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池袋を中心とした豊島区の郷土史を個人の興味で研究しています。お蕎麦屋さんのメニューが好…

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池袋を中心とした豊島区の郷土史を個人の興味で研究しています。お蕎麦屋さんのメニューが好き。街歩きは実は得意ではありません。

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江戸期の池袋メインストリート十字路と四面塔

江戸期、池袋のメインストリートが交差する「十字路」についてです。 現在では鉄道やビルに埋もれてしまった道筋ですが古地図や現在の地図から推測してみたいと思います。 まずは推測の元となるポイントを。 ◆十字路の南西に「四面塔」があった。 ◆現在の「いけふくろう」の位置が「旧池袋駅舎」の位置と思われる。 ◆昭和10年頃には「旧池袋駅舎」と「菊屋デパート」の中間辺りに「四面塔」が存在していたと思われる。 ※但し四面塔の位置は鉄道の開業や区画整理により駅前に移動されている。 ※「四

    • 池袋・四面塔のあれこれ

      四面塔についての諸々の伝説?について子供の頃は単に怖かっただけでしたが歳を重ねると共に畏敬の念が強くなってきました。 知りたいでも怖い・・・ 池袋で起きる事件や事故をすぐに心霊的な話に結び付けるのはどうかとも思うのですが頭から否定するのも違う気もします、 私わりと信じる性質ですが懐疑派に少し寄ってます。 ネットで散見される四面塔に纏わる怖い話ですが、場所的にちょっと離れ過ぎでは・・・というものがあったりします。 あれこれ探っていたところ四面塔について良くまとまっている記事

      • 1970年代池袋に住まう子供達の行動範囲

        今回は子供の頃の行動範囲について思い出して書きたいと思います。 行動範囲が広くなるのは小学校高学年くらいでしょうか。 中学生ともなると他県に及びますね。 これはチャリンコに乗って遠出が出来る体力と地理的な知識が付くからだと思います。もちろんチャリンコだけではなく、電車利用の場合もあります。 チャリンコの範囲は小学校高学年くらいから池袋西口を中心として・・・ ・北は大山、板橋大谷口、板橋本町 板橋交通公園、大山・模型のグリーンマックスなど。 ・南は目白、高田馬場 学習院

        • 池袋のボウリング事情

          1980年前後の池袋周辺のボウリング場について思い出してみます。 1970年代「ボウリングブーム」の頃は体験したことがありませんでした。 律子さんのボウリングゲームで遊ぶくらい。 1972年がブームのピークだそうです。 ブームが沈静化した頃に初めてボウリングを体験しました。 少年野球チームのレクリエーションだったかな。 一番遊んだのは中学生だったでしょうか。 (大人になってバイト先でローカルブームがありましたが) 試験が終わって休み前に遊ぶことが多かったですね。 誰が主

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        江戸期の池袋メインストリート十字路と四面塔

          有楽町線池袋駅の自動改札

          有楽町線の開業は1974年10月。 当時初めて体験したのが自動改札機と裏側が磁気の切符でした。 (wikiにも記述ありますね) 父親が新しもの好きだったので開業してわりと直ぐに銀座一丁目まで乗った覚えがあります。 開業当時の西口からの地下出入り口は現エソラ前の1ヶ所くらいでした。 もう一か所くらいあったかな?それでも最古級の出入口のはず。 その後、1977年に丸井新館が出来て地下通路が丸井まで延長されました。 (工事中の地下通路を友人と探検したことがあります。) また、

          有楽町線池袋駅の自動改札

          池袋の小学校裏に現れる露天商

          1970年代、たまにですが小学校の裏手に怪しいグッズを売る露天商が現れることがありました。 これは全国共通の現象だったのかな?わりと同じような話を聞きました。 売っているのは文字通り「子供だまし」の商品です。 地べたに布敷いたり、折り畳みの売り台で売ってましたね。 学校や警察に通報されるのがヤバイのか、カモが引っかかって親が飛んでくるのを回避する為か、メタルスライム並みに逃げ足が速いです。 (はぐれメタル程ではない) 親にねだりましたがもちろん買ってもらえる訳もなく、買っ

          池袋の小学校裏に現れる露天商

          続・池袋西口公園(池袋ウエストゲートパーク)

          先日、豊島区郷土資料館の2023年度豊島ミュージアム講座『「池袋ウエストゲートパーク」と池袋』を受講して参りました。 石田衣良さん原作の「池袋ウエストゲートパーク」(以降IWGP)について掘り下げた内容の講座です。 原作は読んでいませんので、初めて知る内容ばかりでとても興味深かったです。原作読んでみようかな?という気持ちになりました。 講師様ありがとうございました。 受講しようと思ったきっかけですが・・・ ドラマ、アニメは楽しく視聴したものの、池袋のダークな部分がフォーカス

          続・池袋西口公園(池袋ウエストゲートパーク)

          池袋ぶらんで~とTO-Bはお洒落でモダン

          すみません東武推しな記事が多いですが西口の子なのでどうしても多くなってしまいます。 東武の新館(1971年当時)がオープンした時は子供心にお洒落でモダンに感じていました。 今の東武がお洒落じゃないとか、西武がモダンじゃないという訳ではないですよ?西武は後年セゾングループの名称になってからめちゃお洒落になりましたね。 東武の話しに戻りますが「ぶらんで~と」なんていうキャッチコピーがナウでヤングでしたね! 休憩所の調度品なんかもお洒落でした。 壁の模様(塗り)なんかちょっとサ

