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佐藤允と岡本喜八 「暗黒街」と「独立愚連隊」シリーズの魅力

 日本のリチャード・ウィドマークを自他ともに認める、グッド・バッド・ガイ役者の佐藤允。その強烈な面構えは、スクリーンを観るものを圧倒する。谷口千吉監督の『暁の脱走』(50年/映画芸術協会)と、黒澤明監督の『酔いどれ天使』(48年/東宝)に痺れた高校生が、俳優座経由で東宝のスクリーンに登場! 現実にギャングなどいないのに、『美女と液体人間』(58年/本多猪四郎)のなかには、厳然と存在する。「明るく楽しい東宝映画」にあって、佐藤允の存在感は圧倒的。殊に岡本喜八作品には、佐藤允の獣性は必要不可欠だった。

 戦後アクションは、日活映画がその帝国を築いていくわけだが、実は、岡本喜八による『暗黒街の顔役』(59年1月15日公開)が、舛田利雄監督の『女を忘れろ』(59年1月28日公開)より、わずかだが先んじている。虚構としてのギャング映画、その嚆矢となったのが『暗黒街の顔役』であることは間違いない。岡本喜八は佐藤允という俳優に着目、鶴田浩二、三船敏郎、宝田明といった、東宝男優陣が顔をそろえた賑やかな作品のなかで、五郎という印象的な殺し屋を演じさせた。この五郎、ニヒルな面構えで、登場シーンから我々のココロを掴んでしまう。

 映画は、浪花節的な古いヤクザのような矜持を持つギャング・鶴田浩二と、ロカビリー歌手の弟・宝田明の兄弟愛を軸に、ウエットな人情話が展開されていく。それに昔気質の三船敏郎の町工場の経営者。平田昭彦のインテリ・ギャングがそれぞれのパートを決めてくれる。しかし、暗黒街という虚構の世界に、いちばんピッタリくるのが、佐藤允の五郎だろう。

 アンジェ・ワイダの『地下水道』(56年/ポーランド)に痺れたという、岡本喜八と佐藤允は、黒澤明の『隠し砦の三悪人』(58年/東宝)の雪姫こと上原美佐を誘って、ワイダの『灰とダイヤモンド』(59年/ポーランド)を観に行ったという。佐藤允によると、その帰り道、渋谷の珉珉で餃子を三人で食べたことを強烈に覚えているという。上原美佐とワイダと餃子! この三人は、『暗黒街の顔役』から十ヶ月後、『独立愚連隊』(59年10月6日公開)で現場を共にしている。

 さて、『暗黒街の顔役』に先んずること三年前、東宝では、鶴田浩二と三船敏郎主演による、そのものズバリの『暗黒街』(56年/山本嘉次郎)が作られている。こちらはモノクロ作品で、脚本は菊島隆三だが、どちらかというと古いタイプの活劇で、シリーズに計上することもあるが、ここでは岡本喜八作品から「暗黒街」シリーズとさせていただく。

 『暗黒街の顔役』で斬新だったのは、やはり岡本喜八のセンスと、脚本の関沢新一のモダンな感覚。これまでの活劇映画とは違うアクションというジャンルがここからスタートしたといえるだろう。

 さて、東宝は岡本喜八の「暗黒街」ものをシリーズ化、翌1960(昭和35)年1月3日には『暗黒街の対決』、1961年1月3日には『暗黒街の弾痕』と、毎年の正月番組に「暗黒街」ものが封切られている。その後も、福田純による『暗黒街撃滅命令』(61年12月17日)などが、バリエーションとして作られることとなる。

 『暗黒街の顔役』のニヒルな五郎で、スクリーンキャッチとなった佐藤允だが、その年に待望の初主演作『独立愚連隊』でさらなる男性的な魅力を見せてくれることとなる。中国戦線を舞台に“独立愚連隊”と呼ばれる鼻つまみものばかりの、ならず者部隊が、西部劇もかくやの爽快なアクションを展開する。今でこそ、戦争アクションという言葉を普通に使っているが、この映画が作られたのは、戦後十四年目。まだその記憶が生々しかった。東宝のお家芸となる戦争スペクタクル大作『太平洋の嵐』(60年/松林宗恵)が鳴り物入りで製作されるのは、『独立愚連隊』の翌年のこと。ある意味、戦争スペクタクル映画が娯楽として本格的に解禁されるのが、『太平洋の嵐』からなので、『独立愚連隊』の理屈抜きの面白さが受ける一方、当時に複雑なリアクションがあったとも聞く。

 さて、『独立愚連隊』は、そうしたリアクションをよそに、娯楽映画のフォーマットとして受け入れられ、東宝アクション、特撮、戦争スペクタクルという三大ジャンルを育てた名プロデューサー、田中友幸という存在もあって、「暗黒街」同様、シリーズ化されることとなる。

 第一作から一年後の1961(昭和35)年10月30日、新人・加山雄三を迎えて、佐藤允とのダブル主演による第二作『独立愚連隊西へ』が公開されることとなる。岡本組常連俳優に加え、フランキー堺の八路軍の隊長のユーモラスな存在感。社長シリーズの怪しげな日系バイヤーに先駆けるフランキーの怪演が楽しめる。ボロボロの軍旗を死守するために、独立愚連隊が繰り広げる戦いを、あの手この手の映画的なアクションの釣瓶射ちで描写。

 岡本喜八=独立愚連隊というイメージが定着するなか、岡本喜八は第三作『どぶ鼠作戦』(62年6月1日公開)で、自らシリーズを卒業する。軍隊のベッドでジョン・フォードの『駅馬車』(38年・米)のクライマックスのモンタージュを反芻していたという岡本喜八の西部劇への想いは、アクションの数々として、この三部作に活かされている。

 その後、東宝は、谷口千吉監督の『やま猫作戦』(62年)、福田純監督の『のら犬作戦』(63年)、坪島孝監督の『蟻地獄作戦』(64年)と、シリーズを継続させていく。が、そうしたジャンル・ムービーになるなかで、岡本喜八監督は、少年軍楽隊が戦場で悲惨な戦いを余儀なくされる傑作『血と砂』(65年)を完成。そのいずれもに、我らが佐藤允が出演しているのだ。


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