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『東京ブルース』(1939年9月30日・東宝・齋藤寅次郎)

川田義雄

 1937(昭和12)年5月、現在のボーイズ・バラエティの祖「あきれたぼういず」が結成された。リーダーは、本郷区根岸の印刷所の息子で子供の頃から音楽が大好きだった岡村郁次郎=川田義雄。東京吉本の専属芸人となり、和製グルーチョ・マルクスとして一世を風靡した「永田キングとその一党」に参加。ステージで活躍後、坊屋三郎、その弟・芝利英、益田喜頓と結成した音楽漫談グループが「あきれたぼういず」だった。彼らの人気は「吉本ショウ」の目玉となり、東京で大人気となる。それに目をつけたビクターから「四人の突撃兵」「スクラム組んで」(1938年)など続々とリリース。さらに人気は全国区となる。

 当時、吉本興業は東宝と提携して喜劇映画を連作。あきれたぼういずも、1939(昭和14)年1月18日公開の『ロッパの大久保彦左衛門』(齋藤寅次郎)にグループで出演。四人でネタを披露。これがオリジナル・メンバーよる唯一の映像となる。というのも、あきれたぼういず人気に目をつけた新興キネマ演芸部が、吉本からの引き抜きを画策。坊屋三郎、芝利英、益田喜頓は移籍するものの、吉本から説得された川田義雄は留意することに。わずか二年弱で「第一次あきれたぼういず」が消滅してしまう。

 そこで川田義雄は、実弟・岡村達雄、遠山光、菅井太郎(のちの有木三太)と、新たに「川田義雄とミルク・ブラザース」を結成。黒人コーラス・グループ「ミルスブラザース」「乳兄弟」をかけてのネーミングセンスはなかなかのもの。ここで生まれた「地球の上に朝が来る その裏側は夜だった」のフレーズは川田の終生のテーマソングとなった。川田義雄は、広沢虎造の浪曲「虎造節」とジャズ・ギターを融合させた斬新な「あきれたぼういず」スタイルを確立。歌も上手く、ギターテクニックも素晴らしいブルースマンである。

ポスター

 前置きが長くなったが、吉本興業に留まった川田義雄のために、東宝映画で単独主演作を企画。もちろんタレント行政でもあるのだが、川田をエンタツ・アチャコや、柳家金語楼(東京吉本専属!)などのように、主演者としてフィーチャー。新たなスターとして大々的に売り出すこととなった。それが、前年『エノケンの法界坊』(1938年)で松竹から移籍してきた喜劇の神様・齋藤寅次郎監督、菊田一夫作『東京ブルース』(1939年9月30日)だった。

 主題歌「東京ブルース」は、淡谷のり子のコロムビア盤とディック・ミネのテイチク盤の競作だが、曲名は同じで全く違う曲。コロムビア版は作詞・西条八十、作曲・服部良一。テイチク版は作詞・野村俊夫、作曲・杉原泰蔵。本作では、いずれもフィーチャーして、ディック・ミネが川田義雄の親友役で出演、劇中歌唱する。淡谷のり子は出演していないが、淡谷のり子版をコロムビアの奥山彩子が歌う。両者に目配せが効いている珍しいタイアップである。

 奥山彩子は、川田義雄の恋人役、つまり本作のヒロインである。東宝女優ではなく、コロムビアの歌手が主役というのは珍しい。東宝では『東京ラプソディ』(1936年)の藤山一郎のケースである。

奥山彩子

 津山良一(川田義雄)は、医科大学を持ち前の要領の良さで卒業、父・津山良之助(杉寛)の七光で津山医院の若先生となる。で恋人との結婚を家柄重視の父親に猛反対される。つまり、この前年に大ヒットした松竹映画『愛染かつら』(1938年・野村浩将)のパロディである。『愛染かつら』の上原謙は”津村病院院長の息子・津村浩三”。こちらは”津山良一”これが、後半の史上最強の寅次郎ギャグへと発展していく。

 トップシーンは、津山と悪友・川上(ディック・ミネ)とハイキングしていると、ひなげし童謡学園の生徒たちが樋口政子先生(奥山彩子)たちも遠足で来ている。ここでコロムビアの奥山彩子と、テイチクのディック・ミネの歌の応酬が楽しめる。童謡VS流行歌である。ディック・ミネが「故郷の我が家」を歌っていると、子供たちの遊んでいたボールが川田義雄のアタマに直撃。最悪の出会いパターンか? と思いきや、そこは寅次郎映画。脳天直撃で意識不明となった津山良一。樋口政子先生が謝りにくると、目が覚めてシャッキリ、態度をコロリと変えて、ニコニコ。彼女たちを笑顔で送り出す。

