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「おかえり」と「ただいま」『男はつらいよ 知床慕情』(1987年8月15日・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2024年1月6日(土)BSテレ東「土曜は寅さん!」で第38作放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)より、一部抜粋してご紹介します。

 第三十八作『知床慕情』は、懐の大きい作品です。北海道知床の大自然の風景の雄大さ、そこを故郷にしている人々の暖かさ、三船敏郎さんと淡路恵子さんの日本映画黄金時代を支えたスターの恋愛! など様々な要素がありますが、ぼくがこの作品が好きなのは、やはり、この映画にあふれる「おかえり」という感覚にあると思います。

 マドンナは、第三十二作『口笛を吹く寅次郎』に次いで、二回目となる竹下景子さん。今回は北海道知床出身の上野りん子役です。厳格な父・上野順吉(三船敏郎)の反対を押し切って、東京で結婚をしたものの、しばらく前に離婚。母親はすでに亡く、りん子は、離婚を父に言えないまま故郷に戻ってきます。自分がしたことには後悔はなかいのですが、父親は、故郷は、自分を迎えてくれるのか? 不安な気持ちで帰郷します。

 山田監督は丁寧にショットを重ねて、家に電話をかけるりん子の姿や、居心地悪そうにタクシーに乗る姿を描いていきます。東京で暮らしてきたりん子には、知床の匂いがなかったのか、タクシーの運転手は、彼女を観光客と思い込みます。

 ギクシャクした父娘の潤滑油となるのが、たまたま居合わせた寅さんです。居場所がないと思っていたりん子を、故郷の人々は暖かく迎え入れます。彼女が「ただいま」という前に、みんなが「おかえり」と言ってくれる、そんな雰囲気があります。

 それは寅さんも同じです。たまたま、道ばたで車に乗せてもらったのが縁で、順吉の家に泊まることになった寅さん。男やもめで無粋な順吉に代り、スナック「はまなす」のママ、森山悦子(淡路恵子)や、船長(すまけい)、船員のマコト(赤塚真人)、ホテルの婿養子(冷泉公裕)、漁協の理事(油井昌由樹)の面々が、寅さんを厚くもてなします。

 皆、それぞれ悩みや問題を抱えているのかもしれません。でも、そんな屈託よりも、自然に寅さんの居場所を用意してくれる。どんな所でも順応してしまう寅さんですが、今回はむしろ、皆が積極的に寅さんの居場所を作ってくれている、その幸福感に溢れています。

 東京でいろいろなことがあって、傷ついているりん子にも、多くは問わずに「おかえり」と迎え入れる知床の人々。寅さんとの楽しい日々が続きます。

 しばらくして、りん子はアパートを引き払うために、もう一度、東京へ戻ります。小田急線沿線のアパートで、引っ越しの準備をしているりん子のところへ、管理人(笹野高史)が清算しにやって来ます。小さな掃除機をみるや「もし、いらなかったらこれ、貰っていいかな。息子が自動車掃除するのにこういう小型のが欲しいって言ってたから。いい? もったないけどしょうがないもんねぇ、捨てるしかないんだから」と一方的にまくしたてます。コミュニケーションもあったもんじゃありません。りん子にとって、東京はもはや自分の居場所ではなくなったことを描いています。

 やがてりん子は、柴又へとやってきます。マドンナがとらやを訪ねるのは、大抵、旅先で出会った寅さんに会いに来るのが目的です。寅さん不在では意味がありません。ところが、今回は寅さんの近況をさくらたちに伝えにやって来るのです。これまで、こういうシーンはありませんでした。心配する家族に、りん子はこう言います。「寅さんは、人生にはもっと楽しいことがあるんじゃないかなって、思わせてくれる人なんですよ」

 傷ついて故郷に帰ってきたりん子が、寅さんによって、どんな風に癒されたのか、ということが、この言葉に込められています。りん子は、東京の土産を手に、堂々と斜里駅に帰って来ます。駅には、昔からりん子に恋をしていたマコトが車で迎えに来ています。この前のタクシーとは大違いです。

 そして、のんびりと港で午後のひとときを過ごしている寅さんの元へ、りん子が「ただいま」と帰ってくるのです。寅さんがマドンナを、彼女の故郷で優しく迎え入れるのです。実に幸福な気分にさせてくれるのです。りん子の幸福、寅さんの幸せ、そのお裾分けを、観客であるぼくたちが享受し、共有できる瞬間なのです。

『知床慕情』では、寅さんとマドンナの恋は、こうした幸福な感覚のなかで展開していきます。メインとなるのは、りん子の父・順吉と「はまなす」のママ悦子の「熟年の恋」。シルバー世代の第二の人生、といった大仰なことでなく、自分を想ってくれる人を想う、本当の意味でのプラトニックな恋です。順吉は、洗濯ものや食事の面倒をみてくれる悦子を「近所の女だ」と寅さんに紹介しますが、本当は彼女への感謝と恋心でいっぱいです。さわやかで過ごしやすい知床の夏が、いつまでも続いて欲しいように、順吉もこの日々が続けば良いと、密かに想っていたのかもしれません。

 ところがある日、悦子はオーナーが店を閉めることになったのを機に、新潟で芸者をしている妹(東宝映画ファンとしては池内淳子さんあたりをイメージします)と一緒に暮らすことを決意。そのことを順吉に告げます。悦子ママが北海道を去ることになった、という展開は、前半の離農していく一家のエピソードを思い出させてくれます。もう「ただいま」と言える場所でなくなってしまうのです。

 寅さんは二人について「五年も十年も顔を合わせながら、ひと事も愛のセリフを言えないような男を、あのおばさんが相手にすると思うかい」と、りん子に話します。ここから、映画は一気に、三船敏郎さんと淡路恵子さんの恋愛物語になっていくわけです。この映画のハイライトは、その次の大自然の中のバーベキューの場面です。すまけいさん演じる船長の挨拶です。

「俺がうれしかったことは、秋アジが生まれた川に戻って来るように、りん子ちゃんが帰って来てくれたということであり、尾白鷲がシベリアから飛んで来て、この知床半島に羽根を休めるように、寅さんという色男が仲間に入ってくれたことだ」

 「おかえり」「ただいま」の優しさにあふれています。しかし、この楽しいバーベキューは、悦子にとっては、仲間たちとも、北海道とも、そして順吉とも別れのパーティでもあるわけです。そして、ここからこの映画はクライマックスを迎えるのです。

 順吉の悦子への愛の告白シーン。寅さんの力を借りて、大自然のなか、無骨な男が思いの丈を大声で叫ぶ。少し気恥ずかしいですが、ぼくはこのシーンに、昭和二十四(一九四九)年、戦後の青春映画の金字塔となった『青い山脈』(今井正監督)のクライマックスを思い出します。自転車で海辺にサイクリングに来た主人公たちが、大声で相手のことを「好きだ!」と告白するシーンです。この映画が作られたのは、敗戦から四年目。三船敏郎さんが東宝ニューフェースとして黒澤明監督の映画に出演し、淡路恵子さんがスターを夢見て踊りの世界に入ろうとしていた、そんな時代です。

 このシーンには、二人が生きて来た時代の青春への限りないリスペクトがあります。少なくとも、ぼくは、そう感じます。順吉が告白するときの寅さんの表情、りん子の姿、実に幸福な気分にさせてくれるのです。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。



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