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『夜明けのうた』(1965年・蔵原惟繕)

 浅丘ルリ子。昭和30(1955)年、日活初のカラーによる大作ミュージカル映画『緑はるかに』(井上梅次)で、二千五百人もの応募者のなかから選ばれ、スクリーンデビューを飾った。少女から大人の女性へ、戦後日活映画は、日本を代表する女優・浅丘ルリ子の成長とともにあった。映画女優は、それぞれの作品で、様々な貌を見せてくれる。特に、浅丘ルリ子の女優としての無限の力を引き出したのは、『銀座の恋の物語』(62)の、蔵原惟繕監督と脚本家の山田信夫コンビだった。

 石原裕次郎との『憎いあンちくしょう』(62)でルリ子が演じたのは“恋人と寝ないこと”で新鮮さを失うまいとしている典子というヒロインだった。蔵原=山田コンビは、続く裕次郎の『何か面白いことないか』(63)でもルリ子の役名を典子とした。こちらは裕次郎とルリ子に、様々な障壁を作り上げて“その克服の果ての愛“のドラマだった。いずれも、徹底的にヒロインを追いつめて「愛とは?」「生きるとは?」を内的に描いた野心作だった。

 浅丘ルリ子によれば、蔵原は、超えられそうにないハードルを用意して、女優を徹底的に追いつめて、何かを引き出そうとする監督だったという。その蔵原=山田コンビは、浅丘ルリ子出演100本記念映画『執炎』(64年)を大成功させた。男性中心の日活において、ヒーローの添え物的な扱いが多かった、浅丘ルリ子の女優としての輝きを放ち続けてきたのは、この二人によるところが大きい。

 そして、昭和40(1965)年、浅丘ルリ子の新境地の一つとして企画されたのが『夜明けのうた』だった。前年の「第6回日本レコード大賞」受賞曲である岸洋子の「夜明けのうた」をモチーフに、ミュージカル女優であるヒロイン・典子の一日を描いた作品。

 そう、この映画のヒロインの名は『憎いあンちくしょう』『何か面白いことないか』と同じ典子=テンコなのである。ヒット曲の映画化という点では、歌謡映画であるが、蔵原惟繕、山田信夫、浅丘ルリ子の三人にとっては“典子三部作”の完結篇でもある。

 日活マークが明けて、いずみたく作曲による「序曲」で、ミュージカル女優・緑川典子(浅丘ルリ子)のスター人生が、スチールのモンタージュで綴られる。三木鮎郎のテレビショーに出演し、写真家・秋山庄太郎の被写体となるレコーディングでの疲れた表情。このオープニングは、映画女優として多忙な日々を過ごしてきた浅丘ルリ子のイメージと重なる。典子が不倫相手の恋人(岡田真澄)との逢瀬で、深夜ホテルのベッドに潜り込んで、下着を脱ぐショットは、実にキュートだ。

 その典子の目の前に現れるのは、失明寸前の少女・千加子(松原智恵子)と、その眼を治そうと懸命な利夫(浜田光夫)の二人。“純粋な気持ち”を持っている二人が、“面白くない日々”を生きている典子の刺激となっていく。山田信夫の脚本は、これまでの作品で蔵原と作り上げてきた“観念”をドラマのなかで展開していく。“不倫と純粋愛”、そして“偽りと正直”。この対比がドラマの主軸になっていく。

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