          池袋ぶらんで~とTO-Bはお洒落でモダン

          池袋ホープセンターの天井

          ホープセンターの老舗喫茶店が昨年末閉店したそうですね。 何度も利用したことがありましたので残念です。 フラミンゴもなくなりホープセンターへの「秘密?の階段」は今どうなってるんでしょうか。近々確認しに行かねば。 ホープセンターがオープンしたのは1969年4月(昭和44年)だそうです。 ホープセンターへの入り口はマクドナルドの脇と三井住友の脇の出入口が一番馴染みがあります。 「東武ホープセンター」が正式名称のようですが当時は冠に東武の名称付いていたかな?ちょっと記憶にありませ

          池袋ホープセンターの天井

          寛永江戸全図(1642年)でみる豊島区周辺(鼠山と安藤下屋敷と上り屋敷)

          前回から引き続き寛永江戸全図からです。 今回は「安藤下屋敷」について書いてみたいと思います。 この安藤下屋敷をみた第一印象は「なんで凹や凸で描かれてるんだろ?」でした。 標高図をなんとなくみていると・・・なるほど!となりました。 安藤下屋敷(後の感応寺含む)は三角地帯であるという先入観があり、平面の地図を見るだけでは思い浮かびませんでした。 図に収める為か、道筋の方角がひん曲がってたり、安藤下屋敷が90度回転していたりしますが、この図は「ちゃんと特徴をとらえて描かれてい

          寛永江戸全図(1642年)でみる豊島区周辺(鼠山と安藤下屋敷と上り屋敷)

          寛永江戸全図(1642年)でみる豊島区周辺

          今回は寛永江戸全図(1642年~1643年)から確認できる豊島区周辺について書きたいと思います。 ※正保元年江戸図(1645年)ほぼ同内容です。後年なのに内容が粗いですね。寛永の写し? 参考までに「寛永」の主な出来事 ◆伊達政宗没 寛永13年(1636年) ◆寛永通宝 寛永13年(1636年) ◆島原の乱 寛永14年(1637年) ◆徳川家綱生誕 寛永18年(1641年) 「港区/デジタル版 港区のあゆみ」によると寛永江戸全図の作成年代は1642年~1643年で間違いない

          寛永江戸全図(1642年)でみる豊島区周辺

          池袋・根津山=中西屋敷+お鷹方屋敷

          今回は根津山(中西屋敷とお鷹方屋敷)の範囲について考察したいと思います。根津山については下記記事も合わせてご参照ください。 表題の通り、根津山と呼ばれた範囲は江戸期の中西屋敷とお鷹方屋敷を足した範囲だと思われます。 但し、お鷹方屋敷の東側は根津山に含まれるか微妙なようです。 前回紹介した「NPOとしま遺跡調査会」の資料では中西屋敷とお鷹方屋敷の範囲ははっきりしているようです。 国土地理院の昭和20年頃(1945~1950)の航空写真からも確認できます。 昭和初期のグリ

          池袋・根津山=中西屋敷+お鷹方屋敷

          池袋西口の自衛隊戦車パレード

          1970年代、池袋西口で自衛隊戦車のパレードがありました。 ルートはビックリガード→西口五差路→要町交差点→川越街道・・・ だと思います。 ※当時は要町交差点の千川方面は拡幅される前で細い道でしたね。 これは市ヶ谷から練馬か朝霞までのパレードで、定期的だったのか?単に移動の為だったのか?理由は解りません。 一度限りではなく、数年、数回観た覚えがあります。 もしかすると1980年代近くまで不定期で複数回やっていたかもしれません。 平日だったか休日だったか?時間帯は昼間でした。

          池袋西口の自衛隊戦車パレード

          続:池袋・明治期の水路?川?(追記)

          前回に続き「明治11年(1878年)実測東京全図」についてです。 今回は池袋東口方面を現代地図と見比べてポイントを比較したいと思います。 A)帝京平成大学の西側。 A~B 鎌倉街道といわれている道筋です。 B)豊島区役所の北西角 中西屋敷、お鷹方屋敷(根津山)の南境界辺り。 C)雑司ヶ谷霊園(お鷹部屋)の特徴的な角っこ。 これは江戸時代から残っている特徴で北は「お鷹方屋敷」へ続く道筋だったそうです。 D)東通り入口。ジュンク堂の南側です。 E)イケ・サンパークの南

          続:池袋・明治期の水路?川?(追記)

          池袋・明治期の水路?川?(追記あり)

          明治前期の地図で池袋周辺が掲載されているものを見つけました。 明治11年(1878年)実測東京全図です。 「港区/デジタル版 港区のあゆみ」より https://adeac.jp/minato-city/viewer/mp100080-100080/56_6175/ 豊島区ではなく港区で見つけられるとは!ありがたや~ 左上の地図名称「実測東京全図」の辺りがギリ池袋周辺です。 当時は東京郊外という扱いだったわけで、この範囲まで地図に掲載されていることが珍しいです。 以前記

          池袋・明治期の水路?川?(追記あり)

          「オタクの聖地」と「アニメイト」と池袋

          現在では「オタクの聖地」?と化している池袋。 豊島区役所もかなり力を入れているようです。 トキワ荘の関係で豊島区ではわりと古くからマンガの聖地的な扱いはありました。 藤子不二雄「まんが道」の連載と1980年代初頭のトキワ荘の取り壊し辺りから世間の注目を集めた出したと思われます。 また、手塚治虫がトキワ荘の次に住んだ雑司ヶ谷「並木ハウス」が「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で取り上げられたことも注目を集めた1つの要因でもあると考えています。 さてタイトルにもある「アニメ

          「オタクの聖地」と「アニメイト」と池袋