見出し画像

アフターコロナの僕と響き合う世界

なんか最近調子が良い気がする。

というのも、これまで調子が良くなかった。それは思い返せば、コロナ禍からだったと思う。

2020年5月。僕がつくった映画『ひびきあうせかい RESONANCE』の劇場公開がコロナで延期となり、9月に公開したものの、その後の上映も難しくなった。何よりも、僕自身の気持ちがくじかれた。人々の声や身体を使って、つながりを感じることをテーマにした映画なのに、世の中の人々はマスクをし、大きな声も出せず、会話も控え、人と人が触れ合うことも、握手すらできない、ましてや人が集まったり、歌うこともできない、2020年以前では全く想像できなかった不思議な世の中・・・コロナ以前にこんな設定の映画があったとしたら、間違いなくヒットしないだろう、おかしな世の中。しかし現実は、多くの人が受け入れ、大ヒットした。タイトルは「ニューノーマル」とでも言おうか・・・。


映画で世の中を変えたいと意気込んだはずが、映画を上映する場所がない、人々が集まれない、声を出せない、歌えない、そんな新しい設定に、僕の気持ちは冷めてしまった。映画の上映活動どころか、何にもやる気がなくなってしまった。夢や希望、情熱のようなものが、それまでは当たり前にあったのに、わざわざ探さないといけなくなってしまった。


それから3年、2023年5月。シカゴの日本映画祭(シカゴ日本映画コレクティブ)から連絡があり、招待作品に選ばれた。とても嬉しかったが、まだどこか心はぼんやりとしていた。自分の作品が選ばれたという実感がなかった。過去の誰かの作品のことのような。実際、作品について話そうにも、どんな思いでつくったのか、口から出てこなくなっていた。思い出すために、過去に書いたノートや日記を読み返して、なんとか上映後のトークなどで話したが、きっと自分の言葉として伝わってないのではないかと思う。久しぶりに作品を見返しても、正直ピンとこなかった。それはきっと、コロナで自分が変わってしまったからだろうと思った。


そして11月。尾道映画祭から連絡をいただき、上映が決まった。尾道では何度も上映しているし、さすがにもう観てくれる人もいないのではないかと思い、上映してもらうかどうか少し迷ったが、この機会に再編集してみようと思い、上映をお願いした。それは、自分のためにもやってみようと思った。


そもそも、一度作った映画作品を再編集するというのは抵抗があり、今まで一度もやったことがないし、やろうとも思わなかった。なにせ、何十時間、何ヶ月もかけて、1秒、一コマ単位を悩みに悩んで編集した作品。どこかを少し変えただけで、全体に影響してくる。絶妙なバランスで立つ積み木のように。そう簡単には手をつけられない。実際、編集してみると、その難しさにとても苦労した。


作品全体が持つメッセージ性や温度感を変えずに、今の自分が納得するような流れに。試行錯誤の上、なんとか完成した。そして、再編集という、自分の中では規格外だった行為のついでに、本編の後に、主人公のインタビュー映像をくっつけるという、さらに規格外なことをしてみた。「そんなの自由にやればいいじゃん」って思われるかもしれないが、僕にとっては冒険だった。その冒険はとても楽しかったし、納得いくものができた。以前とは変わってしまった自分と作品をチューニングするような感覚。


インタビュー映像より


この再編集したバージョンに、以前のものと見分けるために、タイトルのあとに型番のようなものを追加した。

“Re-edited version AC1”

「再編集アフターコロナ元年版」という意味。アフターコロナという言葉はあまり好きではないし(コロナ自体好きではない言葉)、和製英語の造語なので海外の人には伝わらないのかもしれないけど、2023年という表記ではなく、新しい時代の始まりのような意味で“AC1”と名付けた。

それは、この作品がコロナとは無縁ではないから。


コロナ以前の人々の感覚では、おそらくこの作品の世界観はなかなか受け入れ難いものだったんじゃないかと思う。もちろんそんなつもりで作ってはいないが、どこか精神世界の話と捉えられたり、自分とは無関係で、非現実的な空想や夢物語のように受け取られたり。


だけど現実は、人々は、空想や夢物語のような世界を受け入れた。そこでは、人々は声を失い、人との触れ合いを失い、仮想現実の中で生きていくために自分の居場所や生きる価値を見出さなければならなくなった。そこでうまく適応できる人たちは、それまでより生きやすくなっただろうし、ビジネスを成功させたりした。それにうまく適応できなかった人たちは、心を病んでしまったり、生きる意味や情熱を失ってしまった人もいたと思う。僕もその1人だった。


コロナ禍になってこそ、気がついた。人は、人や自然との繋がり無しには生きるのが難しいこと。誰かのために生きることで生かされていること。何よりも自分の心が満たされないと、生きる気力、情熱が湧いてこない。ましてや、誰か困ってる人のために何かをするなんてできない。僕はそんな当たり前なことに、あらためて気付かされたのが2023年だった。


この映画に付けたタイトル「ひびきあうせかい」は、僕が望む世界という意味ではなく、“世界はすでに響き合っている”という意味で付けた。僕たちは、常にそうなんだと思う。すぐ身近にあるもの・・・家族、友人、空気、水、森、動物、コミュニティ、社会、地球、太陽・・・自分を生かしてくれているあらゆる存在に気が付くこと、意識を向けること。それは感謝することとイコールなんだと思う。


僕が最近身体の調子が良くなってきたのは、いろんなことに感謝することを心がけるようになったからだと思う。(え?全然感謝してなくない?相変わらずめちゃくちゃ失礼なやつじゃんって思うかもれないけど。笑)


この作品を尾道映画祭2024で上映してもらうことになって、自分の納得のいく再編集版ができたことをいろんな人に報告させてもらうのも、僕にとっては感謝であって、とても気持ちの良いものだった。その人とのそれまでの関係性や繋がりを取り戻せる感じがするし、生きることの情熱が湧いてくる気がする。


本編映像より


僕が尊敬する映画監督の1人で、今年亡くなられた龍村仁さんが生前ラジオ番組で、「僕の映画は、監督が伝えたいことが伝わるんじゃなくて、観る人それぞれの中に既にある何かと化学反応が起きて、新しくイメージや問いが生まれる、いわば作り手と観客の共同作業なんだよ」というようなことをおっしゃっていた。良い映画って本当にそうだなって思う。僕の映画もそうありたい。この作品も、観た人それぞれの中で何かが生まれる余白がたくさんある。


ぜひ観てくださった方の中に生まれた、言葉、イメージ、新たな問いなどがあれば教えてもらいたいし、目の前の世界に投げかけてみてもらいたい。大きな湖に、ポイッと小石を投げて波紋をつくるみたいに。


僕自身、この映画のことをもっと知りたいし、これからの世界がどんな世界なのか知りたい。


今日も、響き合っていることに感謝して。



映画『ひびきあうせかい RESONANCE』公式サイト



尾道映画祭2024



自主上映会、受付中です!


この記事が参加している募集

最近の学び

最後まで読んでいただきありがとうございます!気に入っていただけたなら是非この記事をSNSなどでシェアして広めてください!