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とある東大生のリアルな1年間

はじめに


はじめに

こんにちは。東大特進スタッフ2年の岡﨑です。今回は、私が東大に入学してからの約一年間についてどんな生活だったのかを書いていきたいと思います。その前に経歴について話しておくと、出身は兵庫県の「な」から始まる高校です。西の〇〇、東の開成などと称される学校です。皆さんもうお分かりだと思いますが、私の出身高校は兵庫県立長田高校です。このネタをするのは東大に入ってから500回目くらいです。毎回少しウケるので長田高校出身の人はぜひ使ってください!高校の頃はテニス部で、現在も東京大学運動会硬式庭球部に所属しています。

さあそれでは一年間を振り返っていきましょう。


四月

地方から出てきたので東京の生活にワクワクしていました。クラスのみんなとオリ合宿に行って仲良くなり、クラスでご飯会などを開いたり非常に良いスタートダッシュだったと思っていたが、その後起きる大事件によって、絶望することになるとは知る由もなかった。最初の二週間くらいであらゆる新歓へ行き、ご飯を食べさせてもらうも、先輩への気遣いや見知らぬ人と話すときの緊張感によって疲れが生じたので、「1か月毎日新歓でタダ飯生活」という野望は打ち砕かれてしまった。その後別のものが打ち砕かれてしまうとは知る由もなかった。岡﨑が知る由もなかったという言葉を使うことがかっこいいと思っていることは誰も知る由もなかった。

打ち砕かれたもの

あれは四月の雨の降っていた昼間だった。どんよりと曇った雲はこれから起こることを表していたのかもしれない。だが私はそれに気づくことはできなかった。2限にスポ身の授業、いわゆる体育の授業があった。一回目、二回目の授業はともに説明があっただけだったので、運動することはなく、その授業が初めての本格的な体育の授業でした。私が選択した科目はバスケ。(一番好きなテニス選手はガスケ。)バスケの場所は三階にあるコートで、補修工事の直前であったからか、少し雨漏りがするような古びた体育館であった。バスケは、男女共修で班に分かれてチームごとに練習したり、チーム同士で戦ったりする授業内容だった。自分はバスケットボールが得意だったので活躍し、かなり手応えを感じながら授業を受けた。授業後、「みんなで昼休みもバスケットボールしようぜ」と言う男の甘い誘惑に乗ってしまったのが不幸の始まりだった。私をバスケに誘った彼の顔はいまだに脳裏から離れない(嘘です。彼は何も悪くない。)。その後昼休みにやったバスケットボールは非常に充実していた。白熱した試合の中で岡﨑がかっこつけてボールをジャンピングキャッチしたその時だった。靴の底が抜けたのだ。あっ、やばいそう感じた私は時間がゆっくりと進むのを感じた。しかし底が抜けて滑ってしまった岡﨑はもう止まることが出来ない。このまま落ちてしまうもう無理だと諦めながらもゆっくりと進み続ける時間。床に着地するときにはバレリーナのような形で着地した。着地とともに、「ぽきっ」と右の足首から鳴き声が聞こえた。骨とともに私の心も粉々になった気がした。鳴き声とともに感じる激痛。周りは笑いながら早く立ち上がれよと言っていた。人間の怖さを垣間見た気がした。その後保健センターへと皆に担がれながら向かった。校内を担がれて回る恥ずかしさは一生忘れない。そこで言われた一カ月くらい安静にすれば大丈夫だろうという保健センターの人の楽観的観測は大きく外れた。次の日に家の近くの病院へと向かうと今すぐに大きい病院に行かなければならないと言われ、金欠でタクシー代を勿体なく感じた私は松葉づえとは思えない速度で大きな病院へと向かった。その後診断を受けると、明日手術で、今から入院です、といわれ9月までの運動が禁じられた。いい靴を買う必要性をこの世の誰よりも感じた。私を広告塔にすれば、アディダスの靴部門の売り上げは2倍くらいになるだろうなと感じた。


その後ー夏まで

ケガした直後の五月祭はもちろん参加できず、(クラスの委員の手違いで元から出店できなかった。)授業もオンラインで受けていた。この時期はあまり記憶がないが、家で本を読んでいた。好きな本はソロモンの偽証と社会心理学講義、黒い蘭の追憶だ。この時期はあまり記憶がない。


夏休み

松葉づえと装具が取れた夏休みは、非常に充実していた。大学でできた友達とユニバに行ったり、青春18きっぷで東京から大阪まで行ったり、徹夜で釣りをしたりした。非常に楽しい夏休みだった。この時期に免許合宿を計画していたが予約するのが遅すぎたために、計画はとん挫した。実は予約しようと思えばできたのだが、予約を任された岡崎が、面倒くさくなってしまい、明日やればいいかと考えてしまった。その翌朝予約は埋まっていた。とても悲しい出来事だった。少し骨折の部分で文章を書きすぎたせいで、つかれてきているが最後まで頑張りたい。

10月から

ケガが完治したので10月から庭球部に入ることにした。非常に同期のみんなや先輩方が優しく迎え入れてくれたため、非常に楽しみながら部活動生活を送れている。勉強も頑張ろうとするが1カ月で疲れて結局テスト前に詰めることになった。駒場祭もこの時期にあった。クラスで団結して売上をかせごうとなった。そのため販売するものを原価の非常に安いポテトにした。順調に全てを売り上げることが出来たならば、一人5000円くらい利益が出るかもと言っていたのでみんなやる気だった。しかし当日は立地が悪すぎて、人が全く来なかった。一日目は半分も売り上げることが出来ず、駒場祭委員は立地に対して愚痴を漏らし続けていた。あんなにやさしそうな○○(駒場祭委員)でもこんなに豹変してしまうんだなと、立地の大切さを思い知った。結局じゃんけんに勝てば安くなっていくという制度を使って頑張ったが、大赤字だった。今後出店する予定の人には、無難すぎるポテトはやめとけ、立地は大事だ、という駒場祭委員の遺言を伝えておく。駒場祭ののち、平凡な日常を過ごして春休みになった。


春休み

部活の試合であったり、遠征であったりで非常に充実していた。夏休みよりも充実していて中身の濃い2ヵ月だったと思う。3月に東大特進の合格祝勝会があり、電話を通じて学習相談をしていた子たちと直接会えて喜び合うことが出来たのでとても楽しかった。

最後に

終盤疲れて文章がつまらなくなってしまい申し訳ないです。最初から読み直すと面白くないから消そうと思ったのですが、消したらまた新しいものを書かないといけないとなると妥協するのが最善だと思います。私の一年間は、恐らく普通の人の一年間とは大きく異なるとは思うのですが、リアルな話を聞いて東大っていいな、大学生って楽しそうと思っていただけたら幸いです。正直、私が高校生の頃にこのnoteを読んでも、東大に行きたいとは思わなかったとは思いますが、楽しんで読んでいただけたならうれしいです。また機会があれば他のスタッフの一年間も見られると思いますので、ぜひ充実したキラキラの大学生活を見て欲しいなと思います。

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