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 1963(昭和38)年は、いわゆる「清順美学」が百花繚乱した年。宍戸錠のアクションコメディ『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』(1月27日)、川地民夫のマザコンの殺し屋が印象的なハードボイルド『野獣の青春』(4月21日)、本作『悪太郎』(9月21日)、そして小林旭が敵を斬ると背景が真っ赤になる伝説のシーンが誕生した『関東無宿』(11月23日)が作られている。その中で、唯一のモノクロ作品『悪太郎』は、旧制中学が舞台の青春映画。後の『けんかえれじい』(1966年)へと連なる、型破りな中学生を主人公にした痛快篇。

 現在へと続く美術監督・木村威夫とのコンビがスタートしたのがこの『悪太郎』から。清順監督が助監督時代、山村聰監督の『黒い潮』(54年)の現場を共にしている。それから八年、『悪太郎』で運命的な初コンビを組むことになる。原作は「悪名」などで知られる今東光が、週刊サンケイに連載した小説。封建的社会とデモクラシー。旧弊と近代化が交差する大正時代に、少年期を迎えた原作者自身の体験を描いたもの。脚本は今東光の「河内もの」を得意としたベテランの笠原良三。

 神戸市立中学を素行不良で自首退学し、豊岡の中学へと母親の計略で転校させられる“悪太郎”こと紺野東吾に山内賢。山内は、東宝の青春スター・久保明の実弟で、久保賢の名で東宝映画『あすなろ物語』(1955年・堀川弘通)、『喜劇駅前団地』(1961年・久松静児)などに出演後、日活に移籍。石原裕次郎の『雲に向かって起つ』(1962年)で山内賢の芸名となり、数多くの日活映画で助演。 

 東吾が惹かれる薄倖の少女・岡村恵美子に和泉雅子。和泉は劇団若草の子役で活躍後、日活映画に出演。吉永小百合に続く青春女優として、数々の映画に色を添えていたが、この年、浦山桐郎の『非行少女』(3月17日)で、エランドール新人賞、モスクワ映画祭金賞などを獲得することになる。まさに女優として輝いていた時代。山内と和泉は、日活のフレッシュコンビとして数多く共演。

 小説家を目指す型破りな中学生・東吾は、母親・紺野高子(高峰三枝子)の「城崎温泉に行く途中に立ち寄る」という言葉を信じ、兵庫県豊岡で汽車を途中下車させられ、豊岡中学校長・近藤(芦田伸介)に預けられる。そこで繰り広げられるケンカと切ない恋、激情の日々。清順監督は、さまざまなエピソードを積み重ねて“悪太郎”の豊岡での青春を魅力的に描く。

 初めて東吾が恵美子を見初めるシーン。恵美子は友人の丘野芳江(田代みどり)と、パラソルを差しながら「♪行こか戻ろうか オーロラの下」と歌っている。テーマ音楽やBGMとして劇中に流れる「さすらいの歌」は、トルストイの舞台「生ける屍」のテーマ曲として、北原白秋が作詩、中山晋平が作曲したもの。神戸の外国船員から聞いた「ノスタルジア」を、東吾が恵美子に歌うシーンも印象的。この二曲が大正初期のロマンチシズムとモダニズムを象徴するメロディとして、効果的に使われている。こうした歌は時代を映す鏡となり、センチメンタルな装置として、映画では重要な役割を果たす。

 予算の関係で、豊岡のシーンは、東京からほど近い埼玉県秩父でロケーションが行われたという。初めてコンビを組んだ木村威夫が驚いたというのが、淡路島で芸者ぽん太(久里千春)と東吾の出逢いと、逢瀬で繰り返される橋の上での演出。芝居小屋の前の小さい橋で、二人が背中合わせですれ違う動きを、誰もいないのに群集に押されたような芝居をさせる。リアリズム中心の映画で演劇的な動きを意図的に入れる。清順監督は、本作のイメージを「竹久夢二の世界」といい、二階屋の格子越しに、定齋屋が通るビジュアルなど、監督の中にある大正ロマンのイメージを効果的に表現したのが木村の美術ということになる。清順監督は「木村さんには悪いけど、高峰三枝子のファンだったから、これで映画界に来た半分の思いは達した」と木村威夫との対談(2005年4月)で冗談まじりに語っている。

 封建的な豊岡中学で、頑に自分のスタイルと主張を通す東吾の潔さ。リベラルな感覚と知性。風紀係の五年生との確執。特に恵美子に岡惚れをしている五年生・鈴村(野呂圭介)との河原での対決未遂のおかしさ。清順映画における野呂圭介は、いつも年令不詳。鈴村の存在は本作のアクセントとなっている。

 恵美子と東吾の京都への一泊旅行。一夜明けて旅館の部屋で、キスをしながら交わす恋人同士の会話。生硬な俳優の演技がかえって、二人の初々しさを際立たせる。こうした場面の切ない感覚もまた清順映画の大きな魅力。二人が同じお堂を巡りながら、将来の夢を語るシーンもまたしかり。その二人の京都行が大きな問題として発展し、別れの時が訪れる。初恋の切なさと苦さ。念願の東京へ出た東吾を描くエピローグまで、『悪太郎』には、鈴木清順のロマンチシズムとセンチメンタリズム、青春のリリシズムが凝縮されている。

 1965(昭和40)年、清順監督は木村威夫とのコンビで、山内賢と和泉雅子で『悪太郎伝 悪い星の下でも』を演出。主人公も時代設定も異なるが“悪太郎”イズム溢れる佳作で、シリーズ化が中断されたのは残念でならない。 

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