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⛪️明治学院プラチナカレッジ⛪️


明治期の西洋音楽史を知る体験型レクチャーコンサート
〜リードオルガン、パイプオルガンの試奏体験・ふいご踏み体験〜

久しぶりに母校にいってきました。
2台の貴重なオルガンの試奏もできるという
魅力的な講座です




15人ずつの2グループに分かれ、
最初は合同で明治期の西洋音楽について
講義を受けました。


レクチャータイム


宗教改革後、大衆讃美が行われるようになって、
大勢で讃美歌を歌うようになり、
より大きな音の出るパイプオルガンが必要になっていきました。

バロック時代、バッハの活躍もあり、
一台でオーケストラの役割ができるパイプオルガンは
高度のなっていきます。

明治時代、日本に西洋音楽をもたらしたのは
基督教会、学校設立にやってきた宣教師でした。

1863年にヘボン博士夫妻は横浜で
英学塾を始めました。

これが明治学院の始まりです。

成仏寺の宣教師たち 1860年(万延元)
左からS・R・ブラウンとその娘、ゴーブル、ヘボン
横浜開港資料館蔵



その頃、
外国人は一定の居留地しか住むことができませんでした。
横浜山手と東京築地です。

1877年に横浜から東京築地に移り、
東京一致神学校が開設されました。

明治学院高等学校HPより






余談ですが
横浜税関の記録によれば

ヘボン博士夫人のクララは
アメリカからフォルテピアノを持ってきました。
おそらくこれが日本最初のフォルテピアノです。

シーボルトが持ってきたスクエアピアノは現存していますが、
クララのフォルテピアノは確認が取れていません。


1887年 東京白金に「明治学院」と改称して開校しました。
サンダム館で礼拝がもたれました。




生徒も増え、大きな音の出る楽器が必要となりますが
さすがにパイプオルガンを持ってくることができません。

そこで 1914年当時、
学院で教鞭をとっていたA.K.ライシャワー博士の尽力で
シカゴのハイドパーク長老教会および改革派教会から
大型のリードオルガンが寄贈されました。

ちなみにライシャワー教授は
元駐日大使のエドウィン・ライシャワー氏のご尊父です。

ところが1914年11月24日、
リードオルガンが設置されていた
サンダム館から火災が発生しました。

教授と神学部学生がアメリカから到着したばかりの
リードオルガンを上階から引き下ろして救出して、
災禍を逃れました。

もしかして、クララのフォルテピアノは
この時、焼失したのかもしれません。

どちらかしか運べないとなったら、
リードオルガンを持ち出すのは当然でしょうから。
もちろん これはわたしの想像ですが。

1916年 ヴォーリズ設計による礼拝堂献堂式が行われ、
リードオルガンが奏楽で使用されました。

学校では神学、英語、そして音楽の授業がありました。

女子学生も音楽を学び、
より高度な教育を受けることができるようによ
フェリス女学院音楽科ができていったのです。


さて江戸時代まで、邦楽しか聞いたことにない日本人の耳、
ドレミの音階をなかなか聞き取れませんでした。

そこでドレミソラ の5音階の讃美歌を作ります。
当初は英語と日本語で歌われていました。


それが唱歌となっていきました。

明治学院のリードオルガン

同窓会HPより


メーソン&ハムリン社製
外版に「STYLE410」と刻まれているこのリードオルガンは
おそらく1904年製とみられています。

2014年には港区指定有形文化財(歴史資料)に認定されました。

リードオルガンとしては大型で、
二段の手鍵盤とペダル鍵盤、15 のストップ(音色)が備わっています。

音を生み出 す真鍮製のリード 573 枚を含め、
すべて手作りで製作されたものです。

製造元のメーソン&ハムリン社の
オルガン部 門はすでに閉じられているため、
修復にあたった担当者は、
当時も存在した材料を探し、
ストップノブなどは伝手をたどって海外から取り寄せ、
オリジナルを尊重しながら演奏を可能にする方法をとったそうです。

リストも絶賛したというメーソン&ハムリン社製リードオルガンは
日本では3台しかなく、
演奏できるように修復されているものは、
この、明治学院記念館に置かれている1台のみと知りました。

