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佐藤允 インタビュー 暗黒街の愚連隊は暁に吠える! 

—佐藤允さんの映画体験についてお伺いします。
佐藤 高校を卒業するあたりだったと思うんですが、谷口千吉監督の『暁の脱走』(50年/映画芸術協会)を見ましてね。ロマンを感じたんですよ。中国戦線を舞台に、上等兵と慰安婦の悲恋ものなんですけど。岡本喜八さんの『独立愚連隊』(59年/東宝)をドライとするなら、こちらは良い意味でウエットでね。僕は、この『暁の脱走』と黒澤明監督の『酔いどれ天使』(48年/東宝)を観たことで、俳優になろうと思ったのかもしれません。

—『暁の脱走』といえば、助監督が岡本喜八さん、ラストには出演もされています。
佐藤 銃を構えてるんだよね。三上上等兵(池部良)を射殺することが出来なくて、上に向かって射つ。まさか『独立愚連隊』を撮るとは思ってなかったろうし、僕もスクリーンのこっち側で暴れることになるとはね(笑) でも、喜八さんは、いつ頃『独立愚連隊』を思いついたんだろうね。

—デビュー前に、何度も会社に『〜愚連隊』の企画を出していたと、伺ったことがあります。でも、昭和34(1959)年に、娯楽活劇で戦争ものという発想は、どうだったんでしょう?
佐藤 そうだね。『太平洋の嵐』よりも前?

—松林宗恵監督の『太平洋の嵐』(東宝)は、昭和35(1960)年ですから、前の年です。
佐藤 戦後十年ぐらいは、やっぱり戦争に対しては映画界も慎重だったんじゃないかな。僕たちは関係ないけれど、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』(50年/東横 関川秀雄)のように、真面目なものが多かったですからね。だからアメリカ映画はともかく、日本ではアクションとかスペクタクルでは、戦争を描いていなかった時代ですから。

—『太平洋の嵐』というのは、戦後十五年たってようやく、藤本真澄さん、田中友幸さんの共同製作で、戦争スペクタクルを解禁にした作品でもあります。
佐藤 じゃぁ、余計に『独立愚連隊』に風当たりがあったわけだ。その前だもんね(笑)

—岡本喜八作品には、監督デビューの『結婚のすべて』(58年/東宝)からご出演されていますが、やはり。
佐藤 『暗黒街の顔役』(59年/東宝)だろうね。僕はあそこで、五郎という殺し屋をやらせてもらったんです。でも、よく考えると、鶴田浩二さんが中心の映画だから、僕のパートはあまり、本筋には関係ない(笑) でも、五郎の性格付けだとか、仕草にいたるまで、岡本さんのアイデアでね。ちょうど、その頃に、アンジェ・ワイダ監督の『地下水道』(56年/ポーランド)に影響されまして、五郎のスタイルは、岡本さんのアイデアに忠実です。

—台詞回しや、五郎の出演シーンは、編集も含めて、喜八スタイルです。鶴田さんと宝田明さんの兄弟の話がウエットだなけに。
佐藤 僕の部分だけ徹底的にドライ(笑) 平田昭彦さんはインテリだし、三船さんは珍しくも町工場のオヤジさんだしね。

—『暗黒街の顔役』はオールスター映画的な配置が良いですね。浪花節の鶴田さん、ロカビリーの宝田さん、町工場の三船さん、知的な平田さん。そういう意味では、かつて三船さんのパートだった、野獣性が、佐藤允さんに継承されていますね。
佐藤 そうかね。喜八さんも、スターを演出するのは、会社の意向もあるだろうし、むしろ僕とかミッキー・カーチスに、思いを託していたのかもしれない。それにしても平田昭彦さんは、東映にも日活にもいない、東宝的な俳優だったね。

