報酬をお金以外でも考えると楽

世の中カネだ というのは半分真理なのかもしれないけれど、
残り半分の真理について考えたいと思う。

お金を稼がないと家が無い、飯も食えない、友達からの遊びの誘いにこたえられない というなら
そこまでは稼がないといけない。もしくは支出を削らなければならない。
裏を返すと、自分が最低限満足に生活できる程度は稼いだ以上も、お金は稼ぐ必要があるのか?それは無いだろう という話。
(未来を不安がって蓄えておきたいという人は好きにすれば良いと思う。それも同じように、「どこまで貯めたら気が済むの」という、ある種娯楽と同様に"自己理解"と"割り切り"の世界だと思う。)

財務諸表でキャッシュフローは、お金を血液に置き換えてよく説明される。
人間の体において、血液はどこまで綺麗で大量にある必要があるのか。どんだけ(自分用の)献血するねん というのと同じ話。

お金は事業や労働の対価として得られる。
労働で、自分の人生の多く(週5×10時間とか)かけて、
自分が最低限満足に生活できるお金を得られないならそれはきっと会社に搾取されてるから転職か出家して頂くとして

週5×10時間(適当)とかの時間を使って生きていける分の血液を得てからは、
もう血液以外の健康や幸せについて考えてみた方が良いんだと思う。
それ以上働く事を求められても断って良いと思うし、
会社の外で面白そうな事業の誘いを受けたら、儲からなくてもジョインしちゃって良いと思う。(ジョインって言う人 なんか嫌い。)

つまり、
「生活に必要なお金を見定め、その分を稼ぐことができる」という状態に達することができたら、そこからは大きく二つのどちらか。
①課金してやりたいことやる。その分を生活に必要なお金として組み込んで稼ぎを再設計する。(私にとってフジロックでかかる10万円は生活費。)
②やりたいことを儲からない(けど損もしない)事業や労働としてやる。

私は俄然②を志向するんだけど、
これは言い換えれば報酬をお金以外に見出すということ。
経験、感動、人との繋がり、名声、などなど。もちろん儲かっても全然良いんだけど、ここでの事業の儲けは優先度低くした方が幸福の絶対量が多いと思う。なぜなら幸福とはお金(数字)で置き換えられない安らぎや仲間というものの存在も大きい(なんならお金以上)だから。
もう少し発想を拡張すると、やらないとストレスが溜まってくる・悲しい気分になってくる事なら多少損してでも取り組んだ方が良いかもしれない。

※あくまで生活必要資金をクリアした状態から先の話を言ってますよ。
 月15万で生きていけるなら25万稼いだ残り10万の捉え方。

今、日本みたいな先進国は成熟の時期だといわれている。
それでも思想は高度成長期と同じ発想。
脱成長とまでは思わないし、経済成長は良いことだと思う。でも、その大きな経済の流れによって個人の幸せが見落とされるのは大きな誤りであるのは明確だと思う。
だから、必要な分を稼ぐまでは経済成長に貢献して、それ以降は儲けを無視して自分のやりたい事をやろう。そしてお金(数字)以外の自分なりの”いい感じ”を身に纏って死んでいけば良いんじゃない。

ここまでで意味はわからんでもないけど綺麗事っぽくて胡散臭いと思われてしまうかもしれない。
でも自分が会社員として東京でやってる事と、個人で金沢でやってる事はズバリこれであって、それによって自分は社会や会社や他人を無視してマイペースに自分自身と向き合って生きていけていると思う。発想を理解して共感してくれよ。。

具体的に列挙すると
(言いたい事ひと通り話したからここからは単なる事例紹介)

東京での会社員生活は資本主義ど真ん中、東京一極集中による経済発展を住宅供給の側面から支えている。ただし一人では全然ちっぽけな存在で、俗に言う”会社の歯車の一部”でしかない。でも自分はそれを受け入れている。それによって地方出身者が上京する口実を得て、雇用側の経済的安全を担保され、福利厚生を受け、社会的信用で住宅ローンが組める。つまりこれが先述の自分の生活の最低基盤を支える。(更に貪欲なので、苦手分野・身に着けたい能力の業務をやれる会社に就職することで授業料払うべき時間に対して給与を得ている状態を設計している。)

そこから、独身時代は節約生活で貯金をし、そのお金で金沢に不動産を買っている。これは先述の「儲からないやりたいこと」にあたる。家賃は得るけど、いったん貯金をはたいているのでマイナスでしかない。
でも、場所を得る事によって友達と集まる口実ができ、思い出が生まれ、金沢との繋がりも生まれた。

その蓄積によって金沢と更に繋がりたくなって、金沢に家を買っている。(貯金をし続けてた。でも貯金自体が目的でなく、お金をアクションやものに変換することで出来事に繋げようとした。)

更にその蓄積によって自分の主張が明確になっていき、それを表現せずにはいられなくなった。
金沢での同年代の「郊外新築戸建志向」の真逆のカウンターとしての表現欲求(つまり趣味)として銀行に借金をしてやってみた。

そしたら色んな出来事が起きて、法人化した。
かけたお金は全然まだまだ戻ってこないけど、そのお金は20~30年で戻ってくるかもしれないし、少なくとも今それ以上のものを得たからお金の使い方としてOK。

自分が何を求めているのかを理解して、それが報酬となる活動を設計できると幸福に暮らせる。
このことを理解してくれた人が自分と繋がってくれたらまた良い展開。