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『喜劇駅前学園』(1967年・井上和男)

「駅前シリーズ」第19作!

 昭和42(1967)年、学生運動は高校生まで広がっていた。ベトナム戦争に反対する若者たちが、女性の自立をスローガンに「ウーマンリブ運動」を展開。そんな時代にも東京映画名物「駅前シリーズ」は安定した成績を上げていた。年に4本のハイペースで新作が作られていた。

シリーズ中期からキャメラを担当した岡崎宏三に、20年ほど前に「駅前シリーズ」をテーマにしたCS「日本映画専門チャンネル」の「24時間まるごと駅前シリーズ」でのミニ番組で、インタビューしたことがある。昭和40年代、「駅前シリーズ」が量産されたのは、当方傍系の東京映画にとって、駅前の興行収入は、文芸作品を維持していくための大事な収入源だったから。

ちなみに前年、昭和41(1966)年に公開されたのは次の4本。

1966.01.15 喜劇 駅前弁天 佐伯幸三
1966.04.28 喜劇 駅前漫画 佐伯幸三
1966.08.14 喜劇 駅前番頭 佐伯幸三
1966.10.29 喜劇 駅前競馬 佐伯幸三

この年、昭和42年はこの4本。


1967.01.14 喜劇 駅前満貫 佐伯幸三
1967.04.15 喜劇 駅前学園 井上和男
1967.09.02 喜劇 駅前探検 井上和男
1967.11.18 喜劇 駅前百年 豊田四郎

 さて、この『喜劇駅前学園』はシリーズ第19作。昭和42(1967)年4月15日、空前の「商店ブーム」のなか連作されていた『落語野郎 大泥棒』(松林宗恵)と二本立てで公開された。この次の東宝系のゴールデンウィーク作品が『クレージー黄金作戦』(4月29日)となる。斜陽の映画界で、喜劇やファミリー向けを中心に「明るく楽しい東宝映画」ブランドは維持されていた。

前作『喜劇駅前満貫』を撮り終えた佐伯幸三監督は体調不良でシリーズを降板、引き継いだのは、松竹大船撮影所出身の井上和男。「蛮さん」のニックネームを持つ、豪快な人柄で、僕も生前、ずいぶんお世話になった。

 井上監督は、神奈川県小田原出身で、昭和20(1945)年復員後、早稲田大学商学部在学中に、地元小田原で「劇団こゆるぎ座」を創立。劇作に意欲的で、劇作家を目指し、松竹大船撮影所脚本部に入り、新藤兼人に師事。最初はシナリオ作家一本で行こうと考えていたが、新藤兼人の「演出をしてみたら」の一言で、助監督試験を受けて、助監督となる。同期には木下恵介門下となる松山善三がいる。

 助監督として、渋谷実、川島雄三につき、そして小津安二郎『東京物語』(1952年)の助監督をつとめる。京都映画『父と子と母』(1956年)で監督に昇進、昭和33(1958)年、桑野みゆきの『野を駈ける少女』『明日をつくる少女』から、松竹大船撮影所のプログラムピクチャー監督として精力的に作品を撮る。

 渋谷実や川島雄三譲りで、風俗描写が得意で、松竹大船においては珍しいバンカラタイプの監督として活躍。昭和40(1965)年、奥田喜久丸の声がけで、フランク・シナトラが監督・主演する日米合作戦争映画『勇者のみ』の日本側監督となる。以後、東京映画で、森繁久彌と三木のり平の佳作『喜劇各駅停車』(1965年)、人気ドラマの映画化『新・事件記者 大都会の罠』『同 殺意の丘』(1966年)を手掛けている。

 そこで、佐伯幸三に代わって『喜劇駅前学園』の演出を任された。今回は、ベテラン八住利雄が、他の映画のために執筆していたプロットを原作に、戦後、プログラムピクチャーの喜劇を手掛けてきた新井一が脚色。新井は、『おしゃべり社長』(1957年・青柳信雄)、『森繁の僕は美容師』(同・瑞穂春海)などの森繁映画や、柳家金語楼の「おトラさん」シリーズなど手掛けていた。いわゆる古いタイプの喜劇作家で、藤本義一が参加して「現代的」にリニューアルされていた「駅前シリーズ」の新風にはなっていない。

