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『地獄』(1960年・新東宝・中川信夫)


 新東宝マークのあと、いきなり死者の入った棺が暗闇に浮かぶ。ご詠歌が流れ、棺に石で釘がうたれる。棺は炉に入れられ焼かれる。紅蓮の炎と共に「地獄」のタイトル文字が浮き出す。悪趣味である。不気味である。そしてヌードの女と退廃的なリズム。若者の絶叫。この世の煩悩をコラージュしたタイトルバックが開けると、死体が浮かぶプールのショットとなり、若山弦蔵の「地獄」を定義するナレーションがはじまる。

 中川信夫の泥絵の具のようなパノラマ絵巻『地獄』は、畢生の名作であると同時に、キッチュで毒々しい悪趣味のページェントでもある。その後、神代辰巳、石井輝男たちがリメイクしているが、土台「地獄」をテーマにした娯楽映画なぞ、誰が思いつくだろう? やはり新東宝大蔵時代のなせる業。さらに怪談を独自のグロテスク美学でビジュアル化してきた中川信夫のセンス。新東宝末期に妖しく咲いた怪奇映画の頂点となった。 

 製作者の狙いはクライマックスの地獄絵図。『明治天皇と日露大戦争』(1957年)から希代の天皇俳優となった嵐寛壽郎が閻魔大王に扮するのである! ただ地獄絵図を見せるだけでないのが、中川信夫のすごいところ。地獄に堕ちる人間たちを、徹底的に悪どく、おぞましく描いていくのである。

 天知茂扮する大学生・清水四郎は、宗教学を学ぶまじめな学生。恩師矢島教授(中村虎彦)の娘・幸子(三ツ矢歌子)と婚約中。ある日、悪魔のような友人・田村(沼田曜一)の運転する車で、ヤクザをひき殺してしまったのが運のつき。罪の意識に苛まれる四郎が妊娠している幸子と同乗しているタクシーが交通事故を起こし、幸子は即死してしまう。幸子の母・芙美(宮田文子)はそれがもとで発狂。一方ひき逃げされたヤクザの母・やす(津路清子)と情婦・洋子(小野彰子)は復讐のため四郎の命を狙っている。

 ヤクザが絶命するシーンや霊安室に運ばれるショットの怖さ。何が怖いのか。ツボを得た描写である。洋子がキャバレーで四郎を誘惑し、泊まるホテルの安っぽさ。洋子が射つ覚せい剤のショットの退廃。

 母危篤の電報を受け四郎が帰る故郷がまたすごい。父親は養老院を経営しているが、国庫補助をピンハネしたタコ部屋に等しい粗雑なもの。その名前が「天上園」とは! ありとあらゆるタイプの原罪を負った人間たちが、むさ苦しいほどの人いきれのなかで生息している。

 「人間の業と欲」を怪談のテーマに通底させてきた中川らしいデフォルメ描写で毒々しく描かれる。メフィストフェレス的な田村が故郷に現れてから、映画は一挙に破滅に向かうのである。

 新東宝大蔵時代を支えた俳優たちのテンションも高い。沼田曜一の悪魔的演技は、天知茂の苦悩ぶりと好対照をなす。四郎の悪どい父を演じたのが『明治天皇〜』の乃木将軍こと林寛。かつて贋作で逮捕歴のある画家・円斎の大友純は中川映画には欠かせない俳優。なんといってもヤクザの母を演じた津路清子の迫力! 彼女が歌うご詠歌の持つ不気味さ。

 それも地獄絵図のための導入部分だが、とにかくおぞましい。父親は病床の母親の前で愛人と戯れているし、その愛人は四郎を誘惑する。四郎の母は医師の誤診で死んでしまう。養老院の老人たちによる通夜のご詠歌の不気味さ。ヤクザの情婦・清子は、四郎ともみ合い吊り橋から墜落死。そしていよいよ「天上園」10周年記念のわびしい宴の夜、死んだ魚を食べた老人達は全員死亡。矢島教授夫妻は鉄道自殺するし、ヤクザの母親が酒に入れた毒で登場人物たちが皆殺しとなる。やりきれない展開である。

 そこから繰り広げられる地獄絵図。「炎の谷」「三途の川」「地獄釜」「血の池」 亡者が受ける現世の罰。四郎は、幸子と、我が子を求めて地獄めぐりをする。また矢島教授の戦地での過去や、登場人物たちの原罪が暴かれる。そのビジュアルの禍々しさ。宮川一郎の脚本、渡辺宙明の不気味な音楽、黒沢治安の美術イメージの勝利だろう。

 「地獄」を見世物にしようとする大蔵貢の興行精神と、人間の業と罪悪感を容赦なく描く中川演出。とにかくおぞましく、強烈なインパクトを持った怪映画だからこそ傑作であることは間違いない。
 



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