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エンタツ・アチャコの『僕は誰だ』(1937年・岡田敬)

 吉本興業とP.C.L.提携による「エンタツ・アチャコ映画」第4作となる『僕は誰だ』は、昭和12(1937)年9月14日に封切られた。原作は秋田實、脚本・監督は『あきれた連中』『これは失礼』を手掛けた岡田敬。今回のエンタツ・アチャコは、人気漫才師。つまり自役自演。『あきれた連中』では保険外交員のアチャコと失業者のエンタツ。『これは失禮』では公設市場の肉屋のアチャコと店員のエンタツと、一応、シチュエーションの中でそれぞれの役柄を演じていたが、前作『心臓が強い』では漫才師ではないけど、横山エンタツと花菱アチャコの自役で新聞社の特派で美人島探検をする。「何かを演じる」のではなく「エンタツ・アチャコ」として映画に出ている。それだけで良かったのである。

 ミッキー・マウスやドナルド・ダックが、どんな設定の漫画映画でもミッキーであり、ドナルドであるというキャラクターだったように「エンタツ・アチャコ」は「エンタツ・アチャコ」なのである。で、どの映画でも二人がぶつかった瞬間、会話が漫才となる。観客は‘二人の「しゃべくり漫才」を期待し、エンタツのワンダーなリアクション、珍妙な動き。常識人のアチャコが、エンタツの奇想天外に振り回される姿が観たかったのである。

 さて『僕は誰だ』は、秋田實のアイデアによるバック・ステージもの。楽屋のエンタツ・アチャコの姿が描かれる。ステージでは仲良くコンビを組んでいるが、楽屋に戻ると、寄ると触るといがみ合う。ニール・サイモンの「サンシャイン・ボーイズ」みたいに、二人の喧嘩と友情が展開されていく。

 とはいえ、演出が岡田敬なので、コメディ映画としてはフラストレーションがたまる(笑)モダンな設定だけに、『東京ラプソディ』(1936年)の伏水修だったらもっとお洒落な感じになるのに・・・ 

 日比谷の一流劇場(外景は、東京宝塚劇場)のステージでは、和製フレッド・アステアと呼ばれた中川三郎が華麗なタップを披露している。中川は17歳で単身渡米をして、C C N Y(ニューヨーク州立大学シティカレッジ)を卒業して、日本人としては初めてブロードウェイのスステージに立ったタップダンサー。この映画の前年、昭和11(1936)年、帰国して東京吉本の専属となる。その銀幕でのお目見えでもあるのが『僕は誰だ』のトップシーン。

 劇場支配人は三島雅夫。『これは失禮』では米屋失踪事件の鍵を握る怪しい八百屋を演じていたが、ここでは麻生豊の人気漫画「のんきなとうさん」みたいなスタイルで、漫画チックでオーバーな芝居をしている。このあたり、岡田敬監督のセンスの悪いところで、エンタツ・アチャコの出番が迫り、屈強な男たちに命じて、舞台に穴が開けないように「怪我をさぜず、傷つけず、脅かして」無理やり、ステージにあげる。それがルーティーン的に展開されるのだけど・・・。

 楽屋でいそいそとおめかしをしているエンタツ。そこへアチャコが入ってきて、豪快にぶつかる二人。

アチャコ「気つけい、君」
エンタツ「ちょっと」
アチャコ「どこへ行くんや?」
エンタツ「彼女」
アチャコ「彼女?」
エンタツ「ああ」
アチャコ「彼女ってなんやの?」
エンタツ「なんやて君(両手を丸くして)そんなん、格好できないよ」
アチャコ「ちょっと待て」
エンタツ「そんな乱暴なことすんなよ」
アチャコ「待てい」
エンタツ「君にね、いっぺん紹介したでしょ」
アチャコ「ああ、ああ、あれか」
エンタツ「ああ、あれや・・・こら、そんな失礼な言い方すな、僕のためには、大事な、大事な恋人や」
アチャコ「恋人。そや、今日は恋人と約束した日や」
エンタツ「恋人?」
アチャコ「ああ」
エンタツ「あいつか?」
アチャコ「あいつかって、君にまだ一回も紹介してないよ」
エンタツ「ああ、そう」

と、相変わらずエンタツのボケの間(ま)が絶妙で、二人は「こんなことしてられへん」と慌てて着替え始める。エンタツは、すでに着替えた服をわざわざ脱いで、また着直す。どこまでもボケに徹している。

 というわけでステージの漫才ではなく、楽屋での会話を漫才として見せる。このあたりが秋田實のアイデア。で、エンタツはお好み焼き屋の彼女・加代(姫宮接子)に逢いに行く。姫宮接子は、明日待子と並ぶ「ムーランルージュ新宿座」の看板スターで、この頃、東京吉本に移籍したばかり。ルックスも良く、タップダンサーとしても評判で、P.C.L.映画では『牛連れ超特急』(1937年)、『花束の夢』(1938年)などに出演することになる。