 さて、津山医院の若先生・良一は、暇さえあれば看護師の女の子たちを従えて、ギター片手に、川田節を呑気に歌っている。ジャズソング「セントルイス・ブルース」が転調しての川田節。浪曲とジャズの幸福なマリアージュ。至福のナンバーが展開される。この津山先生、まったくのヤブ医者で、ケガでも頭痛でも風邪引きでも、全部「胃病」に見立ててしまう。これぞ、寅次郎喜劇。 

 一方、ひなげし童謡学園では、学園に莫大な寄付をしている両親に、お宅のお嬢さんは天才だ! 童謡歌手として成功間違いなしと、園長が太鼓判。戦前の童謡歌手ブームを反映しての時事ネタ。ところが、肝心の幼い女の子は、かなりの音痴で、おまけに少しだけ抜けている。赤塚漫画のようなテイスト。このシーン、現在のコンプライアンス的にはかなりマズイのだけど、昭和14年の笑いはタフ、かなりダイレクトだったことがわかる。

 で、園長先生が揉み手で、樋口政子先生と共に、父兄を見送っている間に、くだんの女の子、庭の池で金魚と戯れている。すると女の子、どうやら金魚を呑み込んでしまったらしく、大騒動となる。で、津山医院へ運び込まれるが、院長先生は往診中。そこで若先生の出番と相成る。金魚を呑み込んだ患者の付き添いが、あのピクニックで出会った政子と知って、俄然張り切る若先生・良一。その見立は「胃病」というわけにもいかないので、レントゲンを撮ることに。確かに金魚の影がある。これは大変と一計を案じた良一は、女の子の前にお麩をちらつかせて、金魚を誘い出そうという魂胆。

 まるで落語の「疝気の虫」みたい! そこへ院長先生帰ってきて何事かと、レントゲン写真と、女の子を見比べる。なんことはない。女の子のワッペンが金魚の形で、それが映っていたものと判明。良一は大恥をかく。

お麩をちらつかせて、金魚を誘い出そうとするが…

 ある日曜日、数寄屋橋のマツダビルディングの8階「ホテルニューグランド・グリル」から、数寄屋橋、銀座四丁目の服部時計店へキャメラはパンをする。お馴染みのショットに乗せて、淡谷のり子版「東京ブルース」のイントロが流れ、奥山彩子が歌う。物干し台で洗濯物を干しながら、彩子が歌っていると、住所を頼りに良一が訪ねてくる。表にいる良一も歌って、二人のデュエットとなる。そこで良一が家を訪ねると、政子の弟らしき少年が出てきて、向かいの駄菓子屋へ。「森永キャラメル」の幟はタイアップ。ここで点数を稼ごうと、良一は男の子にお菓子をたくさん買ってやる。

家に入ると、政子の父親らしき男(柳谷寛)が迎え出る。座敷に通されて、愛想を振りまく良一。男の子は末っ子で、その上に四人の女の子がいるという。お父さん号令をかけると出てきた女の子の名前は「トヨ、トミ、ヒデ、ヨシ」というギャグ。2階で「支那の夜」を歌っている政子の部屋に通された良一。政子から、階下の親父は、父親でもなんでもなく、下宿の親父・段五郎だという。くさった良一「やるんじゃなかった」とさっきの男の子からお菓子を奪い取る。寅次郎監督らしいギャグの波状攻撃。

次のシーンでは、夜の銀座のネオン。銀座五丁目あたりから、銀座通りを移したショット。松坂屋のネオン、服部時計店の時計塔、夜の銀座のペーブメント、ネオンまたたく昭和14年の銀座の夜。そこに流れるイントロは、ディック・ミネ版「東京ブルース」。ジャズの「セントルイス・ブルース」を意識した伴奏で、ディック・ミネがアパートのバルコニーに座って歌う。

ディック・ミネ

とはいえ、いつしか良一と政子は相思相愛となる。湖畔でボートを浮かべてデュエットする二人。「♪山の湖 静かな時に〜」良一は「あなたが今、世界中でもって番好きな人は誰ですか?」と問いかける。政子は、モジモジしながら「それはね、お母さん!」。拍子抜けするる良一。聞けば、早くに父親を亡くして母一人子一人だった政子と母・おきわ(英百合子)だったが、母は牧場主・野口善兵(渡辺篤)と結婚して、今は田舎で幸せに暮らしている。その、おきわにいつか会いに行きたいと夢を語る。

ところが、院長先生と母・くみ子(伊藤智子)は「医者の息子に相応しい嫁を」と、良一の意向も聞かずにお見合いを仕組むが、その相手のお嬢さん(上山七重)は川上の恋人で、たまたま遊びに来ていた川上がお嬢さんと恋愛中だと告白して、どこかへ行ってしまう。

