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『銀座旋風児 嵐が俺を呼んでいる』(1961年・野口博志)

 昭和34(1959)年9月、それまで小林旭のニックネームだったマイトガイが銀幕のヒーローとなった。『銀座旋風児』(9月20日)は、「月光仮面」の川内康範原作・脚本による荒唐無稽な探偵活劇。この頃の日本映画において探偵といえば、推理力よりも変身力や奇抜さが求められる。昭和20年代、GHQの意向で実質的なチャンバラ映画禁止令が下り、時代劇スターの片岡千恵蔵が、七つの顔を持つ男こと名探偵・多羅尾伴内を当り役にしたことに端を発する。

 もちろん、きちんとした推理ものやミステリーも数多く作られていたが、娯楽映画の観客にとって荒唐無稽な超人探偵こそ、探偵のイメージでもあった。それを児童向けに発展させたのがKRテレビの「月光仮面」の名探偵・祝十郎である。そうした背景のなか、小林旭の持つマイトガイのイメージを超人ヒーローに高めた企画は、コロンブスの卵。『銀座旋風児』と、続く『ギターを持った渡り鳥』(1959年10月11日)によって、少年少女のハートを掴んだからだ。1960年度のあるアンケートで、小学生の好きな映画は小林旭の『赤い夕陽の渡り鳥』(7月1日)『東京の暴れん坊』(7月29日)『南海の狼火』(9月3日)が上位にランキング。小学生にとって何よりアキラだったのだ。

 というわけで、すぐに第二作『銀座旋風児 黒幕は誰だ』(1959年12月6日)、第三作『銀座旋風児 目撃者は彼奴だ』(1960年3月26日)と作られている。この間に「渡り鳥」「流れ者」両シリーズがスタート。小林旭は日活の「シリーズ男」となり、単発作中心の裕次郎と好対照をなしていく。しかし「渡り鳥」「流れ者」の好評で、派手なアクションの少ない「銀座旋風児」の製作はいったん中断される。

 ところが1960年末、好敵手役で好評を博した宍戸錠のダイヤモンドライン参加決定で、マイトガイ映画に微妙な変化がおきる。『太平洋のかつぎ屋』(1961年1月27日)を最後に宍戸錠との共演が不可能となり、好敵手を失った人気シリーズへの模索が始まっていた。そこへ裕次郎のスキー事故が重なり、急遽「銀座旋風児」への当番要請があったという。クランクインは2月1日、アップは2月17日と記録にあるから、この間に赤木圭一郎の事故があったことになる。

 しかし、この間にマイトガイ映画は、地方ロケとご当地ソングが絶対条件となっていた。そこでおよそ一年ぶりの『二階堂卓也 銀座無頼帖 銀座旋風児 嵐が俺を呼んでいる』で、それまで銀座を中心に展開していたストーリーに、名古屋ロケの要素が加わる。それが作品のスケール感を広げることとなった。もちろんご当地ソングということで、名古屋城に集結した「名古屋市中京連芸妓社中」による華やかな踊りのバックに、アキラの「中京音頭」が流れる。

 さて、レギュラーメンバーはいつもと同じ。頭脳明晰、可憐な助手の明子に浅丘ルリ子、名パートナーの荒木記者に青山恭二、第二作まで宍戸錠、第三作で小沢昭一が演じていた情報屋の政吉には近藤宏。近藤宏はマイトガイ映画の常連で「暴れん坊」シリーズでは、キップの良い子分千吉を好演しており、本作でも名コメディ・リリーフぶりを見せてくれる。また二階堂卓也にぞっこんの小料理屋の女将・お春さんには南風夕子と、ルーティーンの楽しさに溢れている。また新人・松尾嘉代が初々しい魅力をふりまいている。

 今回、明子くんは事件の核心を知る浜村純の家に女中として潜入。その危急を救いに中村捜査課長・山内明と二階堂卓也がやってくる。謎めいた悪漢のモンキーの兼こと高品格の不気味なキャラクターも雰囲気を盛り上げている。明子くんと二階堂先生は、助手と先生の関係。いつものような純愛ムードは微塵もない。あくまでも「ご清潔」である。

 さて物語は、外車の不正輸入に絡まる税関課長令嬢誘拐事件が発生し、銀座から名古屋に向けて急展開。それは見てのお楽しみだが、二階堂卓也の変装もいつになくエスカレート。いよいよ本家「多羅尾伴内」に近づいて来た。 ここで培ったイメージが、昭和52(1977)年、東映での小林旭版『多羅尾伴内』二部作に発展する。フォロワーがオリジナルになっていく楽しさと必然。 

 「旋風児に不可能はない!」 悪漢どもを前に、正義の天誅を下すヒーローぶり。当時のキャッチコピーは「疾風迅雷! 正義を呼んで、ニッコリ笑えば飛燕の空手! 御存知! アキラの旋風児、神出鬼没の大暴れ!」 マイトガイは空手の名手という設定なのである。

 ラスト「明子、来い!」「はい!」と旋風のように去っていくアキラとルリ子。明子くんの当番は本作が最後となり、一年後の第五作『二階堂卓也無頼帖 帰って来た旋風児』(1962年6月10日)では、松原智恵子が助手の京子をつとめることになる。

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