spoon_knights_2のコピー126

銀匙騎士(すぷーんないと) (32)

「だめだ。あぶない。匪賊につかまる。神さまの子供だったら、おまえはねらわれてるかもしれないじゃないか。やめとけ。そんなにいい村だったのか。たのしかった」
「たのしかった。あんまりお母さんは家にいなかったけど、みんなやさしかったから。おなかがすくとごはんを持ってきてくれるけど、なんか悪いから、たまにがまんする。がまんしてたら、おなかのなかのめしがどうなってるか分かるような気がしてくるんだ。芋なら、噛みちぎってふわふわしたのが、だんだんまるく、かたまっていって、溶ける。芋が綿、軟球、硝子、水銀と変わっていくでしょう。それがもう見えるようになったら、おなかの動きを調節できるようになるから、芋のこなれ具合が自由自在なのね、お母さんが帰ってくるまで、おなかに残しておけばいいんだから。
 夜になったら帰ってくる、って言われて、夜になっても帰らない、いつまでたっても、朝になっても帰らなくて、お昼にやっとお母さんが帰ってくることもあってね、夜中すぎて、夜明け前になると眠らず待ってるのにつかれてくる。目をがんばって開いて、じっと目の前の闇を見てるとね、お母さんが浮かぶんだ。全身を目にするような感じで、これでもか、って、見る。見えないものが見えてくるんだ。お母さんが走ってた。息を切らして、芋をぶらさげて、広場をつっきって、家の前まで来た、と思ったから、
 おかえり。
 って、言った。
 お母さんはびっくりして、
 なんで、分かったの。寝てなかったの、
 だって見えた。ずっと寝ないで、お母さんを見ようとしてたんだよ、
 遅くなってごめんね、
 暗いうちに帰ってきてよ、夜ごはん、朝ごはんも飛ばして、もう昼だ、
 おなかすいた、
 おなかはすいてないんだよね。
 なんて、お母さんは強がってると思って笑ったんだけど、それは本当だったってわけよ。
 仕事が大変だからね。しょうがないよ。一回、見たことがあるよ。うちでごろごろしてたら、ありんこがちょろちょろ顔の横を歩いていって、ぼくも蟻になってついていったんだ。
 ぼくがどう行きたいかとか関係なくて、蟻が食べものを探してふらふら、ちょろちょろしてるだけだから、ぼくは悪くない。
 ぼくは悪くない、って言ったんだけどな。やっぱり怒られた。
 いつのまにか、三角天幕のなかに迷いこんでた。三角天幕ってのは、村(あいる)の馬小屋の裏にある、つまり村(あいる)のはしっこの、三角にとんがった天幕でね。馬のくそから立ちのぼる湯気がそのあたりでかたまって、悪いものになるから、それをためておくんだって、誰か、大人からおしえてもらった。
 こわかった。はっとして、三角天幕だって気づくのと、悪いものを見ちゃった、っていうのがほとんど同時で、息がとまった。
 悪いものは竹節虫(ななふし)みたいにがりがりだった、虫なのか草なのか分からなかったけど、だんだん、肩があって、そこから腕がのびてて、指までついてるし、頭があって毛が生えてるってのが見えてくるでしょう。
 人なんだよね。
 ぼくのお母さんなんだよね。
 あんなにやせてるとは知らなかった。かわいそう。つらい、大変な仕事なんだって思ったよ」
「なんの、仕事」
「なめてた」
「飴玉(きゃんでぃー)」
「いや、人」
「人をなめてたのか」
「人をなめてた。お母さんが悪いものなんじゃなくてね、人の悪いところをなめて治してたんだ」
「お医者さん」
「いや、踊り子さん」
「そうかな。人をなめる踊り子さんか」
「踊っていたから、たぶん」
「そう言うなら、まあ」
「悪かった人は帰ってね。ぼくに目を合わせようともせず、さっさと行った。そういえば、村で会ったことない人だった。それからもう二度と会わない。
 お母さんは、振り返って、
 なんで来たの、
 ありんこ、
 ありんこを追っかけて来ちゃったの、
 そそそ、
 もう来ないね、
 さっきのおっさんになにしてたの、
 見てなかった、
 見てた、
 悪いところを治してたの。人って、生きてるといろいろ悪くなるからね。子供のうちはいいけれど、大きくなると、だいたいみんないつも怒っててつかれてる。生きるのは大変だから。笑うとおだやかな気持ちになって、春の道みたいにあたたかい、さわやかな空気が流れるはずなんだけど、それを肥溜めの沼気(めたん)、隠神塩(あんもにあ)として呼吸する人もいて、ましてかけ値なしの悪意なら、毒をあおって死にかける。どんどんたまって、おなかの底で悪いものに結晶して、芽吹くように肌をつきやぶって膿が噴きだす。
 それをなめるよ、あたしが。あたししか、できないんだもの。牛乳みたいに白くて、でも苦い。たまに焦糖(からめる)みたいに煮詰まってまっ黒であまいのが、本当はもっともっと悪いもの。血がまじっていたら、死にかけてる。急いで吸いとるの。透明な水をだらだらもらして、ずぶぬれなのは、目から涙を流すってことを知らない人だ。
 本当は、悪いものはまずいだけのもので、人が勝手につくったものだから、いくらたまっても死にはしないけれど、つらい、じゃまだ、重い、くるしい、熱くてひりひりするって思いこんでるから、あたしが、それを大丈夫だって見せつけてあげる。なでて、目のなかに入れて、なめるの。そうやって受け入れて、みとめてあげないと心配でしかたないんだよ、
 すごいね、
 すごくはないよ。簡単だけど、楽ではないけど、ふつうのお仕事だよ。でもねえ、
 でもねえ、
 あんたに知られてしまった。あたしは、かなしい。こうしなきゃいけないから。
 って、お母さんはうつむいて、顔をごそごそしてると思ったら、手のひらに目玉を乗せて、
 あげる。
 って、ぼくにくれた。左目だったよ」
「おえ」
「でも、本物の目玉じゃなかった。硝子だった。お母さん、左目はなかったんだ。ぜんぜん知らなかった。真珠みたいな白さで、きれいだけれど、つめたかったよ。
 ぼくは、それを、それを、口のなかに入れた」
「なんでだよ」
「おいしそうだったもん」
「おえ」
「味はなかった。ころころしてたら、自分がにぶい、大きな鈴になったみたい。いい音はしない。まだ持ってるよ」
「いいよ、出さなくて」
「お母さんの仕事は、いまなら、分かるよ。あのね、神さまにおつかえして、いろんな奇跡をかわりに起こして、神さまのことばを人に伝える。
 次のお祭、ぼくも踊ったよ。それまで、あんまりお祭には出ていかなかった。なんか、毎年、おなかが痛くなったり、耳鳴りがしたりするから寝てたんだよね。
 まんなかで、お母さんが踊ってたんだ。

