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寛永江戸全図(1642年)でみる豊島区周辺

今回は寛永江戸全図(1642年~1643年)から確認できる豊島区周辺について書きたいと思います。
※正保元年江戸図(1645年)ほぼ同内容です。後年なのに内容が粗いですね。寛永の写し?

参考までに「寛永」の主な出来事
◆伊達政宗没 寛永13年(1636年)
◆寛永通宝 寛永13年(1636年)
◆島原の乱 寛永14年(1637年)
◆徳川家綱生誕 寛永18年(1641年)

「港区/デジタル版 港区のあゆみ」によると寛永江戸全図の作成年代は1642年~1643年で間違いないようです。
https://adeac.jp/minato-city/text-list/d110021/ht000260

「文京区立図書館」にて詳細に確認できますのでご参照ください。
【臼杵市教育委員会所蔵】寛永江戸全図(寛永19~20年)https://www.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/dl/index_828.html

文京区立図書館より引用

豊島区周辺は図の左上辺り。神田川と高田馬場(江戸城の真西)を見つけると探しやすいです。
馬場の北西方面に豊島区地域が確認できます。

国土地理院より引用

◆A 中西主馬下屋敷
この下屋敷は吉宗(1716年将軍就任)から馬で走った範囲を下賜されたという伝を見た覚えがあります。
それ以前から存在していたということになりますね。

◆B 本立寺
1618年(元和4年)に開山されたそうです。
近くを通ることはよくありましたがこんなに古いお寺だとは知りませんでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/本立寺_(豊島区)

◆C 法明寺
鬼子母神堂の記述はありませんが鳥居が確認できます。
武芳稲荷でしょうか?
立派な鬼子母神堂は寛文4年(1664年)に建立されたので1642年に記述が無いのは納得です。
小さいお堂は天正の時代にはあったそうです。https://www.kishimojin.jp/history/index.html

鳥居の西側(図では下)の道筋を西にちょっと辿り、北の弦巻川を渡って北上して中西屋敷の西を通る道筋は現在のほぼ明治通りの道筋です。

◆D 安藤右京下屋敷
神田川の西側、(E)田島橋~氷川神社~七曲坂~(F)鼠山を経由して(D)安藤下屋敷までの道筋が確認できます。
この道筋は将軍の鷹狩における鼠山へのルートだったようです。

◆G 中西下屋敷の東側まだ「護国寺」はなく「薬園」だった時代です。
参道もまだ開かれていません。
護国寺の創建は天和元年2月(1681年)とのこと。

◆H 現在の日本女子大のところに「大田?下屋敷」とあります。
豊島区史に記載がある「旗本太田家の鼠山屋敷」によると目白台と鼠山どちらも家康から賜ったようです。
鼠山の太田屋敷がどこにあったのか?とても気になります・・・https://adeac.jp/toshima-history/viewer/mp110010/tosimat1/451

もしかして安藤下屋敷の地形が三角地帯で描かれていないのは・・・
三角地帯が太田家の屋敷だったがこの時期には収公されてしまってとか?(妄想です。)

崩し文字が読めればなぁ・・・もっと色々わかることもありそうです。
AIに読ませる方法もあるようですが。
次は安藤下屋敷について書きたいと思います。

※地図・資料引用元
◆国土地理院
http://maps.gsi.go.jp/

◆港区/デジタル版 港区のあゆみ
https://adeac.jp/minato-city/text-list/d110021/ht000260

◆文京区立図書館
【臼杵市教育委員会所蔵】寛永江戸全図(寛永19~20年)
https://www.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/dl/index_828.html

◆豊島区史
https://adeac.jp/toshima-history/viewer/mp110010/tosimat1/451


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