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清水の暴れん坊(1959年・日活・松尾昭典)

THE WILD REPORTER

男も惚れるぜ!イカス裕ちゃん大暴れ!
気っぷがよくて、腕もたつ、隠しマイクに七変化!!

製作:日活/東京地区封切 1959.09.27/8巻 2,342m 86分/カラー/日活スコープ/併映:夜霧の空港・昭和34年度大相撲秋場所

 昭和34(1959)年、日活アクションの伝説となる二人のスターが、本格的初共演を果たした。そういう意味でも『清水の暴れん坊』はトピックな作品だろう。その二人とは、もちろん石原裕次郎と赤木圭一郎。日活アクション黄金時代の礎を築いたスターの石原裕次郎と、その新時代を担うべく大きな期待を寄せられていた赤木圭一郎にコンビを組ませた、水の江滝子プロデューサーのアイデアの良さ。スター映画全盛時代ならでは、だろう。

 赤木圭一郎は、昭和14(1939)年東京麻布生まれ。昭和19(1944)年、5歳の時に、空襲が激しくなったため江ノ島の片瀬海岸へ疎開、その後葉山に転居。湘南育ちの赤木は、成城学園大学在学中の昭和33(1958)年8月1日、日活第4期ニューフェイスとして日活に入社する。その頃は本名の赤塚親弘として出演している。

 俳優修業の大部屋時代、数多くの作品にノンクレジットで出演しているが、裕次郎映画では『赤い波止場』(1958年9月23日公開・舛田利雄)での通行人役、『紅の翼』(1958年12月28日・中平康)の空港で取材する記者役、『若い川の流れ』(1959年1月15日・田坂具隆)の芦川いづみの誕生パーティの客役などに出演している。

 赤塚親弘を赤木圭一郎と命名したのは『群衆の中の太陽』(1959年3月18日)の井上梅次監督。その甘いマスクと長身痩躯は、裕次郎、小林旭に次ぐ第三の男として、日活も大々的に売り出すこととなり、この年の4月29日、裕次郎の『男が爆発する』(舛田利雄)の併映作となった『拳銃0号』(山崎徳次郎)で“赤木圭一郎(新人)”として本格的デビューを果たした。そして9月8日、『素っ裸の年齢』(鈴木清順)で初主演、その19日後の9月27日、『清水の暴れん坊』で石原裕次郎と共演することとなった。

 赤木圭一郎がスターとして大きく羽ばたくため、その胸を裕次郎が貸すかたちとなったのが本作。脚本は、後にムード・アクションというジャンルを創出し、裕次郎映画の充実に大きく貢献した山田信夫。昭和33(1958)年、シナリオ作家協会コンクールに入選、日活と契約し、本格的にクレジットされたのは本作が初めて。本作では後のムード・アクションにも通底する主人公をめぐる“過去”と、それを克服するための“現在”の戦いというスタイルの萌芽が見られる。

 『俺は待ってるぜ』(1957年)で助監督をつとめた松尾昭典監督にとって、裕次郎映画は本作が初めて。本作を機に『男が命を賭ける時』(1959年12月27日)から『忘れるものか』(1968年12月28日)まで、現代アクションから任侠映画、そしてムード・アクションまで裕次郎映画を数多く手がけることとなる。

 さて本作の裕次郎は、全日本放送局の清水支局から問題を起こして、東京に転任してきた若手のラジオ・プロデューサー・石松俊雄。タイトルバックは本編と関係なく題名をそのままビジュアル化したようなアクションで、日活の大部屋男優総出演。流れるのは 「♪いかすぜマイクの暴れん坊」。ヒロインの北原三枝は、石松の先輩プロデューサー・児島三紀。彼女が東京駅で石松を出迎えるところから映画が始まる。穂高への山登りから直行してきた石松は登山姿のまま、東京駅で「♪旅姿三人男」を口ずさむ。

 屈託のない石松とキャリアウーマンの三紀のあまりスマートとはいえない出会い。明朗アクションに相応しい滑り出しだが、 登山スタイルの石松が蕎麦屋で何気なく頼んだ「ビールともりそば」が、麻薬取引の符牒だったことから、映画は一気に動き出す。石松が出て行ったあと、蕎麦屋に入ってくる戸川健司(赤木圭一郎)は麻薬組織の人間。

 しかも、石松がジャーナリストを目指すきっかけとなったのは、健司の父で新劇俳優の戸川潤(浜村純)が麻薬に溺れて、七年前に起こした事件だったということが明らかになる 。

 ここで主人公の現在の戦いが始まるわけだが、“石松がなぜ麻薬を憎むか? ”の理由が、この七年前の事件と残された戸川健司とその姉・戸川令子(芦川いづみ)との関係にあるという構成は、後のムード・アクションに通じる。

 石松がたまたま入手してしまった麻薬のルートを探り、組織の陰謀を突き止めるために、決死のルポルタージュを進めていく。組織のボス・船越商事社長(金子信雄)や、健司の兄貴分・鉄夫(木浦佑三)の不気味さは日活アクションの定番であるが、「麻薬の恐ろしさ」を全面にした社会派映画的なテーマがストレートなので、従来の日活アクションの小道具としての麻薬とは一線を画している。作り手の「社会的意義」が明確に伝わってくる。

 石松がチンピラスタイルに変装して、麻薬ルートを探って行く潜入取材のシーンでは、当時の浅草六区の映画街が登場、日活の映画館では、蔵原惟繕監督の『海底から来た女』(9月13日)上映中とあるから、当時、ギリギリのスケジュールで撮影したことがわかる。

 見せ場はたくさんあるが、やはりクライマックス。追いつめられ、警官の拳銃を奪った健司が立て籠るシーン。警官隊に包囲され、狙撃の準備がされるなか、令子が説得に向かうが、健司の拳銃は彼女を狙う。ハンドマイクで決死の説得を試みる石松。 追いつめられた健司の焦燥、「大人は判ってくれない」という青春の痛み、それをポジティブな優しさで包み込もうとする裕次郎の演技。このシーンに、山田信夫、松尾昭典ら作り手の熱い想いが凝縮され、それに応えるように裕次郎と赤木圭一郎が迫真の芝居を見せてくれる。

WEB京都電影電視公司「華麗なる日活映画の世界」



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