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📕読書の秋 遠藤周作編📗



忙しかった夏の反動で、
秋は立ち止まる季節。

読書の秋です。

遠藤作品を立て続けに5冊読みました。




📙王の挽歌 

(初版発行1992年)




キリシタン大名として名高い大友宗麟の生涯を描いた作品です。
九州を代表する名門の大友家の嫡男に生まれながら、
母なきあと、父に疎まれ、愛を知らずに成長した宗麟。
愛されない者は人を愛することも、信頼することもできません。

こどもの頃から不安に駆られ、
正室・矢乃愛のない結婚により、
常に心は葛藤していました。

その彼にフランシスコ・ザビエルが大きな影響を与え、
仏門、禅では得られなかた心の平安をキリストの求め、
彼はキリシタンになります。

「その思い出から逃れ、心の安らぎを得るため自分はどれほど五十七年の生涯、暗中模索をなしたことか、仏門も叩いた、基督教の話もきいた、それこそ宗麟にとって本当の戦いだったのだ。」

彼は戦国の時代において、
もう一つの王国を求めた魂の救済を求めた稀有な大名でした。

この本を読んでから
大友宗麟との深いつながり発見!
そのお話はまたこんど。

📘侍 

(初版発行1986年)


東北のとある藩の下級武士が主人公の長編小説である。
藩主の命により、主人公が通訳兼案内人の宣教師・ベラスコに伴われて、異国への長い旅へ発ち、日本に戻ってくるまでの過程を描く。慶長遣欧使節・支倉常長の生涯を題材にしており、作中に登場する野心的な宣教師ベラスコのモデルはルイス・ソテロになっている。
長い旅の終わりの果て、主役の武士は、形だけとはいえ、キリスト教に帰依したことを理由に処刑されるという悲劇的な結末を迎えるが、同時に死を控えた彼が、キリストへの心からの信仰に目覚めていく様を描写している。


エスパーニャとの交流を図るために
伊達政宗はヨーロッパに使節団を送ることにします。
長い旅路のはて、エスパーニャやローマを訪れ
なんとか日本との通称交渉を図り、
キリスト教の洗礼も受けましたが、成功することはありませんでした。
失意のまま帰国した頃には、
日本は禁教令が出されていて、
不遇なままの一生を終えることになったのです。

📕おバカさん

(初版発行1959年)


銀行員・隆盛を頼って、昔のペンフレンドが日本にやって来るという。現われたのはナポレオンの末裔と自称する、馬面の青年だった。臆病で無類のお人好しのガストンは、行く先々で珍事件を巻き起こすが……。

どんな人間も疑うまい。信じよう。だまされても信じようーこれが
日本で彼がやりとげようと思う仕事の一つだった。疑惑があまり多すぎるこの世界、互いに相手の腹のそこをさぐりあい、決して相手の善意を認めようともしない文明とか知識とかいうものを、ガストンは遠い海のむこうに捨ててきたのである。今の世の中に一番大切なことは、人間を信じる仕事ー愚かなガストンが自分に課した修行の第一歩がこれだった。

(角川文庫 109ページ)

《バカじゃない・・・・・バカじゃない。あの人はおバカさんなのだわ》
はじめて巴絵はこの人生の中でバカとおバカさんという二つの言葉がどういうふうに違うのかわかったような気がした。素直に他人を愛し、素直にどんな人をも信じ、だまされても、裏切られてもその信頼や愛情の灯をまもり続けて行く人間は、今の世の中ではバカに見えるかもしれない、
だが、彼はバカではない・・・・おバカさんなのだ。人生に自分のともした小さな光を、いつまでもたやすまいとするおバカさんなのだ。巴絵ははじめてそう考えたのである。

角川文庫 234ページ

この作品こそ、遠藤文学の真骨頂だと思います。

さらにバカばかりになってしまった今、
おバカさんになって
ひっそり生きる・・・
そんな晩年もありかも。。。


📗影に対してー母をめぐる物語ー

(初版発行2020年)


完成されながら未発表で3年前に発見された未発表の表題作を含む、母をめぐる六つの短編。
「人生」を燃焼させようとする烈しい母、「生活」を大事にする父。二人が離婚した時、幼い息子が強いられた選択は、やがて……。今年発見された未発表の中篇小説「影に対して」をはじめ、母を描いた名作を集成。『沈黙』や『深い河』の登場人物が結局キリストを棄てられなかったように、母と別れることは誰にもできはしない――。

はじめて読みました。
息子を手放した母の気持ちにが切なかったです。


📖死について考える


「本当に苦しいでしょうね」「やがて私たちもそうなるんですから」生き残る者のこの言葉はまもなく地上を去っていく者に理解と人間的連帯とを示し、ある程度の慰めを与える。だが、それは死んでいく者の苦しみの半分を慰めてあげても、あとの半分を鎮めはしない。その五〇パーセントをも鎮めるには……。著者が遺そうとした心優しいメッセージ。

「こっちからは、あの方が、供なされます」有名な言葉です。


65歳をすぎたら、次なる世界のことを
少しずつ考えて耳を澄ませて行けたらと思いました。

❤️今、思うこと

高校時代、
聖書や倫社の課題図書でもあったせいか
カソリック作家の遠藤周作、三浦朱門、曽野綾子、
プロテスタント作家の三浦綾子の作品を貪るように
学校の図書室で借りてきて読みました。


その中でも遠藤作品
「沈黙」「イエスの生涯」「死海のほとり」

どれもショックでした。

奇跡もできない非力な人間として描かれているように思え、
私にとってのスーパースターのイエス様を
こんな風に書かないで!と思ったことをよく覚えています。

非力で弱い人間でも
信仰によって強くなれるというストーリーテラーの
「氷点」「塩狩峠」「泥流地帯」などの
三浦文学に傾倒した10代の私でした。


故里庵先生のフランスユーモアも
私には高尚すぎたのかもしれません。

それでも遠藤周作大先生の本は
いつも傍にありました。

20世紀の終わりに遠藤先生は帰天されました。

10月に入り、あるきっかけで
再び読み直そうと神奈川図書館の書庫で
最初に目に入ったのは「王の挽歌」でした。

日本という国でキリスト教は根付かない・・・


プロテスタントの信仰を持って53年。

私のイエスは
そっと傍にいて、
私の手に手を置いて
優しい目で見ていてくれる
遠藤先生の描くイエスになっていました。

10月5日は父の命日
11月26日は母の命日

わたしにとって
秋は“メメント・モリ“の季節です。

1923年生まれの遠藤周作さん。
今年は生誕100年です。

10月7日から始まった
「死海のほとり」の出来事を
どう思うか聞いてみたいと思います。


#読書の秋
#遠藤周作
#大友宗麟



















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