—佐藤允さんは、これまでの枠におさまらない、獣性を秘めた殺し屋です。かといって無軌道ではなく、美学を持っている。グッド・バッド・ガイなんです。
佐藤 美学を持った殺し屋かぁ。そうですね。ちょっとスレたようなね。世の中を斜めに観ているというか。やっぱり『地下水道』『灰とダイヤモンド』(59年)だね(笑) でも、言っちゃなんだけど、ほとんどが喜八さん身振り手振りの引き写しです(笑) 岡本さんの師匠の谷口千吉監督もそうだけど、岡本さんの演技指導は、仕草から表情まで、すべて岡本さんがおやりになったものを、僕らが演じるんです。ですから、そういう意味では、岡本組では僕が一番ヒドいけど(笑)、天本英世さんなんて“岡本喜八先生”を崇めてましたからね。天本さんは、そのものズバリでしょう。

—東宝スコープの大きな画面の奥にいても、天本さんって、すぐにわかります。
佐藤 わかる(笑) 僕はその頃、リチャード・ウィドマークだったの。実際に例えられたし、意識もしていたから。平田さんはジョージ・ラフトだったね。インテリ・ギャング(笑)

—『暗黒街の顔役』でも、平田さんはジョージ・ラフトのパートでしたね。喜八さんの「暗黒街」シリーズのタイトルって、ハリウッドのギャング映画と同じです。『暗黒街の顔役』(32年米/ハワード・ホークス)、『暗黒街の弾痕』(37年米/フリッツ・ラング)・・・
佐藤 本当だ。僕らの世代は、岡本さんもそうだけど、西部劇とギャング映画。好きだったなぁ。エドワード・G・ロビンソンとか、ジェームズ・キャグニーとか。キャグニーの『彼奴(きゃつ)は顔役だ!』(37年米/ラウォール・ウォルシュ)なんか観たなぁ。もちろん戦後になってからだけど。

—戦後、アメリカ映画が大量にCMPE(セントラル・モーション・ピクチャー)で公開されました。昭和20年代半ばにかけて、大量に公開されたものを、喜八さんの世代が邦画で再現された。“暗黒街”という虚構の世界を、東宝のスクリーンに作っていったのが、このシリーズです。
佐藤 良い意味で“ごっこ”だったんでしょうね。現実には、ヤクザと愚連隊はいましたが、それだと東映になってしまう(笑) 向こうは、禁酒法時代というのがあって、ギャングの活躍する温床がある。ところが日本には、それがない。だけど、逆に言うと、だから製作可能だったんですよね。あり得ないからこそ、いろんなことができる。ファンタジーとしてね。

—現場の監督はいかがでしたか?
佐藤 七転八倒の苦しみ。というより、やっぱり、もうアクションものが好きだったんでしょうね。嬉々として、動きをつけていくんです。コンテも用意しているし、早々と現場で準備をしている。僕の五郎という役は、あまり他の俳優さんとは絡まないんですが、かえってそれが良かったんでしょうね。それに、監督も僕らも、ハリウッドのギャングものをイメージしているしね。

—アンジェ・ワイダの『地下水道』や『灰とダイヤモンド』は、いわゆる旬の映画でしたが、この頃、リチャード・ウィドマークの映画というと、完全に。
佐藤 気分的にはB級映画です(笑)でも、観ましたですねぇ。西部劇だけど『情無用の街』(48年米/ウィリアム・キリー)とかね。福田純さんの『情無用の罠』(61年/東宝)って、僕の映画がありますが、これなんか、和製ウィドマークとして作ってますからね(笑)

—佐藤允さんは俳優座から東宝に出られるようになりましたが、強烈な個性を活かした役が多いことに抵抗は?
佐藤 それはあんまりないですね。でも、二枚目をやりたい願望がありましたね。フランス映画のカトリーヌ・ドヌーブの相手役なんて良いじゃないですか! マルチェロ・マストロヤンニの線ですね。あくまでもフランス映画のドヌーブが良いです。ハリウッドに来てからのじゃなくて(笑)

