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『香港クレージー作戦』(1963年12月22日・杉江敏男)・『日本一のホラ吹き男』(1964年6月11日・古澤憲吾)・『無責任遊侠伝』(1964年7月11日・杉江敏男)

深夜の娯楽映画研究所シアターは「東宝クレージー映画完全制覇」シリーズ。この数日間で、また3作ほど封切り順にプロジェクター投影。

05『香港クレージー作戦』(1963年12月22日・杉江敏男)

土曜日は、『香港クレージー作戦』(1963年12月22日・杉江敏男)。香港ロケはお手のものの杉江敏男監督による『社長洋行記』(1962年)的な香港観光が味わえる。東宝から発売されたDVDのコメンタリーでは、谷啓さん、中尾ミエさんと対談をさせて頂いたので、全カット頭に入っているつもりでしたが、17年前なので、とにかく新鮮。香港に行くまでの、植木さんの「脱サラ物語」が面白く、杉江監督らしい丁寧な喜劇に。若いときはどうしても古澤憲吾作品と比べて「パワーがない」とか「フツーの喜劇」だとかネガティヴに観てましたが、いやいやそんなことはない。クレイジー7人の個性を活かしての「全員野球」が楽しい。おそらくクレージー映画の中では、一番の音楽映画だということに改めて感動。

06『日本一のホラ吹き男』(1964年6月11日・古澤憲吾)

日曜日は、『日本一のホラ吹き男』(1964年6月11日・古澤憲吾)。笠原良三さんの脚本によりパワフルなスーパー・サラリーマン喜劇シリーズ第二作。古澤監督の「どうかしている」演出は、何十回観てきても圧倒される。『香港クレージー作戦』と同時撮影だった『無責任遊侠伝』のセット撮影直前に、植木等さんがビールス性肝炎で入院。しばらく療養していた植木さんを、古澤監督から病院から引っ張り出して撮影開始。とにかく監督が牽引して、天下無敵の「ホラ吹き男」のキャラクターが生まれた。人見明さんの宣伝課長とのやり取り、増益電機社長・曽我廼家明蝶さんとのコラボレーションのおかしさ、守衛・由利徹さんのカックンぶり! この「脱クレージー映画」「クレージー映画の本流」となって行ったのも納得。

07『無責任遊侠伝』(1964年7月11日・杉江敏男)

月曜日は、『無責任遊侠伝』(1964年7月11日・杉江敏男)。こちらのDVDのコメンタリーでは、淡路恵子さんとじっくり対談をさせて頂きました。本編とは関係なく、淡路さんの映画人生をタップリと伺って、他にはないインタビューとなりました。その収録以来の鑑賞となりました。『香港〜』と2本撮りでマカオロケをしたと、犬塚弘さん、谷啓さんから伺いました。ロケは冬、セットは初夏の撮影なので、植木さんの服装が冬服だったり夏服だったり。博打好きの「スーダラ男」植木さんと、会社の専務・ハナ肇さんが大好きな博才を生かしての大作戦。これも杉江監督の丁寧な演出で、マカオに行くまでの日本パートが「サラリーマン喜劇」のバリエーションとしてなかなか楽しい。植木さんの同僚役で、われらが古谷敏さんも出演! で、巨悪は平田昭彦さん、その手下の怪しげな中国人に天本英世さん。インチキブローカーにジョージ・ルイカーさん。もうそれだけで楽しい。改めて観ると本作の上田等のキャラは『クレージー黄金作戦』(1967年)の町田心乱のプロトタイプだったことに気づく(笑)

トップシーンの「馬鹿は死んでも直らない」の替え歌「バクチは死んでもやめられない」と劇中の「無責任数え歌」は、プロモーションビデオみたいでかっこいい。後者は、なんと『君も出世ができる』(1964年5月30日・須川栄三)「アメリカでは」のセットを流用している。唄う植木さんの隣には加藤茂雄さんの姿も!


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