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アルタイルの詩(笑) (2)


1− 1

  昼さがり。
  病院の中庭、常夜灯とベンチがひとつ。
  老人・松岡、孫・千秋に車椅子を押されて、登場。
  松岡、ゴンドラの歌を歌う。  

松岡 いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
   朱(あか)き唇、褪(あ)せぬ間(ま)に、
   熱き血液(ちしほ)の冷えぬ間(ま)に
   明日(あす)の月日(つきひ)のないものを。

松岡 日中戦争。大東亜戦争。太平洋戦争。
   永遠につづくかと思われた、火の雨、血の川、不毛の荒野、また荒野……
   死をやりすごした、奇跡のような生命たちの、退屈と、なげやりな生の浪費が、ふしぎにからみあい……
   からっぽになった胸をかかえて、足をひきずりながら、くさりはてた土に、それでも足跡を残そうとする……満たされることなどない。たどり着けることもない。
   敗者の刻印を押された人々は、怠惰で、無気力で、笑うことも、泣くことも忘れたが、いつも、目だけばぎらぎらしていた。
   だまされ、おどされ、ねじふせられ、光も、痛みさえも奪われていく。
   なにもかも、なくなった。なにもかも……なにもかも?
   しかし、私は、存在していた。わたしを抱きとる世界も、存在していた。
   分からない……なぜ、平然と、なにもなかったかのように、存在はつづくのか……知らない顔、顔、顔、顔……顔が、わたしをとりかこむ。
   分からない……いつか、この顔たちと和解できるのか……
   分からない……分からない……分からない……
千秋 おじいちゃん。
松岡 ……清子!
千秋 ……
松岡 夕食は、もう食べたか。
千秋 ……まだですよ……
松岡 では、なにが食べたい。
千秋 そうですね、お父さんの好きなもの。
松岡 あづま屋の親子丼が食べたいな。
千秋 また親子丼ですか。昨日の夕食もでしたよ。
松岡 そうだったかな……(考える)
千秋 ……

1−2

  渉、登場。
  ベンチに腰かけ、ため息。
  松岡、いつのまにかうとうとしていたが、目をさまして、歌。 

松岡 いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
   波にたゞよひ波の様(よ)に、
渉  ……やめてください。
松岡 なぜ。
渉  患者さんたちに迷惑ですよ。
松岡 ほかの患者さんがどこにいる。
渉  どこって(千秋を見る)
千秋 孫の千秋です。
渉  ……どうも。じゃあ、患者さんは、いません。
松岡 では……
  〽︎いのち短し、
渉  本当に、やめてください。
千秋 おじいちゃん。
松岡 なにが気に入らないんだ?
渉  ……乙女の命が……みじかいなんて……

  チャイムが鳴る。

千秋 お会計みたいですよ。
松岡 そうか、そうか。
千秋 行ってくる。

  松岡、立ちあがる。

千秋 ちょっと。
松岡 リハビリ、リハビリ。たまにつかわないと、足が馬鹿になる。
   清子は心配性だな。子供のころから変わっていないんだ。

千秋 おじいちゃん、でも……

   松岡、車椅子を押して千秋、去る。

1−3

  渉ひとり。

渉  いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、

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