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『ニッポン無責任時代』(1962年7月29日・古澤憲吾)〜『クレージー作戦 くたばれ!無責任』(1963年7月13日・坪島孝)

01 『ニッポン無責任時代』(1962年7月29日・古澤憲吾)

これから東宝クレージー映画全30作(プラスα)を、制作順に再見してきます。まずは、記念すべき第1作『ニッポン無責任時代』(1962年7月・古澤憲吾)をスクリーン投影。知人のご好意で見せていただいたHD放送のマスター再生なので、DVDよりも綺麗で、平均(植木等)の無責任ぶりがより鮮明かつ、ヘッドホンでの爆音で、ダイレクトに「常軌を逸した古澤演出」を堪能。

平均が、如才のなさで潜り込んでしまう「太平洋酒」ビルがあるのは、東京駅八重洲口近くにあった大和証券ビル。東宝クレージー映画や社長シリーズの会社ビルとしてしばしば登場した。正式名称は「大和呉服橋ビル」。千代田区大手町2-6-4。外堀通りと永代通りの呉服橋交差点の北西角にあった。昭和31(1956)年に竣工され、高度経済成長のニッポンを象徴するビルだった。古澤憲吾監督のお気に入りで、本作を皮切りに「日本一の男」シリーズではほぼレギュラーで登場した。

02 『ニッポン無責任野郎』(1962年12月23日・古澤憲吾)

『ニッポン無責任野郎』(1962年12月・古澤憲吾)をスクリーン投影。この源等(植木等)の傍若無人さ、問答無用の無責任さは爽快さを超えて、冷静に観ても「どうかしている」(笑)テンポも展開もスピーディで、有無を言わせぬ迫力で、気がついたら大団円。

この2作は、濃厚な「コンク」のような映画。これを作ってくれたことで、クレイジーキャッツのインパクトを、後世に伝えることが「容易」になっている。もしも、この2本がなければ、その後の「クレージーソング」のエスカレートもなかったかもしれない。1962年の奇蹟を改めて噛み締めている。

03 『クレージー作戦 先手必勝』(1963年3月24日・東宝・久松静児)

『クレージー作戦 先手必勝』(1963年・久松静児)を久々にスクリーン投影。古澤憲吾のパワフルさの対極にある久松”駅前”静児の現代風俗喜劇。改めて見ると丁寧な作りに感心。無責任男からスーダラ男に戻った植木等さんも悪くない。ハナ肇さんの登場シーンの背景に「用賀新東宝」が! 写真は安田伸さん、植木さん、そして加藤茂雄さん! 東映の「ギャング対Gメン」、日活の「望郷の海」上映。後ろの看板には裕ちゃんの顔も!

04 『日本一の色男』(1963年7月13日・古澤憲吾)

『日本一の色男』(1963年・古澤憲吾)。問答無用の無責任男の破天荒なセールス出世術かと思いきや、恋人への一途な思いからのマネービルだったというウエットかつ意外な展開。笠原良三脚本によるサラリーマン映画のパロディ。光等(植木)をめぐる、団令子、草笛光子、白川由美、浜美枝、そして藤山陽子!東宝ビューティーズの均等按配。「移動注意!」と叫んで走り出す植木さんの根拠のない元気に惚れ惚れ。なんといっても人見明さんいまいましげな表情!

05 『クレージー作戦 くたばれ!無責任』(1963年・坪島孝)

『クレージー作戦 くたばれ!無責任』(1963年・坪島孝)。田波靖男脚本は、「無責任男」の生みの親、自らによる「無責任の幕引き」なのだけど、アメリカ喜劇をこよなく愛する坪島演出はデティールがおかしい。特に谷啓の「自己催眠術」がかかった時! 時折入る妄想シーンは「宮本武蔵」「独立愚連隊」「暗黒街」と東宝ヒット作のパロディ。やはり面白いのは出だしの10分。モノクロ映像の時はショボクレサラリーマンの田中太郎(植木)が、ハッスルコーラが効いてきて想天然色のパワフルな無責任男に変身する瞬間! クライマックスの箱根小涌園(オールセット!)でのそれまでの登場人物が入り乱れるドタバタは、スクリューボールコメディへの憧れを感じる。

1963年のクレージー映画は、ことほどさように多種多彩のカラフルな味わい。これに年末の『香港クレージー作戦』(杉江敏男)まで作られるんだから、植木さんが倒れてしまうのも仕方ないよなぁ。しかし四作とも監督が異なり、テイストが皆違うのがすごいなぁ…


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