 琥珀の肌に 蜜の汗
 青白い絹の羽織紗(べーる)をまとい
 象牙の腕輪 黒真珠
 肥後守(ないふ)を手に踊る女は
 歓喜のうちに息絶える

 あの歌、そのままだった。くるくるまわって、独楽みたいに、くるくる、くるくる、爪先を軸に、溶けてしまいそうなくらいに、速かった。とっくに色はなくなった。胸当、腰帯、襟巻、筒袴、桃色と銀と青の重奏(あんさんぶる)が白と黒のしましまになっちゃった。
 犬が遠吠えするみたいな笑い声が、破裂するみたいに急に聞こえた。耳をぶんなぐられたみたいだった。それがお母さんの声だということが、なんだかふしぎだった。はずかしいような、自慢したいような。
 あれはきれいだったのかな。すごい。すごい、けど、こわいようでもあって、きんきんする音波を発しながら、空気からぼくたちの音をうばって吸収しているような。
 黒い外套、仮面の人が、お母さんを背中から刺した。犀の角みたいなサーベルを伝って、血が流れ落ちていたよ。雨もりの調子(てんぽ)で、た、た、た、た、た。
 ぼくがそう思ったのはただしかったって、すぐにこたえ合わせされた。あんまり雨と似てたから、雨が降ってきた。
 それに、黒い外套、仮面の人がぐったりしたお母さんを抱いて、ぼくたちに歌うような調子で説明してくれたから。仮面はしかめた紅鮭(さーもん)の顔だった。

 雨、降りました
 あがない、成就し、てきめんに
 もずのはやにえ、だっさいぎょ
 しるしのあります、聖なる血肉
 ささげて、しぼって、地を染めて
 思い出します、神々は
 ゆたかな季節の、雨のにおい
 ゆたかな季節に
 ゆたかな季節の
 ゆたかな季節の、草の、つるぎ

 お母さんは、その日、雨を降らせる運命だったんだ」
「運命」
「じゃ、宿命」
「宿命」

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