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『素ッ裸の年令』(1959年・鈴木清順)


 日活第三の男・赤木圭一郎。1961(昭和36)年2月14日、『激流に生きる男』撮影中、休憩時間に乗ったゴーカートが、撮影所大道具工作場の扉に激突。同、21日に帰らぬ人となった。享年21歳。ダイヤモンドライン入りしてわずか一年、これからという時だった。赤木は、1958(昭和33)年。成城大学一年の夏、第四期ニューフェイスとして日活へ入社。同期に鈴木清順映画ではおなじみの野呂圭介がいる。当初は、本名の赤塚親弘名義で数々の映画に出演。赤木圭一郎は、井上梅次監督が命名。

 まだ駆け出しの脇役だった赤木圭一郎をスターとして売り出すべく企画された初主演作が、鈴木清順監督の『素ッ裸の年令』(1959年9月8日)。予告で赤木を<大日活が生んだ 新しいエネルギー 赤木圭一郎>と紹介。清順監督としては、この年、フランク永井の歌謡映画でSP(シスターピクチャー)『らぶれたあ』(1月15日)、葉山良二と沢たまきのスリラー『暗黒の旅券』(5月19日)に次ぐ作品となる。

 日活宣伝部が本作のために作った宣伝コピーには《恋とスリルを乗せて突っ走るバイク! 大人に反抗し、スピードとセックスに明日の夢を賭ける恐るべきローティーン族!!≫と極めてセンセーショナルな言葉が踊っている。『太陽の季節』(1956年)以来の“無軌道な青春”映画として企画、喧伝されている。

 脚本は、川島雄三監督の『洲崎パラダイス 赤信号』(1956年)や清順監督の『踏みはずした春』(1958年)などの寺田信義と、清順監督。今作のテーマは“恐るべきローティーン族の実態”ということで、サブ(藤巻三郎)たち十代前半の子供たちと、間もなく二十歳を迎える健(赤木圭一郎)の、“大人への反抗”と、ローティーンとハイティーンの対立を、象徴的なエピソードと、丁寧な描写を積み重ね、リズミカルなカッティングで描いていく。

 全国から一般公募されたというローティーンの少年少女たちは、現在から見ると実に幼い。バイクを拝借して暴走し、大学生を恐喝する。米軍基地の片隅にある廃棄されたカマボコ宿舎を“別荘”と称して、隠れ家にしている。少年達は様々な手段で集めて来たお金を、平等に分配しそれぞれの夢を語る。彼らにとって“別荘”は日常の辛さを忘れさせてくれるユートピア。このファンタジックな共同体は宣伝部のコピーとは対極にある。

 そのローティーン族たちの、頼もしい兄貴分が赤木圭一郎の健だが、物語は中学生のサブを中心に展開する。学力優秀だが、家庭的に貧しいサブは、高校進学を希望しているが、経済的な問題でそれも難しい。新聞配達中に、新聞が紛失。「すいません」と謝るサブが閉めた相手先のアパートの玄関のガラスが割れてしまう。ささいな事が、その場に居合わせた新聞記者・早船(高原駿雄)によって“配達先に暴れ込む 恐るべきローティーン”として興味本位に報道されてしまう。その事が学校で問題となり、サブの転落のきっかけとなる。

 この回想シーンは、楕円形の縁取りをしたマスクを切っているが、これは木下惠介監督の『野菊の如き君なりき』(1955年)で使った手法。松竹出身の清順監督らしい遊びともとれる。学校の先生も、級友もサブには冷たくなり、サブのなかの狂気に次第に歯止めがかからなくなっていく。サブは健に内緒で、公衆電話荒らしを行い、そのことで健とも対立する。早船は、サブたちを”ローティーンやくざ”と扇情的に書き立てていく。

 “別荘”の居心地の良さに対して、サブの実家の描写はあまりにも生々しい。貧しい上に子沢山。父親(久松晃)は甲斐性がなく、母親(初井言栄)は困窮生活に追われている。そんなサブの鬱憤を晴らしてくれるのが、暴走でも万引きでもなく、“別荘”の近くに住む、屑拾いの老人・権爺(左卜全)との缶蹴り。ゴルフ場で撮影したと思われるが、その人工的な感覚がユートピア的でもある。権爺さんが佇む夕焼けの丘の人工美。モノクロながらホリゾントを効果的に使って、後の清順美学を思わせるファンタジックな描写である。

 転落していくサブ。ティーンの季節が間もなく終る健は、現状を脱するために、焦り始める。暗黒街のダイナマイト輸送という危ない橋を渡るあたりから、日活アクション的展開となる。信頼していた仲間の裏切りに傷つくサブ。大人に反抗しながら、大人になる準備を初めている健。そして健を慕う陽子(堀恭子)の思慕に対する健の冷たい態度。対立する健とサブ。健の「子供には大人の気持ちがわからない!」と言い放つ衝撃。大人でも子供でもない健は『八月の濡れた砂』(71年藤田敏八)の野上健一郎(村野武範)同様、あいまいな存在として描かれている。

 バイクで暴走対決をする健とサブ。その顛末は、あまりにも衝撃的。無軌道な若者の残酷な末路は、現実の赤木の事を思うと胸が痛む。しかし、作り手の温かなまなざしは、ローティーンの子供たちに明るい希望を与える。ラストの権爺さんの丘は、子供たちにとってのユートピアにも見える。

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