講師の梅干野安未(ほやのあみ)先生が
フーガBWV578(J.S.バッハ作曲)を演奏してくださいました。

しっとりした落ち着いた音です。
こんなに綺麗な音は聞いたことがありません。
心に深く染み込んでくるような音。

そのリードオルガンをなんと、1分弾くことができました。

楽譜台に置かれた讃美歌「いつくしみ深き」を弾きました。

とっても弾きやすくて、感動しました。
教会のあった古いリードオルガンを思い出しました。
足鍵盤もチャレンジしたかったです。

明治学院のパイプオルガン


さて、明治学院にパイプオルガンが設置されたのは1966年でした。
1975年度生のわたしは入学式で初めてパイプオルガンの音色を聴き、
すっかり魅了され、チャペルアワーで奏楽を楽しみに礼拝出席をしました。


堂々と祭壇場所に設置されたパイプオルガン チャペルの記念写真より


ところが、1998年にオルガンの故障が多発して
調査の結果、修理不能と判明しました。

ヨーロッパでは300年以上も持つパイプオルガン、
なぜそんなに早く修理不能になるのか色々調べたところ、
パイプの金属が以前より強くなり
工場で均一に作らることにより、
潰れてしまうようになることがわかりました。
不純物も必要なのです。

そこでパイプオルガン制作の黄金時代だった17世紀〜18世紀の
工法をすべて再現した「バッハ時代の音色」を出せる
パイプを作れるオランダのファン=エーケン工房に制作を発注しました。
2004年のことです。

この工法で作られた20世紀以降のオルガンは
世界で4台目、日本では最初のものとなりました。

17世紀〜18世紀中部ドイツ・オランダ様式
2段手鍵盤と足鍵盤、33ストップ。
パイプの数は2045本!です。


後方に設置された現在のパイプオルガン チャペルの記念写真より


祭壇部はスッキリ ヴォーリズ設計当初に戻りました







2007年にチャペルの耐震工事が終了し、
2009年にチャペルに設置されました。

それからオルガンコンサートも開催され、
式典・礼拝での演奏、
また、学生生徒のオルガン講座や授業で使用されています。

パイプオルガン奉献演奏

2009年9月9日に行われた奉献演奏です。
演奏はオルガン・コンサルタントの
ジャック・フォン・オールトメルセン氏です。

パイプオルガン見学

明治学院のパイプオルガン見学会の動画がありました。
13年前のものですが、
パイプオルガンは全く変わっていませんので、
ご覧くだい。


明治学院音楽主任・オルガニストの長谷川美保先生による
フーガBWV578(J.S.バッハ)の演奏のために
皆で「ふいご踏み」を体験しました。

「もののけ姫」のたたらばの 
踏みふいごを思い出してしまいました。

3本、3本の角棒(?)があり、
一本に全体重を乗せて下まで下ろして空気を入れます。

ふいご!
今は電気送風機も備えていますが、
礼拝の奏楽の時は学生たちがかかりになるそうです。

またコンサートの時も専門の方が
ふいご踏みをされるそうです。

わたしは「父、神子、御霊の」を弾いてみました。
足鍵盤にも触れてきました。

感動!

現在、我が国でふいごのあるパイプオルガンは
フェリス学院、立教学院、明治学院だけだそうです。

学生たちもレッスンを経て、
パイプオルガンを弾くことができます。
それは、自分演奏発表だけが目的でなく
キリスト教文化を育み、
神様の栄光を伝えていく試みです。

これがミッションスクールの使命と
長谷川先生はきっぱりおっしゃいました。

いいぞ!明治学院!

元学生もオルガンレッスンを受けられるといいなあと思いました。


講座は12時ちょうどに終わりました。

カフェのようなおしゃれな学食で
塩ラーメン(350円)をいただきました。



緑の木立を見ながらいただきます!


マーク入りのトレー欲しいです!


ちなみにこの講座は3600円でした。

わたしは150周年の時にパイプオルガンの献金をしているので
同窓会の校友会A 会員です。
プラチナカレッジの年1回は
無料で受講できる特典をいただきました。

これからの人生も
大学生気分を持ち続けられます。
楽しみです。


パイプオルガンに俄然興味が湧いてきた!

って方は仕組みについて学んでください。
面白いですよ、


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