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『山の音』(1954年1月15日・東宝・成瀬巳喜男)

7月14日(木)の娯楽映画研究所シアターは、連夜の成瀬巳喜男監督特集。川端康成原作、鎌倉を舞台にした文芸作『山の音』(1954年1月15日・東宝)をDVDからスクリーン投影。

『めし』(1951年・東宝)で倦怠期の妻の”生活やつれ”を見事に表現して「永遠の処女」イメージを払拭した原節子をヒロインに、夫・上原謙とのぎくしゃくした夫婦関係を心配する義父・山村聰との心の交流を描く。川端康成の原作は、1949(昭和24)年から1954(昭和29)年にかけて、複数の雑誌に断続的に発表したもの。当初から起承転結を考えていたものではなかった。

老いを自覚した会社重役・尾形信吾が、ある夜、地鳴りのような「山の音」を耳にして、それが死を宣告されたような気がして恐怖を覚える。息子の嫁・菊子に淡い愛情を抱き、早世した妻の姉に抱いていた思慕を思い出す。

成瀬巳喜男『山の音』は、水木洋子が脚色。この原作のエッセンス、テーマを取り入れつつ『めし』(1951年)、『夫婦』(1953年・東宝)、『妻』(1953年・東宝)などで培ってきた「成瀬映画」としてまとめている。

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菊子(原節子)はどこまでも美しく、無邪気で、普段は全く屈託を感じさせない。「お父様」が大好きで、チャーミングな嫁であり続けている。そんな菊子を、義父・信吾(山村聰)は愛おしく感じている。原作にあるような、妻の亡き姉への恋慕と重ねているような心情は、ほんの少しだけ吐露されるが、あくまでもそのん心象は、これまでの成瀬映画のように、観客に委ねている。

菊子の夫・修一(上原謙)は父の会社に勤めているが、愛人・絹子(角梨枝子)を作り、秘書・谷崎英子(杉葉子)を連れて、夜な夜なダンスホールや愛人宅で遊び呆けている。

その荒みぶりは、映画では言及されていないが、原作では復員兵ゆえ戦争で性格が変わってしまったという設定。というか、この時代の30代の男たちは、誰もが戦争体験者。

成瀬の『夫婦』でも中北千枝子の夫・伊豆肇は、復員以来、定職に就かずにヒモのような暮らしをして、妻に愛想を尽かされる。この次の『晩菊』(1954年6月22日・東宝)の上原謙も、かつての青年将校が戦後、何やっても芽が出ずに、恋人だった杉村春子に金の無心にやってくる。戦争が魅力的な男性を「ダメ男」した。そういう意味では『銀座化粧』(1951年・新東宝)の三島雅夫も、戦中は羽振りが良かったが、戦後、めっきりダメになり、田中絹代の家に小遣いをもらいにきている。

『山の音』の上原謙は、父親の会社で管理職をしているので経済的に不自由はない。しかし、妻や父へのコンプレックスなのか、戦争体験がそうさせたのかは、わからないが、精神が荒廃し、モラルが破綻している。これも台詞のみなのだが、酔った修一は、戦争未亡人の愛人・絹子と、同居している未亡人・池田(丹阿弥谷津子)に「歌え」と強要したり、暴力をふるっていることが匂わされる。

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原作は、この修一の「精神の麻痺と頽廃」に対して憤りを覚える明治世代の父・信吾のモラル。そして、どこまでも無垢で天使のような菊子の純白さの対比がテーマ。こんな息子に、美しい菊子を汚されて欲しくないという、義父の想い。

映画ではそれを、さまざまな出来事を通して淡々と描いているが、観客の「空想力」「共感」によって、川端康成のテーマが伝わるようになっている。そこが見事。

絹子の友人の池田さんを演じている丹阿弥谷津子は、『妻』に続いての成瀬映画出演だが、凛とした美しさがある。実生活での夫・金子信雄は、修一の妹・房子(中北千枝子)のダメ夫・相原役でラスト近くに登場する。

生活力がなく、洋酒のブローカーのようなことをしている相原に愛想を尽かした房子が、鎌倉の尾形家に、二人の子を連れて出戻ってくる。饒舌な房子のセリフによって、相原がいかに甲斐性がないかが語られているので、金子信雄が出てくると、ああ、なるほどとなる。これもうまい。

菊子を待ち受ける運命は、あまりにも切なくて辛い。でも、義父の信吾への信頼と愛情は変わらない。山村聰を見つめる原節子の表情の美しさ。ラスト、新宿御苑の並木道を歩きながら、語り合うシーンは、何度観ても素晴らしい。ドラマとしては悲しい結末なのだが、精神的には救われて、清々しい気分になる。それが見事。

尾形家のモデルは、鎌倉長谷1丁目12−5の川端康成邸(現在は川端康成記念会)。東宝のステージにセットで組まれたが、間取りや雰囲気は実際の川端邸を模している。尾形家の前の竹垣のある道は、鎌倉ロケではなく、美術の中古智が東宝撮影所近くの世田谷区に作ったオープンセットである。冒頭、鎌倉の家に信吾が帰る途中に、自転車の菊子が声をかけるシーンは、古道である稲荷小路で撮影。後半、慎吾と修一が、菊子のことで言い争う場面は、報国寺(鎌倉市浄明寺2丁目)で撮影。境内には2000本もの孟宗竹の竹林があり「竹寺」としても知られる。

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