、観客はプロセスよりもクライマックスを「待ち望んで」しまう。

 高校の授業で、大塚先生(神田隆)が原爆の記録映画を生徒たちに見せている。沢本茂夫(藤本範夫)、市村美栄(二階堂有希子)、影二(大源寺英介)たちは、第三次世界大戦の恐怖に慄きながらも、若い青春を謳歌しようとしている。彼らは美栄の父で会社重役の市村良一(石島房太郎)のモーターボートで、日本脱出を試みるも、嵐で遭難。海上保安庁が出動する。というところから、高校生たちの各家庭の物語。

 沢本茂夫の父・耕三(加藤嘉)は、真面目に勤め上げた銀行員。妻を早くに喪くし、長女・静子(故里やよい)と茂夫を育ててきた。家のローンも終わり、ようやく悠々自適の日々を迎えようとしている。なので「戦争は起きるはずはない」と人間の良心を信じている。

 一方、市村美栄の父・良一は、妻・喬子(風見章子)、長男・憲一(亀石征一郎)を引き連れて、なりふりかまわず東京脱出を試みる。全くタイプの違う父親である。(しかし、力石徹(亀石征一郎)と峰不二子(二階堂有希子)が兄妹なんて!)

 さて、主役は遭難事故を取材した正木記者(梅宮辰夫)と看護師・藤本知子(三田佳子)。永すぎた春の二人だが、正木は「結婚」を望み、知子は「仕事」を選ぼうとする。「自分の幸せより、人の幸せを優先させる」知子は、本作の良心でもある。梅宮辰夫の好青年ぶり、三田佳子のフレッシュな魅力。後年を知っているだけに、新鮮な驚きがある。

 また、流しのギター弾きで売れない作曲家・殿村(増田順司)と病床の妻・恵子(星美智子)の夫婦愛も、後半の悲劇のアクセントになっている。

 こうした人々の普通の日常に忍び寄る核戦争の恐怖。韓国上空で米軍輸送機が核爆発、第三次世界大戦の可能性が一気に高まる。この世界情勢をニュースのアナウンサーが淡々と告げるなか、「戦争への恐怖」「人類はそれほど愚かではない」といった、さまざまな人々のリアクションが描かれる。このアナウンサーの声は、僕らの世代ではラジオの「映画音楽」番組でお世話になった、映画評論家で音楽評論家の関光夫先生! 僕は個人的にも関光夫先生にお世話になったので、本当に感無量!

 横須賀ではアメリカの第七艦隊が非常呼集をかけ、国連は安否理事会を開くも、交渉は決裂。人々は東京脱出を試み、市村耕三の銀行は取り付け騒ぎで人々が殺到。デパートや商店からは物資がなくなる。右往左往する人々などのパニック描写が続く。

 モスクワ放送は「12分後に日本の米軍基地に水爆攻撃をする」と通告。やがて「その時」がやってくる。特殊撮影は矢島信男、美術は、のちにスパイキャッチャーJ3」「キイハンター」「Gメン'75などのプロデューサーとなる近藤照男。ミニチュアセットで再現されたミサイル基地のパノラミックなヴィジュアル。東京の国会議事堂、モスクワのクレムリン、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ、各国のランドマークが次々と爆発。ライブフィルムと、水槽に絵の具を溶かして撮影したキノコ雲もかなりリアルで、爆破ショットも、東映らしく勢いがあって大迫力。

 ミニチュアワークの完成度も高く、国会議事堂爆破シーンは翌年の千葉真一主演の特撮映画『宇宙快速船』(1961年7月19日・ニュー東映・太田浩児)にも流用されている。また廃墟となった東京を、梅宮辰夫が三田佳子を探して彷徨うラストシークエンス。この焼け跡のオープンセットが見事で、荒涼とした廃墟を巧みに表現している。

 このクライマックスだけでも、本作の価値がある。東宝の『世界大戦争』(1961年10月8日)に先駆けて、モノクロだが、かなりリアルに「核戦争の恐怖」をヴィジュアル化。当時の観客は、おそらく戦慄しただろう。ドラマ部分は東宝に軍配が上がるが、東西冷戦下の昭和35年に人々が感じていた「切迫した恐怖」を体感することができる。

 

 

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