—暗黒街ものの東宝女優さんは、いつものサラリーマン映画と違って、ルージュを引いてヴァンプを演じています。少し無理があるというか(笑)
佐藤 そこがまた良いんだよね(笑)

—『暗黒街の弾痕』(61年/東宝)のクライマックスの対決シーンは、斬新ですね。
佐藤 加山(雄三)くんが、捕鯨船に乗っていたから建設用のリベットで射とうとね。その前の銃撃戦で、僕が眼をやられて、加山くんが手を射たれているから、二人で力を合わせないと、応戦できない。ああいう思いもよらない手が、岡本さんらしさですよね。だけど、僕は、現場で演じていて、どんな画になるかは、実はよく判っていないんですよ。岡本さんは演技の説明はしますけど、アクションがどういう風に編集されて仕上がるかについては、説明するようなことはなかったです ね。だから、アニメーションの絵のように、岡本さんの頭の中にある決まった動きを、僕らが演じて、それを自在に編集したんでしょうね。

—役のイメージはあっても、画のイメージはない?
佐藤 そうです。とにかく、台本を渡されて、読むでしょう。そうすると、それがどういう風になるだろうか? という想像が出来なかったです。絵として浮かんで来ないんです。僕だけかもしれないけど(笑)

—そして『暗黒街の顔役』の五郎役のあと、十ヶ月後には『独立愚連隊』(59年)で、佐藤さんは主演をされます。
佐藤 これは嬉しかったですね。ポスターにドーンと顔が出てね。だけど、本格的に乗馬なんかしたことがなかったから、大変でした。東京競馬場へ行って、どういう風に乗るかを稽古しました。ジョッキーってうまいんですよね。スッと乗って、パッと走り出す。僕らが乗ったらもう、振り落とされちゃうんですよ。で、稽古をして御殿場で撮影をするんだけど、御殿場のは結構、気性が荒いんです。黒澤組でよく使う馬なんですけど。僕が飛び乗るシーンも、うまく岡本さんの編集の技が利いているから、違和感がないんだけど、本当は大変でした(笑)」」

—でも『独立愚連隊』と、翌年の『独立愚連隊西へ』(60年)の爽快さは、戦争映画に名を借りた、まさしく和製西部劇の味ですね。
佐藤 そうですね。日本で西部劇をやろうとしたら、戦争という舞台しかなかった。ということでしょうね。ただ二作目となると、会社も当たったんで、とか、いろんな思惑が出て来て、新鮮味がなくなってきちゃった。フランキー堺さんや加山くんが登場してね。そういえば、みんなで主題歌を吹き込んだんです。シリーズものは、東宝は得意だけど、作り手はね。だから、岡本さんとしては、次の『どぶ鼠作戦』(62年)で打ち止めにしたかったんだろうね。

—その後、「愚連隊」ものは、谷口千吉監督、福田純監督、坪島孝監督が引き継がれます。
佐藤 「暗黒街」も福田純さんが、受け継がれてね。で、やっぱり『暁の脱走』お撮りになった谷口さんの『独立機関銃隊未だ射撃中』(63年/宝塚映画)は、素晴らしかったね。井手雅人さんの脚本が良くて、これと岡本さんの『血と砂』(65年)は、本当の意味での戦争の悲惨さを描いていますね。

—さて、「愚連隊」に戻りますが、戦争とは名ばかりの西部劇というのは、当時、爽快さが受け入れられのか? 不真面目だ!というリアクションが多かったのか? どちらでしょう?
佐藤 やっぱり、爽快さと考えたいですね。映画はアクションだ。ということを証明してくれた作品だったんじゃないでしょうか。それから提案なんだけど、今、もう一度『独立愚連隊』やったら良いと思うんだけど、どうかな。 『隠し砦の三悪人』だってリメイクされるんだしね。アクションを中心にした映画っていいでしょう?

*2008年、映画秘宝で行ったインタビュー原稿に未発表部分を加えました。ご子息・佐藤闘介さんにご快諾頂き、UPしました。


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