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『紅の流れ星』(1967年・日活・舛田利雄)

「何か考えることねえか、って考えてるんだよ」舛田利雄監督と渡哲也による、1960年代末の日活アクションの金字塔! !

 この『紅の流れ星』は、俳優・渡哲也にとっても、日活アクションにとっても工ポック・メイキングとなった傑作。渡は、1965 (昭和40)年に『あばれ騎士道』でデビュー、昭和40年代を担う日活スターとして大々的に売り出された。渡は、舛田利雄監督による『嵐を呼ぶ男』(1966年)、『星よ嘆くな勝利の男』(1967年/『勝利者』1957年の再映画化)と、裕次郎主演作のリメイクに主演。いずれも話題にはなったものの、大きな決め手にはならなかった。

 そうしたなか舛田監督が、裕次郎の『赤い波止場』( 1958年)のリメイクを試みたのが『紅の流れ星』だった。前作はジャン・ギャパン主演の名作『望郷」( 1937年)をモチーフに、舛田監督と池田一朗(後の作家・隆慶一郎)がシナリオを執筆。東京で殺しの仕事をして神戸の組織で匿われることになったレフトの二郎(裕次郎)は、それまでの裕次郎にはない職業的殺し屋のアウトローで、白のスーツにサングラスのスタイルもカッコ良かった。

 その『赤い波止場』を渡哲也のためにリライトしたのが、舛田監督とは昭和20年代に新東宝シナリオ塾で、名脚本家・三村伸太郎の同門だった池上金男(後の作家・池宮彰一郎)。池上は東映で名作『十三人の刺客』( 1963年・工藤栄一)を手掛けてきた才人。舛田は裕次郎の『夜のバラを消せ』( 1966年)のシナリオ直しで池上に声をかけ(ノンクレジット)、やはり裕次郎の『栄光への挑戦」( 1966年)でオリジナル・シナリオを共作『嵐を呼ぶ男』を渡哲也のために冉構築したのも池上だった。

 舛田は、裕次郎がジャン・ギャパンだとすると「渡は本人の雰囲気も含めて『勝手にしやがれ』 ( 1959年)のジャン=ポール・ベルモンドではないか。で、同じ話なんだけど、全く違うものにしようということでね」シナリオ作りをはじめたという。 (佐藤利明・高護編「映画監督舛田利雄」2007 年・ウルトラ・ヴァイヴより)。クランクインまで時間がなく、おおよそのシーン設定と登場人物のキャラクター設定を決め、舛田は神戸にロケハンに出掛けたという。チーフ助監督の小澤啓ーが一緒に旅館に籠って、池上のシナリオの仕上げをサポートしたという池上と小澤といえば、後の「無頼」シリーズの名コンビである。

 ファーストシーン羽田空港の駐車場で、赤いスポーツカーを盗んで、首都高でチケットの回数券を買う五郎。その後、逃亡者として神戸で退屈な日々を過ごしている五郎は、この回数券をいつも帽子に差している。五郎にとって東と繋がる唯ーの縁(よすが)となるこのチケットのアイデアは、小沢が出したもの。

 五郎のキャラクターの"軽さ"も、『勝手にしやがれ』のジャン=ポール・ベルモンドを意識したとはいえ、渡哲也の持ち味を見事に引き出している。「裕ちゃんの時代は、アウトローでもどこか生真面目さ、生硬さがあった。けど、この映画の頃、言葉でシラケというものは、まだなかったと思うけど、裕ちゃんの時代の真面目さは求められていなかった。時代の気分ということもあるけど、渡と裕ちゃんの決定的な違いが出ているでしよう」(前掲書)と舛田監督は語ってくれたこの映画のキーワードは「退屈」。

 その五郎の前に現れるのが、失踪した宝石商・小島(山田真二)のオーナーの娘で婚約者の白川啓子(浅丘ルリ子)。この映画の浅丘ルリ子は実に美しい。啓子は五郎とはまた違った意味で、退屈な日常を過ごしているようだ。許嫁を探しているといっても必死さはない。五郎は啓子に「寝たい」と口説くが、啓子は全く興味がない素振り。啓子「なぜ、どうしてここにいるの」、五郎「あんたと寝たいからさ」とうそぶく。「男って何もしないのにつて言って、するのね」。啓子の冷たい美しさ。数ある浅丘ルリ子の出演作のなかでも、その美しさが際立つ一本である。

 池上のシナリオには、こうした魅力的な台詞に溢れている。東京のやくざの幹部・大沼(深江章喜)に、半年ほど辛抱しろ、と言われた五郎が「半年・・・百八十・・・二・五日は長えからな」と呟く。五郎を慕うュカリ(松尾嘉代)には「嫌いじゃない、飽きたんだ飽きたけど、嫌いじゃない」と正直に告げる。

 桟橋のロッキングチェアに座り海を見つめる五郎は、弟分のキー坊こと竹越喜一(杉良太郎)に「何を考えているのか」と聞かれ「何か考えることねえか、って考えてるんだよ。」と答える。「海の向こうはどうなっているか、わからねえ、わからねえから何かあるんじゃねえのか、って気がするんだよ」。こういう台詞はこれまでの日活アクションにはなかったもの。

 その五郎に差し向けられた刺客・沢井には、この年『拳銃は俺のパスポート』(野村孝)、『殺しの烙印』(鈴木清順)、「みな殺しの拳銃」(長谷部安春)のン、一ドボイルド二部作"で演じた寡黙な殺しのプロフェッショナルを好演。融通が利かなそうな昔気質な雰囲気も含めて、五郎の軽さとは好対照をなす。

 パンフルートを効果的に使った鏑木創による音楽も魅力的である。メインテーマのリフレインが、五郎の退屈と孤独を巧みに表現している。ゴーゴークラブで相手に激高し気ますくなった五郎が踊り出す「ジェンカ」のユーモア、キー坊の恋人・ココ(奥村チヨ)が歌う「北国の青い空」 (作詞:橋本淳 作曲:ベンチャーズ)もキュート五郎が劇中に口ずさむのは、荒木一郎のヒット曲「いとしのマックス」。1967年という時代の気分がサウンドのなかに凝縮されている。

 この映画の成功に手応えを感じた舛田監督、池上金男コンピは、すぐに『続・紅の流れ星』を企画するが、会社から「やくざ映画を作れ」と言われて、それが渡哲也の『無頼より 大幹部』( 1968年) となった。『無頼』シリーズは1年で6作作られる人気シリーズとなり渡の代表作となる。この第2 作『大幹部 無頼』( 1968年)で監督昇進した小沢啓ーの『前科 仮釈放』『同 ドス嵐』( 1969年)での渡は、本作の五郎のリフレインだという。しばらく後になるが、舛田監督が松竹で撮った渡主演の『さらば掟』( 1973年)は、『続・紅の流れ星』のために考えたアイデアを膨らましたものだという。ここで渡は五郎ならぬ吾郎を演じていた。

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