 で、エンタツの恋人・加代に懸想している男が現れる。見るからにアホぼんの藤木(アチャコ二役)だが、エンタツは相方のアチャコだと思って激怒する。ということで『僕は誰だ』の趣向は、アチャコそっくりの藤木、そしてエンタツそっくりの石田探偵(エンタツ二役)が登場して、本物とそっくりさんが、入り乱れての大騒動が展開されるというもの。

 エンタツは、藤木に加代を諦めさせようと一計を案じる。「お母さんが眼病で千円必要なの」と加代に言わせて、困った藤木(アホぼんなので、あまりそうは見えないが)が、フラフラと街をさまよううちに、エンタツ・アチャコの出演している劇場の楽屋口へ。そこで支配人に「千円・・・」とささやくと、他ならぬアチャコの頼みと、三島雅夫は前借りを出す。

 一方、アチャコも、恋人・邦子(椿澄枝)から「お母さんが眼病で手術の費用、千円が必要」と相談を受ける。この偶然が事態をややこしくしていく。邦枝を演じた椿澄枝は、P.C.L.映画の清純派ヒロインで人気があった人。『東京ラプソディ』での藤山一郎の恋人など、今見ても可愛い。

 さて、楽屋ではそれぞれの恋人の話をしているうちに、例の「千円」の話になり、またまた勘違いで二人は大喧嘩。散々揉めて罵り合う二人。でも、一度ステージに上がれば・・・

エンタツ「だからあたしは考えた。電気、ガス、油、ロウソク、火の気一切用いずして、世の中をパッと明るくする工夫。どや?」
アチャコ「それ、僕にちょっと教えてくれ」
エンタツ「電気、ガス、ロウソク、油、火の気一切用いずして、世の中をパッと明るくする工夫」
アチャコ「うん。それはどうする?」
エンタツ「夜の明けるのを待つ」

場内大爆笑

エンタツ「言うたら笑われるぞ。ははは」
アチャコ「もうちょっと君、真面目な話をせい、君」
エンタツ「愉快でしょ」
アチャコ「何が愉快なものか。僕は一生懸命に聞いているもの」

 時々インサートされる劇場のロビーや、事務所は実際に東京宝塚劇場でロケーションしたもの。外景のショットでは、すぐ前にあったフランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルも画面に登場する。昭和12年、東京ブロードウェイと呼ばれた日比谷の劇場街の空気がフィルムに刻まれている。遅れてきた世代にとっては、何気ないショットが、たまらなく嬉しい。

 で、アチャコ自身も支配人に「千円」前借りを申し出たために、ニセのアチャコ=藤木の存在が明らかになる。そこで、藤木の知り合いの名探偵・石田(エンタツ)に捜査依頼をすることに。この探偵事務所に、アチャコの恋人・邦枝が勤めている。で、石田探偵は恐妻家で、怖い女房に清川虹子。ここから、二組のエンタツ・アチャコが入り乱れて、観ているこっちも何がなんだかわからないほどの混乱が展開される。

 コメディ映画として着想もいい、エンタツ・アチャコの漫才も勢いがある。モダン東京を舞台に大阪弁の漫才、と言うのも楽しい。なのに、岡田敬の演出が、人物の出入りなどの詰めが甘く、時々、展開がわからなくなる。娯楽映画としての「明快でわかりやすい」映画になってない。ナントモハヤ。

 でも、素晴らしいのは「僕は誰だ?」と言うテーマ。自分が誰で、相手が誰か?この混乱。のちにクレイジーキャッツの谷啓が、坪島孝監督と『奇々怪々俺は誰だ?』(1968年)に主演するが、この「アイデンティティーの崩壊」をテーマにした喜劇は、坪島監督が幼き日に観た『僕は誰だ』のイメージがあったという。さて、ドタバタのあと、街角でばったり会ったエンタツ・アチャコの会話。

アチャコ「おう」
エンタツ「どこへ行くんだい?」
アチャコ「ちょっとそこまで買い物に」
エンタツ「しかし、君はアチャコだろうな?」
アチャコ「はっきりしてくれ、僕はホンマもんのアチャコや」
エンタツ「そう思うけども」
アチャコ「しかし、冗談抜きで、君こそホンマのエンタツやろな」
エンタツ「僕はエンタツです」

 クライマックス。ステージに紛れ込んだ、藤木と石田探偵、本物のエンタツ・アチャコとごちゃごちゃになって、珍妙な漫才が大受け。結局、四人でユニットを組むことになってのハッピーエンド。いい線行ってるのに、もう少し演出にセンスがあればと、ないものねだり。

 しかし、この映画の翌年、昭和13(1938)年東宝に強力な助っ人が現れる。松竹から「喜劇の神様」齋藤寅次郎監督が移籍。『エノケンの法界坊』でエノケン映画をさらに進化させ、昭和13年8月公開、次なるエンタツ・アチャコ映画『水戸黄門漫遊記 東海道の巻』では、喜劇映画でのエンタツ・アチャコの面白さを引き出すこととなる。



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