 井上監督に生前伺ったのだが「新井一のホンは、昔ながらの喜劇で、ウーマンリブや学生運動のエネルギーを理解していない」もので、これでは映画にならないからと、井上がリライト。それでもプロットの整理とギャグを入れるのが精一杯で、森繁、フランキー、伴淳のスケジュールもうまく調整ができずに「散々だった」と。

 東京の私鉄沿線にある「かもめ学園」は元女子校で、最近は男子学生も受け入れているが、ウーマンパワーで男子たちの影が薄い。ほとんどが女子トイレなので、休憩時間になると男子トイレに男の子が殺到するほど。生徒たちは、今日もプラカードを持って学校改革のデモに忙しい。

 そんな「かもめ学園」に新人の体育教師・坂井次郎(フランキー堺)が赴任。昔ながらの老教頭・春元先生(左卜全)が、体育の時間に生徒の七色パンティを問題視、ブラジャーの着用も認めず、生徒たちは猛反対してデモを開始。そんな教師と生徒の対立を収めたことで次郎は、生徒と教師の信頼を得る。

 左卜全の春元先生と、フランキーの坂井先生が、それぞれの立場を守るために対決するシーンが中盤にあるが、春元先生の長刀と、次郎の柔道対決は、馬鹿馬鹿しくておかしい。左卜全の老体を駆使したスラップスティック場面は、おいおい大丈夫か? というほど、苛烈でもあるが、笑いの不発が多い本作では、いちばんの笑どころでもある。

 徳之助(森繁)は骨董屋で、かもめ学園に通う娘・道子(野川由美子)と二人暮らし。酒屋の孫作(伴淳)の妻・正子(京塚昌子)も、娘・菊子(松尾嘉代)のPTA活動に忙しい。PTAに夢中なのは、子沢山の理髪店主・小原金助(小沢昭一)の妻・駒江(乙羽信子)。娘・晴美(藤江リカ)のためといいながら、家事そっちのけで、毎日、おめかししてPTA活動に余念がない。

 小沢昭一が演じた理髪店主は、もともと三木のり平の役だったが、スケジュールの関係で小沢がピンチヒッターとなった。『喜劇駅前飯店』の理髪店主のリフレインで、小沢昭一がコメディリリーフとして本作の笑いに貢献している。

 そして淡島千景は「かもめ学園」の学園長・青山景子。経営不振に悩んでいるが、そこに付け込むのが、学園の事務長・山本久三(山茶花究)と、町の有力者・簡野掃次(須賀不二男)。甘い言葉で、学園を乗っ取ろうと目論んでいる。

 池内淳子の池沢染子は、お好み焼き屋の女将で、妹・たよ(愛京子)が「かもめ学園」の生徒。次郎がぞっこんとなる、学園の事務員・由美に大空真弓。いつもの「駅前チーム」総出演なのだが、いつになくまとまりがない。

 もしも脚本が藤本義一だったら、1967年の時代の気分や、痛烈な皮肉が込められた狂騒曲となるのに、とつい思ってしまう。残念ながら『喜劇駅前学園』には、制作当時の「現在」が不在なのである。表層的には現代若者を描いているのだけど、それがズレてるのか、的確なのか、今、観ると判断がつかないのがもったいないなぁと思う。

 そのなかで、井上和男監督らしいのは、お好み焼き屋で初めてお酒を飲んだ野川由美子の道子が、帰宅後に徳之助に甘えて、服を脱がしてもらい、パジャマに着替えるシーンのお色気と父と娘の情愛が微笑ましい。当時、最もセクシーな女優のイメージがあった野川由美子が脱いでも、娘じゃなあ、という哀感。かなり長い、森繁と野川のシーンだが、なかなかの名場面でもある。

 井上和男監督の本領が発揮されるのは、次作『喜劇駅前探検』だろう。脚本に藤本義一を迎えて、これは後期シリーズのなかでも一番弾けた笑いのコメディとなる。


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