ある日、良一と政子は、隅田川沿いをランデブー。三囲神社の境内で、こんな看板を見かける。

此のかつらを相思の男女が交互にかぶり、願ひを立てれば立ち所に思ひかなふ。使用料一回 五拾銭 税五銭

とある。これはいい、やってみましょうと良一。カメラが引くと、アノネのオッサンが座っている。「元祖 愛染堂」と恭しく書いてある。その教祖・神山幸運齋(高勢實乗)である。もうこのショットだけでおかしい。

良一「あの、おじさん、お願いいたします。どうぞ」と頭を下げる。
オッサン「こらお前、何を言うの?お前! おじさんとはなんだえ、わしはお前らのおじさんになった憶えはないがね」と怒り出す。ここからオッサンの世界に(笑) 結局、良一は二人分一円と、税十銭を払うことに。税十銭というのは、日中戦争の激化に伴い、此の頃、なんでも間でも課税をしていたからである。オッサンが申告しているとは思えないが、時局に合わせての税の徴収である。

愛染堂では、幸運のかつらを被ると「願いが叶う」仕組み。つまり「愛染かつら」である。本家は、上野寛永寺境内の「愛染桂」の木だったが、こちらは「ハゲヅラ」つまりダジャレ。これが寅次郎流の「愛染かつら」である。この戯作精神!『全部精神異常あり』(1929年・松竹蒲田)、『和製キングコング』(1933年・同)のセンスである。

愛染かつら!

良一と政子がオッサンの「愛染かつら」で恋愛を占っているところへ、なぜか往診帰りの院長先生が美人看護師とともにやってくる。「何をやってるんだ?」「お父さんも被りますか?」。怒った院長先生、かつらを叩きつけて踏みつけて壊してしまい、そのまま良一を車に押し込めて立ち去ってしまう。オッサン「おいおい、もしもし、アノネ、オッサン、これ、商売ができんじゃないか」と嘆き顔。

ひとり残された政子は、寂しい気持ちで、隅田川沿いを歩く。再び「東京ブルース」を歌う。「♪昔恋しい武蔵野の 月は何処ぞ映画街 ああ青い灯 赤い灯〜」。雰囲気は『愛染かつら』のクライマックスである。結局、政子と駆け落ちする決意をした良一は、家を飛び出して、政子の母・おきわが再婚している田舎の牧場へ。

電話が自由に使えない時代。政子が婚約者と来訪する旨を手紙で知ったおきわは、困り果てる。再婚とは嘘で、牧場主・野口善兵(渡辺篤)と妻・おのぶ(清川虹子)夫婦の家の女中だったからである。さあ、困った。どうしよう!幸いなことに、その日は、信心深いおのぶは、富士講で仲間たちとお参りねの旅で不在。恐妻家で心優しい善兵は、政子たちの前で、ニセの夫婦を演じることに。

つまり、デイモン・ラニヨン原作、フランク・キャプラ監督『一日だけの淑女』(1933年・米)である。善兵は、ここぞとばかりに、おきわに対して亭主関白ぶりを発揮。牧場のブタをしめて、お座敷とんかつを振る舞う。ここから、寅次郎ギャグの連続で、婿殿に「どんどん食べなさい」と次々とんかつを揚げて振る舞う。善兵、調子づいて、よそ見しながら、手元にあった亀の子タワシに、コロモをつけて揚げてしまう。

たわしカツ!

良一に「食べなさい、食べなさい」と無理やり食べさせるも、タワシなんで口の中がトゲトゲに。川田義雄の苦悶がおかしい。このタワシギャグは、翌年の『ハモニカ小僧』(1940年・齋藤寅次郎)で、アノネのオッサン謹製のタワシ入りおにぎりでリフレインされることになる。食べ物責めはまだまだ続いて、善兵と良一は搗き立てのお餅の食べ比べ対決となる。昭和40年代のドリフのコントのような展開。カットが変わるごとに、川田義雄のお腹がどんどん膨れてくるのがおかしい。

 おきわには、次々とピンチが訪れて、正体がバレるんじゃないかと、観客ともどもハラハラする。そこへ、一日早く、女房・おたかが帰ってきてしまい、亭主が女中と夫婦気取りなのを観て、ヒステリックになる。清川虹子の独壇場。さぁ、どうなる? 事情を知ったおきわは、すべてを飲み込んで、政子と良一の前で、女中としてふるまい、二人の結婚を祝福して、ハッピーエンド。

 後半、田舎に行ってからは、歌唱シーンや川田節はないのが残念だが、齋藤寅次郎監督ならではのナンセンスギャグの応酬が楽しめる。かくして、川田義雄初主演作は、寅次郎ギャグと音楽シーンがふんだんなバラエティ映画となり、翌年、再び主演作『ハモニカ小僧』(1940年7月10日・東宝・斎藤寅次郎)が作られることとなる。

ご縁があって、2023年1月21日(土)成城一宮庵で、「キング・オブ・コメディ  映画監督・齋藤寅次郎を語る2023 ザッツ・寅次郎・エンタテインメント! VOL.1」を開催します。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。