見出し画像

『中山七里』(1962年5月27日・大映京都・池広一夫)

 昨夜の「カツライス」はデヴィッド・リンチ『デューン:砂の惑星』(1984年)を観たので「ライス」のみ。先日、『沓掛時次郎』(1961年)『ひとり狼』(1968年)を堪能したので市川雷蔵&池広一夫監督「股旅三部作」その2を、観ないわけには行かないと、Amazonプライムビデオ「シネマコレクションby KADOKAWA」『中山七里』(1962年5月27日・大映京都・池広一夫)をプロジェクター上映。今回はモノクロ作品だが、やっぱり長谷川伸原作は素晴らしい。トップシーンからエンディングまで惚れ惚れと堪能した。87分に凝縮された、極めつけともいうべき「股旅もの」の傑作。


画像1

 題名の「中山七里」は、岐阜県下呂市を流れる木曽川支流の飛騨川中流に沿って28キロ続く渓谷のこと。下呂市三原の帯運橋から金山町金山の境橋にかけての名所で、豊臣秀吉の武将・金森長近が天正14(1586)年に、峠越えの旧道が不便だっために、飛騨川沿いの難所を七里に渡って開いたので「中山七里」と呼ばれるようになった。

 長谷川伸の戯曲は、昭和4(1929)年10月「舞台戯曲10月號」に発表された。江戸っ子気質の“木場の政吉”は、恋仲のおさんと死に別れ、旅鴉となる。それから三年、ひょんなことで助けた娘・お仲は、おさんの生写しだった。政吉は、おさんのために命を賭けるが・・・。長谷川伸の「股旅もの」の極め付けで、昭和4年10月には、新橋演舞場で、六代目・尾上菊五郎が政吉を演じて大評判となる。昭和21(1946)年11月、大阪新歌舞伎座・東西合同公演で新歌舞伎「中山七里」が上演されたが、ここで町娘・おはつ/酒屋の娘・おはな役で初舞台を踏んだ2代目・市川莚蔵は、若き日の市川雷蔵だった(参考資料・中川右介著「市川雷蔵と勝新太郎」KADOKAWA)。

 「中山七里」は、他の長谷川伸戯曲同様、繰り返し映画化されている。最初は、四代目・澤村国太郎(1930年11月・マキノ御室・並木鏡太郎)、その翌月には二代目・市川小太夫(1930年12月・ミナトーキー・落合浪雄)。そして32年ぶりの映画化となったのが、この市川雷蔵版である。

 江戸深川の粋な兄さん、木場の政吉(雷蔵)は、一目惚れしたおしま(中村玉緒)と所帯を持つことに。しかし、おしまに横恋慕していた元締め・総州屋の安五郎(柳永二郎)が力づくでおしまを手込めにしてしまい、怒った政吉は安五郎を刺し殺す。ここで運命の歯車が狂い、さらにおしまが自害して、凶状持ちとなった政吉は旅鴉となる。

 この発端が、手際良く、しかし情感たっぷりに描かれる。政吉が、木曽で買い付けてくる材木が、滅法評判が良く、得意先、取引先への信も厚い「堅気」として登場する。ただし酒と女と、博打には目がない「遊び人」。独身を謳歌している江戸っ子。たまたま賭場に十手持ち・藤八(杉田康)たちが手入れに来たため、逃げる方便として飲み屋の仲居・おしまに助けを求める。そこで二人は出会い、翌日には夫婦約束をして、博打も辞めて真面目に働く決意をする。しかし、信用していた雇い主・安五郎がとんだ悪党で、怒り心頭の政吉は殺してしまう。それから一年、旅先で病に苦しむおなかを助けるが、なんとおなかは、死んだおしまと瓜二つだった・・・

画像2

 橋幸夫の「中山七里」(作詞・佐伯孝夫 作曲・吉田正)にのせて、長谷川伸戯曲の世界をたっぷり、雷蔵が見せてくれる。前作『沓掛時次郎』に続いて、雷蔵の「股旅もの」には橋幸夫の主題歌がつきもの、となっていた。歌詞と場面がリンクしていて、しかも政吉の心情に寄り添う歌詞なので、ミュージカル映画のような効果を上げている。これぞ大衆演劇の味! 市川雷蔵の振る舞い、ちょっとした仕草も、粋なやくざ風情の味があり、同時に「おしま」への想いが「おなか」への親切にリンクしていくあたりの「男の純情」も見事に表現。というか観客を、そういう気持ちにさせてくれる。

 おなかの恋人・徳之助に「月光仮面」の大瀬康一! ちょうどこの年の秋から、T B Sテレビ「隠密剣士」(宣弘社制作1962年10月7日〜1965年3月28日)で、公義隠密・秋月新太郎を演じる事になるが、本作では、政吉の男っぷりと対極的に情けない、身も心も弱い男を演じている。中津川で商家を営むおなかの家の番頭で、二人は婚約をしている。しかし店の借金が嵩んでしまい徳之助は、十手を預かるやくざの親分・虎之助(富田仲次郎)の賭場で派手に負けて二十両の借金をしてしまう。その証文に、細工がしてあって、借金のカタにおなかは虎之助のものになりそうになるが・・・

 政吉を江戸から追いかけてくる、悪徳岡っ引き・藤八に杉田康さん、旅先の強欲な親分・虎之助に富田仲次郎さん。その手下・弥七に伊達三郎さん。虎之助と弥七に濡れ衣を着せられて、政吉、おなか、徳之助は、凶状持ちとして木曽街道に人相書きが周り、手配されてしまう。追手を逃れるために、険しい山道に入る三人。しかし、徳之助は、政吉がおなかに親切にするので嫉妬してしまい、その逃避行も御難続き。政吉は、木場時代に材木の商売で世話になった飛騨高山の吉五郎(荒木忍)の世話になろうと提案するが、なんと徳之助は吉五郎の息子で、十五歳の時に家出したまま、一度も帰っていなかった・・・

 このあたり親子の「断絶と再会」のドラマが絡んでくるのが長谷川伸の世界。吉五郎の元へ帰るのは「御免だ」と頑なな徳之助。追手はもうそこまで来ているのに・・・。このあたり、当時の少年観客もドキドキしただろう。その吉五郎の妻、つまり徳之助の母・お鹿には“大映映画の母”・瀧花久子さん。吉五郎役の荒木忍さんは、僕らの世代では『妖怪百物語』(1968年・大映・安田公義)での「おいてけ堀」の老僧のイメージが強い。

 クライマックス。火事で焼けてしまった飛騨川渓谷の無人部落。そこへ政吉たちが隠れている。虎之助、藤八たち悪党ども(十手持ちだけど)がやってきて、一人迎え撃つ、政吉の刀さばき! 一人対十人!の構図は、ちょうど映画界にセンセーションを巻き起こした、三船敏郎&黒澤明監督『用心棒』(1961年)『椿三十郎』(1962年)を思わせる。つまり和製ウエスタンのようなヴィジュアルで、この闘いがカッコいいのなんの! もちろん、それまで弱虫で情けない男だった徳之助の見せ場もある。ここで、ああやっぱり月光仮面だ!と、イライラしていた観客もカタルシスを感じる。

ラスト、別れを告げて去ってゆく政吉の後ろ姿に、惚れ惚れする。大向こうから声をかけたくなる。これぞ娯楽映画のお手本のような傑作!


よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。