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『無頼 人斬り五郎』(1968年・小澤啓一)

「無頼シリーズ」第4作!

 第2作『大幹部 無頼』で、それまでの日活アクションにないヴァイオレンスな世界を展開した小澤啓一監督が、再びメガホンをとったシリーズ第4作。脚本は「無頼」の世界を作った池上金男と小澤監督。以後、小澤が第6作『無頼 殺せ』(1969年)まで、このシリーズを続投していくこととなる。

 オープニング。雪の降るある晩、藤川五郎(渡哲也)が刃を向けるのが、中部地方を支配する名振会の会長(大滝秀治)。名振会のナンバーツー、牧野昇次(南原宏治)がその場に居合わせている。「渡り鳥」シリーズなど数々の日活アクションに叙情をもたらした、名キャメラマンの高村倉太郎による、奥行きのある構図。やがてアクションが動き出すと、狭い路地を俯瞰でとらえ、路地での壮絶な戦いの緊張感がみなぎる。これは、第2作のラストの昼下がりのバレーボールコートの俯瞰との鮮やかな対比だろう。スピード感あふれる殺陣。会長を刺殺する場面のショットが見事。それを見届けて、踵を返して去ってゆく牧野。

 この作品における“悪”を予感させる幕開けである。出来事を写すのではなく、人間関係のバランスをまず提示する。こうした小澤演出のうまさは、後のテレビ「大都会」シリーズなどへと活かされてゆく。

 会長を刺殺した後、刺客に狙われた五郎を救って瀕死の重傷を負ってしまうのが、林田昌彦(藤竜也)。ほんの僅かなカットで、五郎とマサの信頼関係が伝わる。パトカーのサイレン、二人を俯瞰で捉えるショット、そこでタイトル。長野刑務所に服役した藤川五郎の仮出所の書類。“東京都江東区深川富川町 以下不詳”とある。“以下不詳”に、第1作と第2作のタイトルで描かれた、壮絶な五郎の少年時代のイメージが重なる。

 時は1957(昭和32年)。マサは刑務所の病院で虫の息。「シャバに出たら一緒に働こう。堅気の仕事をしよう」と声をかける五郎。マサは、五郎にたったひとりの姉に言づてを頼む。「兄貴、なんだ、もう行っちゃうのかよ。俺も早く出てえなぁ」目に涙を溜める五郎。伊部晴美の音楽。庭に咲いた花に群がる蝶々。

 第1作以来の「無頼」のテーマに、「ヤクザの胸は何故に寂しい 流浪の果ての虫ケラに 心を許すダチもなく 黒ドスひとつ握りしめ 男が咲かす死に花は 花なら赤い彼岸花」という歌詞がつけられた主題歌を渡哲也が歌う。

 マサは“裏門仮釈放”として亡骸でシャバに出ていく。それを見送る五郎の哀切。五郎が背負っている重たいものを、冒頭の数分間で描いてしまうのだ。このオープニングが、ドラマの印象を深いものにしてくれる。
そして五郎は、マサの姉の住む、三河石浜駅へとやってくる。ここで今回のヒロイン、磯村由起(松原智恵子)が登場。駅前の赤電話で、忘れ物の手帳を手にとる。落ちた書類は、五郎の「仮出獄許可決定書」。出会う前からヒロインは五郎が前科者であることを知るのだが、このシリーズの松原智恵子は、いつも覚悟の上で五郎を慕うので、これも通過儀礼。無言でその書類を取り戻す五郎。二人は一瞬目を交わす。

 伊勢志摩出身の磯村由起は天涯孤独、今は三ケ根山にある、三河三州園ホテルの従業員。五郎はそこのボイラーマンとして就職することになる。いわゆるタイアップとしてのホテルの登場だが、やくざ映画、しかもハードなヴァイオレンスものでタイアップが出来てしまうということに時代を感じる。
名古屋に本拠を置く名振会は牧野が会長となっており、この三河石浜でも暴威をふるっている。その最高顧問である白山周介(佐藤慶)は、五郎と旧知の仲で、かつて死なせてしまった男の娘・磯村由起に密かに送金をしている。いわば“あしながおじさん”。敵対する組織に身を置きながら、五郎と由起との関わりを持つキャラクターを登場させることで、単なる勧善懲悪の図式ではない、陰影のある人間ドラマが展開されてゆく。

 マサの姉・林田しのぶ(小林千登勢)の行方を訪ねると、町の赤線でサロン“いろは”の娼婦に身を窶している。第1作の松尾嘉代や第2作の芦川いづみのリフレインでもある。清純無垢な松原智恵子の処女性を際立たせるための対比でもあるが、やくざと関わった女の悲劇でもある。苦界に身を沈めて、弟の死の報せもまともに受け取ることが出来なかった姉の悲劇。
「やくざって何よ? 仁義だの、義理人情だの、やくざだったばかりに弟だって私だってこんなになっちまったのよ。死んだって死に切れない」としのぶの怒り。

 そのしのぶ(=源氏名マユミ)に肩入れしている、ストリップ小屋の経営者・海堂賢作(小池朝雄)も好人物。ホテルをクビになり、名振会に追われている五郎と由起の身を匿ってくれる。

 また、名振会石浜支部のチンピラ、石丸鉄男(岡崎二朗)と幼なじみの秋とも子(西条苗子)の悲劇もあまりにも切ない。「無頼」シリーズには、やくざの世界と関わってしまったために、哀れな末路をたどってしまう若者が必ず登場する。重傷を負いながら、操車場の貨車に乗り込んで過ごす一夜。虫けらのように若い命を散らしてしまうチンピラがたどる悲しい運命。非情の世界を際立たせる。

 五郎とストリップ小屋で対峙した白山は「やくざはな、みんな死んだ方がおい、その方が皆のためだ」という。敵対する二人の間にある男の友情。「俺の命を無駄にするな」という白山の台詞が胸に迫る。マサ、鉄男、そして白山・・・本作に登場する男たちは実に魅力的だ。

 クライマックス。五郎たちを助けてくれるのが、前半、ストリップ小屋で出会った与作(谷村昌彦)。浅草の軽演劇出身のベテランの味が活かされている。こうした緊張と緩和の演出は師匠の舛田監督ゆずり。やがて、五郎は由起を連絡船に乗せ、いつものように、五郎が単身、死地で名振会と壮絶な戦いを繰り広げる。堤防から、工場、塩田へと、移動しながらの斬り合いは、ロングショットと俯瞰を巧みに使って、壮絶さと闘いの愚かさを際立たせる。

 なかでも新東宝ハンサムタワーの一人、高宮敬二が演じた、名振会の幹部・大羽が印象的。長身を活かしたクールなキャラと五郎の対決はみもの。そして南原宏治の憎々しい悪役ぶりが、五郎との一騎打ちの後のカタルシスにつながる。すべてが終り、夕陽が五郎の黒ドスに映え、落ちたサングラスに由起の姿が映るショットが素晴しい。これは小澤啓一監督が助監督として参加した、舛田利雄監督の『太陽への脱出』(1963年)の裕次郎のサングラスを思い出させる。

 絶望の果ての希望。五郎にとっての由起はかけがえのない存在であることが、ラストのワンショットに込められ、それが本作のロマンチシズムでもある。

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