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『日本一のゴリガン男』(1966年3月16日・東宝・古澤憲吾)

深夜の娯楽映画研究所シアターは、東宝クレージー映画全30作(プラスアルファ)連続視聴。

13 『日本一のゴリガン男』(1966年3月16日・東宝・古澤憲吾)

4月19日(火)は、植木等さんのシリーズ第4作にして古澤憲吾監督の「どうかしてる」センスが炸裂した、スーパー”フリーランス”サラリーマン喜劇『日本一のゴリガン男』(1966年3月16日・東宝)をアマプラからのスクリーン投影(サブスクでクレージー、社長、駅前が観れるのは便利なので無料お試し中)。


『〜色男』『〜ホラ吹き男』『〜ゴマすり男』と年一作のペースで作られてきた植木さんの「日本一シリーズ」は、東宝サラリーマン喜劇を手がけてきた笠原良三脚本による「パロディ」のようでいて、やっぱり「出世こそ最高!」のサラリーマン喜劇。問答無用の古澤演出の「異常さ」が作品の勢いとなり、幻惑されるが、やっていることは小林桂樹さんの「サラリーマン出世太閤記」シリーズの「出世譚」のバリエーション。

ところが昭和41(1966)年になると、東京五輪後のツケが回ってきて世は不況となり、経済界、産業界にも大打撃。リストラの嵐が吹き荒れていた。同年の『社長行状記』(松林宗恵)のテーマが「未回収金の回収」「金策」だったことを思えば納得できる。

映画は「作られた時代の状況」を意識して観ると、色々と発見と共感がある。というわけで『日本一のゴリガン男』は、笠原良三さんによると「ゴリ押しガンガン」だけでなく「合理化案」の暗喩でもある。

西北商事のスーダラ・サラリーマン、日本等(ひのもと・ひとし)は、出張前に、新宿大ガード近くのパチンコ屋「ハト」で一儲け、経費を浮かして出張へ。「遺憾に存じます」のサビを歌いながら例によって、いきなり走り出す異常行動! で、ずっと新宿ロケかと思っていたら数カット後に、東京駅八重洲口、常磐橋近くの大和証券ビルの前の横断歩道を走り抜けていく。気づかなかったなぁ(笑)

で工事現場から落下してきた鉄骨で意識不明。運び込まれた病院は築地がんセンター。古澤監督が好きなスポットで、画面を切り返すと銀座東急ホテル。のちに『フレッシュマン若大将』(1969年)の日東自動車本社となる日産自動車本社が工事中。

そこで前後3回の脳外科手術をして、頭のなかの”無駄なカス”も掃除してスッキリ。超高速回転の頭脳の持ち主となった日本等。ここまでの前段の、ワンダーな展開に「!!」であるが、古澤演出はどんな状況でも観客を説得するチカラがある(笑)

で、退院報告に「西北商事」のある大和証券ビルに出社すると、なんと半年前に会社が潰れていて今は「統南商事」が居抜きで入っている。これまた不況を反映しているが、ただじゃ転ばぬゴリガン男。ならば月給なしのフリーランスとして、自分が取ってきた仕事の売り上げを会社と折半するということで「日本等課」を設立してしまう。

つまり「企業内フリーランス」「企業のブランドでビジネスをする契約社員」の発想である。笠原良三さん、さすが時代を先取りしている。ここから日本等の八面六臂の営業政策が次々と展開。

・船橋ヘルスセンターでの業者家族接待
・蔵前マルキ玩具の返品玩具を防衛司令部に作戦シミュレーション用に大量販売。
・富士霊園の公園墓地の販売…


などなど「新しいビジネス手法」のハウトゥものになっていく。ここからはサラリーマン映画のバリエーションなのだけど、古澤憲吾監督の演出は、タガが外れて、リミッター越えをして「どうかしてる!」の連続。特に石亀営業課長役の人見明さん。これまでのコメディリリーフからさらに深化して、植木等さんとのコンビで船橋ヘルスセンターの宴会で「シビレ節」を唄う奇跡のシーンが誕生!

とにかく面白い。その勢いだけに触れるだけでも楽しい。僕らが子供の頃「日本一シリーズ」をテレビで観て「なんて面白いだ!」と思った、あの感覚は、今でもそのまま続いている。

また日曜夜7時半にオンエアで大流行「オバケのQ太郎」の着ぐるみを脱ぐと植木さん!という夢のショットもある。無責任男とオバQ!

さらに古谷敏さんがバーテンダーの役で出演。「ウルトラマン」クランクイン直前の敏さんと植木さんが同じ画面にいる!

ああ楽しきかな1966年の東宝映画!

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。